可愛かずみの死因は自殺?プロ野球選手・川崎憲次郎の自宅で死亡!
2020/03/10
jonasan
大原麗子。男性だけではなく、女性ファンも多かった彼女。やわらかな女性らしい美しさとかわいらしい雰囲気を持ち、芸能界にもファンは多かったといいます。
亡くなって7年になろうとしてます。彼女の病気のこと、死因、彼女の生きてきた足跡をちょっとご紹介します。
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プロフィール
大原 麗子(おおはら れいこ)
1946年11月13日 - 2009年8月3日)
東京都文京区生まれ。
日本の女優。
本名は飯塚 麗子(いいづか れいこ)
かわいらしい、そして清純な彼女の雰囲気は年齢を重ねてからも変わらないままでした。そんな彼女が亡くなってしまった悲しさは彼女を思い出すたびに感じてしまいます。そして、彼女の死因はなんだったのでしょう。
芸能界に入るきかっけ
1961年、当時高校生だった田辺靖雄(歌手)を中心として結成された「六本木野獣会」というグループに大原麗子さんも属していたようです。その頃に政治家・大野伴睦の長男で東京放映の社長である大野直にスカウトされ、芸能界に入ることになります。
映画@夢逢いましょ
大原麗子さんの芸能界デビューは1962年。当時大人気だった歌手の中尾ミエさん主演の東宝映画「夢で逢いましょ」に端役で出演したのが16歳の時です。
このデビューから46年後に亡くなった大原麗子さん。その死因はなんだったのでしょう!?
TVドラマ・幸福試験
1964年(昭和39年)テレビドラマ『幸福試験』(NHK)の出演でデビューします。大原麗子さんの魅力は当時から甘いハスキーヴォイスでした。このTVデビューの翌年に東映に入社することになり、本格的映画出演が続きます。写真はデビュー当時の大原麗子さんですよ。かわいいですね。
映画・男はつらいよ 噂の寅次郎
1978年、寅さんシリーズ22作目で大原麗子がマドンナ役で出演。その後、男はつらいよ 噂の寅次郎にも大原さんは出演してます。
渡瀬恒彦さんと離婚後の共演
2004年、渡瀬恒彦さんのシリーズドラマ・十津川警部の「東北新幹線はやて殺人事件」で共演する二人。その後、オンエアを見た大原麗子さんは2歳年上の渡瀬さんより自分の方が老けて見えるとショックだったようです。これがドラマ出演の最後になりました。その後 彼女が亡くなって孤独死という見出しが先行し報道され、死因についてもいろいろと噂がでて、何が正しいのかわからないままの方もいるかもしれませんね。
大原麗子さんの7回忌法要
大原麗子さんの死因を亡くなった今でも残念に思う人も多いでしょう。7回忌法要に渡瀬恒彦さんが参列しました。家庭での大原さんについて「妻としての自分と女優としての自分の間で葛藤していたのでは」と振り返っていたそうです。
森進一さんと再婚
1980年(昭和55年)6月には、歌手・森進一と再婚しますが、1984年(昭和59年)に離婚してます。離婚記者会見で大原麗子さんは「家庭に男が2人いた」とおっしゃっていました。大原麗子さんの葬儀には森さんも参列されています。
高倉健さんへの想い
大原麗子さんと高倉健さんが1965年の映画・網走番外地で共演します。その後・NHKのドラマ「チロルの挽歌」(92年)で夫婦役で共演します。大原さんが亡くなった後に部屋のDVDプレイヤーの中にはその「チロルの挽歌」が入ったままになっていたそうです。
そして遺品の中には高倉健さん専用のスクラップブックがあり、そこには「大好き、尊敬しています」と書かれていたそうです。
高倉健さんは彼女の死因をどう思っていたのでしょうね。2014年に亡くなった健さんと大原さんは天国でお話しているかもしれません。
大原麗子さんは1975年、神経疾患であるギランバレー症候群を発症します。大原麗子さんがこの病気だったことから、初めてこの病名を知った人もいるでしょう。ただ、彼女の死因とギランバレー症候群との関係はわかっていません。
ギランバレー症候群は、脳や脊髄などの中枢神経ではなく、運動や感覚を司る末梢神経が障害される病気です。病気が起こるメカニズムは完全に解明されていませんが、自分の末梢神経をリンパ球や抗体が、自分自身の細胞と、外部から侵入したウイルスなどを間違って攻撃してしまう「自己免疫」による病気だと考えられています。
大原麗子さんの直接的な死因は不整脈により脳の血管が破れ、脳内出血を起こした事による心不全でした。この死因でもある、不整脈はなぜ起こったのかは明らかにはなっていません。
大原麗子さんが亡くなっていたのは自宅の大原さんの部屋だったそうです。連絡が取れない事を不審に思った実の弟さんが自宅へ行くと、死後しばらくたった大原さんを発見したということでした。マスコミではこの状況を死因より先に、「孤独死」と報道していました。
ビストロSMAP第一回目 大原麗子さん
1996年放送。大原麗子さんにメロメロのキムタクも必見♪彼女が亡くなって 当初は孤独死と報道され、死因も憶測が飛びましたが 寂しく一人で逝ってしまったのは間違いないようでした。
1980 サントリーレッド CM 大原麗子 長編・高画質
このサントリーのCMで大原麗子ファンが急増したといわれています。なんともかわいい妻を演じていますね。とても有名になったコピーもあります。懐かしいです。
「大原麗子さんの死因はギラン・バレー症候群か?」そんな話も出た理由は、大原麗子さんは1999年ごろからギラン・バレー症候群の再発と報道されていました。その影響で自宅ガレージで転倒し右手首を骨折してしたということもあったことから、彼女の死因についてその病気のせいか?と噂になりました。でも、実際の死因は不整脈からきた脳内出血による心不全ということです。
「時々 隣においといて」
大原麗子さんのような可愛い奥さんにこんな風に言ってもらいたいなんていう、世の中の男性が多かったことでしょう。大人気になったCMで今でも語り継がれていますね。
「焼いたり(妬いたり)、煮たり、いつも悩んでくれてありがとう」
微笑んでいる大原麗子さんがとてもかわいらしい奥さんを演じていてとても人気のCMシリーズでした。
大原麗子さんの声で言う、このCMのセリフ。「すこし愛して、ながーく愛して」今でも耳にするとなんて心地のいい声なんでしょう。もう一度会いたいですね。彼女の演技や声が懐かしいです。
いかがでしたか?
女優の大原麗子さんってとてチャーミングで素敵な女優さんでした。
彼女の死因について、知らないでいる方もいるでしょうか。
この機会に正しい情報をお伝えします。
孤独死と言われたその死でしたが今でも彼女のファンだという人は
少なくありません。
いつまでも忘れません。
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