岡田有希子は自殺!松田聖子は男関係が奔放!で悩まされた相沢会長
2016/08/03
セラフィム
サンミュージックに所属していたアイドルの岡田有希子さん。没後30年経過しているため、知らない人も多いかも知れません。
岡田有希子さんがどんなアイドルだったか調べてみました。
岡田有希子さんのプロフィール
本名 佐藤 佳代(さとう かよ)
愛称 ユッコ
生年月日 1967年8月22日
没年月日 1986年4月8日(満18歳没)
出身地 愛知県名古屋市熱田区
学歴 名古屋市立向陽高等学校 - 堀越高等学校卒業
身長 155cm
体重 44kg
B 86cm・W 58cm・H 84cm
血液型 О型
芸能活動期間 1983年~1986年
所属事務所 サンミュージック
レーベル キャニオンレコード(現・ポニーキャニオン)
岡田有希子さんは、オーディション番組「スター誕生!」で合格。2つの芸能事務所から声がかかっていましたが、予選から立ち会ってくれた「サンミュージック」に所属することになります。
岡田有希子さんは、1984年4月21日に「ファースト・デイト」で歌手デビュー。当時は、サンミュージックの先輩である松田聖子と比較されることもありました。雑誌やテレビでは「第二の松田聖子」とも呼ばれていて、アイドルとして活躍されることを期待されていました。
7枚のシングルを出していた岡田有希子さん。最高順位は「二人だけのセレモニー」の4位でした。
8枚目のシングルは「くちびるNetwork」。
作詞を担当したのが、サンミュージックの先輩である松田聖子さん。作曲は坂本龍一さんです。
当時、松田聖子さんは妊娠で活動休止(妊娠発表はまだしていない)で、岡田有希子さんのためにデモテープを吹き込んで渡すなど、岡田有希子さんへの思いの詰まった曲になっていました。
「カネボウ・春のキャンペーンソング」に採用され、オリコン1位に輝く大ヒットとなりました。
1986年4月8日、事務所であるサンミュージックのビル屋上から飛び降り、岡田有希子さんは亡くなりました。享年18歳、高校卒業後まもなくの出来事です。
4月8日、岡田有希子さんは自宅でガス自殺・リストカットしています。しかし未遂に終わり病院で手当て。危険を察した事務所は、事務所に岡田有希子さんを連れていきます。
社長が戻ってくるまで待機させていたのですが、職員の目を盗み屋上から飛び降り自殺をはかりました。
当時、新聞やワイドショーで岡田有希子さんのショッキングなシーンが流れ、ファンが動揺。その後、「ユッコ・シンドローム」と呼ばれる若者の自殺が相次ぎました。
岡田有希子さんの自殺の原因といわれる様々な噂がネットで飛び交っています。未だにその噂が絶えないのは、人気アイドルだった証拠なのかもしれません。
「禁じられたマリコ」で岡田有希子さんは峰岸徹さんと共演しました。この共演がきっかけで、岡田有希子さんが峰岸徹さんに対する恋心が芽生えたのではないかと言われています。
岡田有希子さんはデビュー前から舘ひろしさんの大ファンでした。その舘ひろしさんとの恋愛関係になり、失恋したという噂もありました。
その他にも、「岡田有希子さんが実は妊娠をしていた」や「自殺ではなく他殺」という噂もあります。
この真相は今でも分からないままになっています。
サンミュージックに所属していた永遠のアイドルといえば、やはり松田聖子さん。岡田有希子さんもデビュー前は松田聖子さんのようになりたいと言っていたそうです。
松田聖子さんのプロフィール
本名 蒲池法子(かまちのりこ)
生年月日 1962年3月10日
出身地 福岡県久留米市
学歴 久留米信愛女学院高等学校 - 堀越高等学校卒業
身長 160cm
体重 42kg
血液型 A型
松田聖子さんの芸名は、出演したドラマ「おだいじに」で演じた、「松田聖子」という役名からとっています。
松田聖子さんといえば、この内巻きヘアー。当時、「聖子ちゃんカット」と言われて、多くの女性がマネをしていました。
岡田有希子さんもデビュー当時はこういうヘアースタイルをしていたのが印象的です。
1983年、沖縄のコンサートで「渚のバルコニー」を歌っている最中、突然少年がステージに上がりプラスチックのパイプで松田彩子さんの頭部を数回殴打する事件がありました。
松田聖子さんは右手と右頭部に全治1週間の軽傷を負いました。
松田聖子さんは以前から、「恋多き女」と言われていました。これは事務所も悩みの種だったようです。
1985年、交際していた郷ひろみさんと破局し、松田聖子さんは泣きながら破局会見を行いました。
その時、「生まれ変わったら一緒になろうねと話し合った」と松田聖子さんが泣きながら語った言葉が話題になりましたが、郷ひろみさん曰く「そんなこと言ってない」とか。
1985年、郷ひろみさんとの破局会見の1か月後に松田聖子さんは神田正輝さんとの結婚を発表。結婚式はテレビで生中継されました。
1986年に長女・沙也加さんが誕生。
神田正輝さんとは、1997年に離婚。
松田聖子さんは、1992年全米進出の時期に知り合った、ジェフ・ニコルスさんともお付き合いをしていたとか。この時、まだ神田正輝さんとは結婚していて、沙也加さんもすでに生まれています。
松田聖子さんは、1994年にはバックダンサーだったアラン・リードとの噂もありました。彼のCDデビューは松田聖子さんがプロデュースしています。
1998年、松田聖子さんは6歳年下の歯科医師・波多野浩之さんと交際2か月で結婚。「ビビビッと来た」というコメントが流行語になり、これ以降、「ビビビ婚」などという言葉も使われることになります。
波多野さんとは、2000年に離婚。
松田聖子さんは、2012年には大学准教授の一般男性と再々婚を発表。この男性の姿が見えないことから、「本当にうまくいっているのか?」という噂が絶えないようです。
実は、岡田有希子さんの自殺以降、「サンミュージックには呪いがあるのでは?」という噂がネットで飛び交っています。いったいどんなことが起こっているのでしょうか。
2000年、岡田有希子さんの元チーフマネージャで当時は取締役制作部長が岡田さんが自殺を図ったビルのトイレで首つり自殺をしています。
このトイレ、岡田有希子さんが亡くなる前に使っていたトイレだったという噂もあります。
1989年、岡田有希子さんの自殺以降、サンミュージックの評価が下がっている中、事務所の顔であった松田聖子さんが独立。世間では、「恩がないのか」と批判もありました。
1992年、松田聖子さんの先輩にあたる桜田淳子さんが、合同結婚式に参列したことが問題となり、これ以降、仕事にも影響が出るようになりました。
2009年には、岡田有希子さんが「サンミュージックにはあの子がいるじゃない」と言わせた、酒井法子さんが失踪、そして覚せい剤で逮捕されました。この事件で、相澤秀禎が相談役に退き、相澤正久が副社長へ降格となりました。
2016年、酒井法子さんの騒動が落ち着いた矢先に、ベッキーの不倫が報道されました。そのため、CMは降板、TV番組は休業に入ることとなります。
松田聖子さんや岡田有希子さんのように事務所のナンバー1となりつつあったベッキーの不倫も世間に衝撃を与えました。
岡田有希子さんや松田聖子さんは根っからのアイドルとされていました。だから、もしかすると人に言えない苦悩や、男性に頼らざるを得ないことがあったのかもしれません。
これから先、2人のような「純・アイドル」が出てくるのか、楽しみです。
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