2019/11/21
ペリドット
田畑智子は、
1980年12月26日生まれで
フロム・ファーストプロダクションに所属しています。
田畑智子は、12歳の時、「カノックスフィルム」に所属し、1992年公開の映画『お引越し』の主演女優としてデビュー、新人賞を多数受賞しました。
1996年から2001年まで、久世光彦演出ドラマ『向田邦子シリーズ』に毎年出演した田畑智子は、2000年に、NHK連続テレビ小説『私の青空』でヒロインに選ばれました。
ディズニー映画『リロ・アンド・スティッチ』の吹き替えで声優デビューした田畑智子は、2004年、大河ドラマ『新選組!』で近藤勇の妻・つね役を演じました。
2011年8月29日発売の写真集「月刊 NEO 田畑智子」』にて自身の30歳を記念しフルヌードに挑戦、初めてヘアヌードを披露しました。
岡田義徳は、
1977年3月19日生まれで
アミューズに所属しています。
1993年、『浅草橋ヤング洋品店』のモデルオーディションを姉とともに受けたことがきっかけで芸能界デビューした岡田義徳は、1994年、ドラマ『アリよさらば』に出演し俳優デビューしました。
岡田義徳は、2002年、ドラマ『木更津キャッツアイ』のうっちー役を演じたことが転機となり、ファン層も一気に拡大しました。
岡田義徳は、2005年からの映画『マダガスカル』シリーズのメルマン役に加え、2010年、『REDLINE』で声優を務めました。
浅野忠信との音楽バンドPeace Pillのドラマーとしても活動していた岡田義徳は、DJを中心とした音楽活動を行っており、ROCK IN JAPAN FESTIVALなどにも出演しています。
岡田義徳は、リクルート「SUUMO」やWONDA「ゼロマックス」、田辺三菱製薬「アスパラドリンク」など、CMにも多数出演しています。
田畑智子と岡田義徳は、
舞台「わらいのまち」で共演しました。
田畑智子と岡田義徳の共演作「わらいのまち」は、2011年9月4日から11月3日まで、東京・名古屋・大阪・広島などで上演されました。
田畑智子と岡田義徳の共演作「わらいのまち」は、「町おこし」をテーマに全国に笑いを届けたコメディで、宅間孝行が演出を手掛けました。
田畑智子と岡田義徳の交際は、
2011年に発覚しました。
「恋人役で共演した舞台「わらいのまち」の公演中の9月中旬、別の共演者を交えた3人で都内の飲食店で食事し、別の日の終演後は岡田義徳が車の助手席に田畑智子を乗せて食事に出かけ、さらに別の日には田畑智子が岡田義徳の自宅マンションに入っていったというが、公演中のある日を境に親密になった」と報じられました。
田畑智子と岡田義徳の事務所は、この交際報道について「共演者の一人で、恋人ではなく友達です」と交際を否定しました。
その後、「岡田義徳のマンションで、半同棲に近い形で一緒に住んでいるという話で、週刊誌も定期的に見回りしている」や「岡田義徳と田畑智子は破局した」などという噂が度々流れていました。
2015年、田畑智子が料理中に手首を負傷したことがキッカケで岡田義徳との交際が続いていたと公になり、田畑智子と岡田義徳は交際を認めました。
トラブルを乗り越えることで田畑智子と岡田義徳の絆が深まったとする見方や、交際がオープンとなったことで結婚の可能性が高まったと伝えるメディアが多くありました。
しかし、2015年12月に田畑智子と岡田義徳は、「将来について、あらためて考え、話し合いをした上で破局した」と報じられました。
田畑智子と岡田義徳の友人は「互いに愛情がなくなったわけではないのですが、騒動で目が覚めた部分もあったようです。今は仕事を優先すべき時期と考えたようです」と話しました。
これまで互いに距離を置くことが何度かあったが、知人によると、田畑智子と岡田義徳は、「今回は世間を騒がせたことをきっかけに、将来についてよく話し合った上で別れを選んだから、復縁はない」と話しています。
田畑智子と岡田義徳は、破局についてコメントしていませんが、否定もしていないため破局は事実であると言われています。
交際が発覚し、
結婚も噂されていた田畑智子と岡田義徳。
しかし、二人は
破局してしまったようです。
田畑智子も岡田義徳も
役者として評価が高い二人なので
今後の活躍に注目していきたいですね。
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局