個性派女優・秋吉久美子さんが出演した映画作品を大公開します!
2021/12/06
toshi.miyata18
1972年高校三年生の時に聞いたラジオの深夜放送、吉田拓郎の『パックインミュージック』で、吉田が音楽を担当した松竹映画『旅の重さ』のヒロイン募集を聞き、親に内緒でオーディションを受けた若い頃の秋吉久美子。
1972年、映画に初出演した「旅の重さ」がデビューとなる
若い頃の秋吉久美子の画像、1972年、映画「旅の重さ」主演女優の高橋洋子は2,000人のオーディションから選ばれ、新人として1999人のオーディションで選ばれなかったうちの一人が秋吉久美子です。
若い頃の秋吉久美子まだ「小野寺久美子」という芸名で映画に出演していました。高橋洋子主演の「旅の重さ」で自殺してしまう文学少女の役は印象的でした。
若い頃の秋吉久美子は、「旅の重さ」の主演オーディションでは落選したものの、端役として出演することになります。
若い頃の秋吉久美子の芸名「小野寺久美子」
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1974年秋吉久美子の若い頃のCM。NISSAN チェリー F-2の広告です。キャッチコピーは、『クミコ、君をのせるのだから。』
日産チェリのテレビCMに登場した若い頃の秋吉久美子は、男性の憧れの存在でした。「久美子、君を乗せるのだから」と当時のな男性は思いましたよ。
若い頃のめちゃくちゃカワイイ!秋吉久美子の画像です。グラスの内側に螺旋状凹凸を作り反射してキラキラと輝く、三ツ矢サイダーキラキラグラスという景品がありました。
1975年三ツ矢サイダーの雑誌の広告。若い頃の初々しい秋吉久美子。この当時の飲料は栓抜きで王冠を開ける瓶入りだったんです。
若い頃…夢・希望・未来がテーマだった昭和の時代。秋吉久美子の日活初出演作!
若い男女の出会いと別れを描いた青春ラブストーリー。70年代の日本と若い頃の秋吉久美子と高岡健二が懐かしい。かぐや姫の名曲「赤ちょうちん」もなぜかせつない。
1974年の日活映画、藤田敏八監督の青春3部作「赤ちょうちん」「妹」「バージンブルース」に若い頃の秋吉久美子は主演しました。
1974年第11回ゴールデンアロー映画新人賞を受賞。秋吉久美子は女優として道を歩み始めます。
1974年、沢田研二主演の映画「炎の肖像」に出演しています。若い頃の秋吉久美子と後ろの男性は痩せていた頃のジュりーこと沢田研二です。
1975年、東京、新宿、歌舞伎町が舞台に高度経済成長も終焉を迎え虚無的な雰囲気が漂う。若い頃の秋吉久美子が美しく演技も素晴らしい。
1975年8月〜11月までTBS系列で放送された。テレビドラマ『家庭の秘密』。若い頃の秋吉久美子と池上 季実子が登場します。
主題歌は荒井由実(ユーミン)の『あの日に帰りたい』の歌声が、夕子役の秋吉久美子が住む北海道の釧路の自然とマッチしていました。
1976年の映画「あにいもうと」では、若い頃の秋吉久美子と草刈正雄が兄弟役を演じています。秋吉久美子のツンデレ女子っぽい表情がかわいいですね。
1976年映画「あにいもうと」秋吉久美子と草刈正雄の若い頃
映画「あにいもうと」よりお盆休みに実家でタバコを吸うシーン、都会でタバコやいろいろな体験をして田舎に帰省した「もん」を演じる若い頃の秋吉久美子。
1976年に公開された映画『さらば夏の光よ』ではハンバーガー・ショップで、働く女の子の役。秋吉久美子は若い頃の郷ひろみと共演しています。
若い頃の佐藤佑介を相手にお姉さんっぽい秋吉久美子。過激派女子大生と年下の高校生の結ばれない恋を描いた青春映画です。
1976年当時の佐藤佑介、資生堂のCMにも出演していました。
1977年若い頃の秋吉久美子画像とサイン。映画女優にとどまらずテレビドラマの出演も多くなった秋吉久美子です、2年後に結婚します。
1979年、秋吉久美子は若い頃に一度目の結婚しています。お相手はフォークグループ「青い三角定規」メンバーで作曲家の岩久茂です。
秋吉久美子と岩久茂は当時は珍しかった「できちゃった婚」、若い頃の「卵で産みたい」発言も話題になり、結婚後出産のために芸能活動を2年ほど休止しました。
女優、秋吉久美子の若い頃に出演した映画やCMの画像を70年代はじめから、、秋吉久美子が結婚する1979年まで、10年間の画像です。
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