深夜番組『女子アナの罰』で体を張ったTBS女子アナたちをご紹介!!
2015/10/12
yasuhiro1038
2015/03/13 更新
現在女子アナはまるでアイドルかのような扱いですが、その先駆け的存在だったのが、頼近美津子さんです。彼女は最初はNHKのアナウンサーとして活躍しましたが、その後フジテレビに移籍しました。当時から美人アナウンサーとして有名だったそうです。そこで頼近美津子さんについてまとめてみました。
本名:鹿内 キャサリーン 美津子
出身地:広島県
生年月日:1955年(昭和30年)8月1日
没年月日:2009年5月17日(満53歳没)
血液型:A型
最終学歴:東京外国語大学
職歴:元NHKアナウンサー
元フジテレビアナウンサー
活動期間:1979年(昭和54年) -2009年(平成21年)
ジャンル:報道・情報・音楽・バラエティ
配偶者:鹿内春雄
(フジサンケイグループ総帥)
家族:MEG (従妹・芸術家)
出演番組・活動
過去:『ばらえてい テレビファソラシド』
『NHKニュースワイド』
『小川宏ショー』
『FNNニュースレポート11:30』など
その他:コンサートプランナー、女優など
祖父母は広島からアメリカへ移住した日系一世だった。父親はアメリカ生まれの日系二世で[1][8]第二次世界大戦後に広島市に移り、原爆傷害調査委員会(通称:ABCC、現在の放射線影響研究所)に勤務した[9]。
父親はアメリカ生まれの日系二世で、それでキャサリーンという名前が入っているようです。
25歳頃の写真です
3位は頼近美津子(享年53・元NHK)がランクインした。1979年、新人の頼近は『ばらえてい テレビファソラシド』(NHK)でメイン司会に起用され、タモリとの軽妙な掛け合いで一躍ブレイク。
タモリからミドルネームの「キャサリン」で呼ばれ、女子アナブームの先駆けとなった。1981年には1200万円とも噂された当時としては驚きの高額年俸でフジテレビに移籍。前代未聞の“引き抜き”は彼女の美貌とともにテレビ史の伝説となっている。
鹿内 春雄(しかない はるお、1945年5月15日 - 1988年4月16日)は、日本の実業家。
フジサンケイグループ初代議長鹿内信隆の長男であり、それを継いで2代目議長を務めた。当時の愛称も、「議長」だった。
妻の美津子(頼近美津子)は、元NHKアナウンサー。1984年8月に結婚。1985年4月に長男が誕生し、翌1986年4月に次男が誕生している。父、信隆の命名に倣い、自らの「雄」をそれぞれの子供の名前に充てて命名している。
加賀美幸子アナウンサーと頼近美津子アナウンサーが司会進行役となり、永六輔がアシスタントと務めるという異色の大型バラエティ番組が1979(昭和54)年4月に誕生。音楽、スポーツ、歌舞伎、漫才、解説、座談会、日本の自然探訪、日本古来の伝統芸能など、あらゆるジャンルの情報をほのぼのとした笑いのなかで週に一度発信していった。
ワタクシ、この番組はてっきり、NHKがタモリを出すために作ったと思ってたんですよ。
でも、彼は当初は出ていなかったんですね。
なんかそのくらい、タモリの印象が強い番組だった。
まだ官僚カラーだったNHKにタモリが出てくれば、それだけ際立ってました。
普通なら絶対に出演できなかった人物ですが、永六輔が抜擢したといいます。
タモリはこの番組で全国的な認知度を得ての笑っていいとも!で、
これが無ければ、いつまでもどこか反体制的な影を引きずってうらぶれていたでしょう。
タモリという作品を作った一人に、永六輔もいるわけです。
彼も政治信条は反体制的で、そんなとこで当時のタモリのアナーキーさで
NHKに風穴を開けたかったんだろうと思いますが。
『小川宏ショー』(おがわひろしショー)は、1965年5月1日から1982年3月31日までの17年間にかけてフジテレビ系列局で生放送された朝のワイドショーで、小川宏の冠番組である。全4451回。
NHKから移籍した小川宏さんが17年間、放送回数4451回
という記録を残した朝のワイドショーです。
ゲスト出演するタレント数名に初恋を語ってもらい、その初恋
相手を探し出して、タレントさんと対面させる 「初恋談義」や、
「ご存知ですか、この人を」 などのコーナーが好評を得て、人
気番組となりました。
テレビのニュース番組などで活躍した元アナウンサーの頼近美津子(よりちか・みつこ=本名、鹿内キャサリーン美津子=しかない・きゃさりーん・みつこ)さんが17日午後1時46分、心不全のため千葉県柏市の病院で死去した。53歳。広島県出身。葬儀は近親者で行った。喪主は長男鹿内雅雄(しかない・まさお)さん。後日、お別れの会を開く予定。
頼近美津子さんの若い頃の写真を見ると、美人だけでなく知的な印象もありますね。現在のアナウンサーよりもインテリな感じがします。
2009年に若くしてお亡くなりになりましたが、女子アナの歴史のみならず、テレビ界の歴史にも残り続ける方でしょう。
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