ダレノガレ明美さんが過去の病気を告白!病名や過去に迫ります。
2016/08/19
たかあみ
名前 ダレノガレ明美
生年月日 1990年 7月16日
年齢 25歳
出身地 ブラジル
血液型 B型
公称サイズ 身長 / 体重 164 cm / 43 kg
ブラジル・サンパウロで生まれ、1歳のときに日本へ移住
2012年5月発売の『JJ誌』7月号でモデルデビュー。同年10月にTBSのテレビ番組『サンデー・ジャポン』に出演。以降、数々のバラエティ番組で活動する。
2015年8月発売の『JJ』10月号で、JJ専属モデルを卒業した。9月17日発売の『Happie nuts』11月号で女性誌初表紙を飾った。
前に話したけど…なんかハーフの人って実家がお金持ちのイメージだけど私の家はお金持ちじゃなかったから、欲しい物があっても親に言えないし、我慢もたくさんしたんだ…
ママもパパもお兄ちゃん、お姉ちゃんもたくさん我慢したと思う!
「実は私4歳、5歳の記憶がなくて」「前のお父さんが結構ひどい人で」
と、実の父親から暴力を受けていたというダレノガレは
「ショックで喋れなくなってしまって…」「その1年間の記憶がまったくない」
と、実父からの暴力が原因で、記憶が欠落しているのだと明かした。
ダレノガレの記憶がない期間に、母親が現在の父親と出会っていたそうで、その父親は日本各地へ車で家族旅行をするなどして、次第にダレノガレとの心の距離を縮めていったのだとか。実父ではないが、その父親のことが大好きだったというダレノガレは、両親に反抗することがなかったのだという。
昔は病気で髪の毛がなく、カツラをかぶっていたダレノガレ明美さん。同級生にも「ダレノガレ!カツラ!」などと心無い中傷をされからかわれ、普段からも、ハーフでめだっていた。
昔、ダレノガレ明美さんは一番多感な時期に、周りから好奇と偏見の目で見られ学校に居場所がなかったようです。
そんな時、ソフトボール部の顧問の佐藤美見先生との出会いがありました。
佐藤先生は、彼女の話を親身になって聞き、「頑張れよ、大丈夫だよ」と励ましてくれてたようです。
昔はダレノガレ明美さんは美見先生がいたおかげ強くなれて、明るく笑えるようになったとコメントしていました。
そして、ソフトボールに打ち込んでいきました。
昔の経験、過去の苦難を乗り越えて芸能界で活躍しているダレノガレ明美さん。その決して折れない強い信念に尊敬します!これからも芸能界をにぎわせてほしいですね!
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局
しかしそんな彼女ですが、今の姿からは想像もつかないほど壮絶な人生を歩んできたのです!!
今回は、そんなダレガレノ明美さんの過去に迫ります。