日本の男を表現する俳優・高倉健主演の見るべき映画ベスト3を紹介
2015/10/09
ミック0331
2015/03/26 更新
2014年11月10日に永眠された歌手で俳優の高倉健さんの代表作と言われている『鉄道員(ぽっぽや)』の裏話を紹介します。高倉健さんの映画の裏話を知ることで意外な一面を知ることが出来るかも知れません。『鉄道員(ぽっぽや)』のエピソードをまとめてみました。
本名:小田剛一 (おだ ごういち)
生年月日:1931年2月16日
没年月日:2014年11月10日(満83歳没)
出生地:福岡県中間市
死没地:東京都
身長:180cm
血液型:B型
職業:俳優・歌手
配偶者:江利チエミ(1959年 - 1971年)
1955年に映画プロデューサー・マキノ光雄にスカウトされて芸能界デビューした。
1963年に出演した『人生劇場 飛車角』以降は仁侠映画を中心に活躍する。
1958年にミスタースポーツモデル : ウェアモデル入賞している。
2015年に公開予定の映画『エイプリルフールズ』に出演予定だった。
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駅長・佐藤乙松は筋金入りのぽっぽや。職務に忠実なあまり、生後2ヵ月で死んでいった娘や思いがけない病で死んだ妻を見取ることさえできなかった。佐藤は近く廃線になる幌舞線とともに定年を迎えようとしていた……。
高倉健
大竹しのぶ
広末涼子
吉岡秀隆
安藤政信
大御所だった高倉健さんがどうして「ほっぽや」の主演を演じられたのか気になりますよね?
『鉄道員』の降旗監督と高倉健さんは長い付き合いだったそうです。
また、降旗監督が高倉と出会ったころ、高倉は美男子だけどなかなか主役に抜擢されない俳優だったという。しかし、『日本侠客伝』(64)で、主役を演じてから変わったと降旗監督は語る。「最初は中村錦之助さんが主役だったんですけど、その役を降りたんです。そこで健さんが主役に抜擢されたわけです」
「この2人はとても仲がよくて、そうなったときに中村錦之助さんが、『じゃあ俺が相手役をする』と言い、共演しました。そこで、友情の対立、役者としての対立があって、健さんはまなじり決して撮影にのぞんだんだろうと思います。べつに技術的にうまくなったわけではないのですが、修羅場を抜けたすごさが備わってきたなと思いました」と貴重なエピソードを語った。
また、『鉄道員 ぽっぽや』で印象的に使われている音楽「テネシー・ワルツ」についての秘話も披露された。「テネシー・ワルツ」は高倉にとって特別な歌ということは知られているが、はじめは「この曲を使うなら芝居できない」と言われていたという。しかし、降旗監督は「これが僕らにとって最後の作品になるかもしれないから、個人的な感情はあるかもしれないけれど、それがあるがゆえにいいじゃないか」と高倉を説得したという。
降旗監督は、高倉主演で新作の脚本をつくっていたという。物語は阿蘇山が舞台で、テーマは、人間はどうやって年をとっていくべきかというもの。「健さんと『あと2本くらいは撮れますかね?』『1本がせいぜいですよ』という会話をしていましたが、叶わぬこととなりました」と別れを惜しんだ。
最後に、高倉に対し降旗監督は、「いい映画をつくるということしかないです。健さんは僕のアイドルなんてことも言っておりました。アイドルを亡くしてどうなってしまうかわかりませんが、僕1人でまだ1本ずつ最後の作品を撮っていけたらいいなと思います」と締めくくった。
誰も降りることのない寂しげな駅。それでも職務を全うする健さんがとても良い。昔の思い出をあれこれ懐かしみ、駅に別れを告げる。
どれだけ仕事にこだわりを持っても時代は容赦なく進んでいくという悲しさが伝わる。
若干、引き延ばしているように思えたが機関車を見送る健さんの姿に心打たれて星4つ
TVの中ではあるが、ハマりにハマっていた高倉健さんの乙松。
当時まだ10代だった頃に観た「幸せの黄色いハンカチ」や「居酒屋兆治」で、高倉健の朴訥で静かな中に滲み出る情感。
それが、この作品でも見事に引き出されていた。
「不器用ですから」
まさに、そのもの。
昭和の、いや、高度成長期の変転の渦中で真っ直ぐに自分の責務を
果たす男。故に、守りきれなかったもの。
そして、置き去りにされる男。
乙松の生き様。それを自然且つ最大限に引き出せる俳優。
そして、この俳優こそが乙松そのもの。
不器用だけど自分の仕事に誇りを持って取り組む鉄道員。出演者の確かな演技力、感動を無理やり呼ぼうとして過剰演出になったりしていない控えめな淡々とした物語進行など、映画として質の高さを維持している。
ただし愛する家族の死とかすら後回しで仕事を優先するというこの時代の価値観というのが、今時の人には少し理解しがたいのではないかと思います。結局そういう鉄道員は仕事はきっちりこなして社会のためには大いに貢献しているのだけれど、その分個人としての幸せを犠牲にしている。
父親の死の直前に、幼くして死んだ娘が突然幽霊になって自分の成長ぶりを見せに来て彼の生き方を肯定してくれるという、通常はあり得ない奇跡が起きる。そして仕事を優先していて死に目に会えなかった彼の娘への心残りは氷解する。
でもそのようなことが起こらない限り、人生の幸せの損失分を多少なりとも取り戻すことが出来ないのだと思うと、感動というよりもそのような人々への哀れみや悲しさを先に感じてしまう。普通の真面目に働いている人にはそのような奇跡は起きないのだから、損失の補填はなく心残りを持ったまま死んでいくわけです。そのため図らずも他のことを犠牲にしてまで仕事一筋などで生きてはいけないよ、奇跡に頼らず自分の人生の幸せの価値基準をはっきりさせなさいという教訓を教えられたように感じてしまう。
だから必ずしもこの善良なる鉄道員の生き方を素直に支持出来ないのである。こういう滅私奉公な生き方っていうのはちょっと古い日本人のもの。特に欧米人なんかだと家族ほったらかしで仕事なんかばかりするなんて、最初から理解しがたい馬鹿な男の物語というふうに切り捨てられることになるんでしょう。
とはいうものの、こういう話は日本人にはわかりやすい。彼らが個を犠牲にして日本の経済発展に大きく貢献してくれたこと。彼らのような存在があったからこそ今の日本がある。だからいい映画だとは思います。
定年を迎えるぽッぽやに起きるちょっと不思議な心温まるお話ですよ。
見て損はないです。
浅田次郎原作の映画では 地下鉄(メトロ)に乗って と並んで、好きな映画です。
これ以上書いてしまうとネタばれになりかねないのでやめておきます。
全体的に評価はいいようです。もちろんストーリーの内容など賛否両論はありますが高倉健さんが好きな人や感動する映画が見たい人は見て損はないと思います。
高倉健さん主演の映画「ぽっぽや」を紹介させて頂きましたがいかがでしたでしょうか?
いくつもの有名な作品に出演された高倉健さんですが「ぽっぽや」の評価はいいようです。
気になる方は見て損はないと思います。
高倉健さんは江利チエミさんと離婚してからは再婚されてないようなので彼女が最初で最後の妻ですが実際は、何度か再婚話が浮上したことがあったそうです。
板東が高倉さんから聞いたのは、高倉さんが友人と猟に出かけようとした際のエピソード。高倉さんは朝3時過ぎに家を出ようとしたところ、起き出してきた江利さんに「私、この後、どうしたらいいの…」と言われたらしく、この江利さんの言葉で、高倉さんは「俺には結婚生活は無理だ」と思ったという。
高倉さんと江利さんは結婚15年目の1971年に離婚。江利さんの親族によるトラブルが原因と報じられたが、板東曰く、「世間では、借金だとかいろいろなことを言われているが、夫という役を演じるのは無理だと思ったんじゃないかな」と友人として思いやった。
高倉健さん、本当に惜しい方が亡くなられました。 心よりのご冥福をお祈りします。
高倉健さんは、江利チエミさんと別れてからも、ずっと愛してらしたと思います。
一途なけんさんのお気持ちが分かります。
倍賞千恵子さんも一途にけんさんを愛して居たんだと思いますよ、2人とも『不器用』だったんでしょうね。
この記事ーーーーhttp://goo.gl/DxRPsR
沢山の映画やCM、大事なものを残して頂きました。
高倉健さんと江利チエミさんは嫌いで離婚したわけではありません。
チエミさんの異父姉という人が健さんとチエミさん夫妻の家に最初は家政婦として入り、その後チエミさんの経理まで任されるようになったそうです。そしてチエミさんに対するねたみからチエミさんを陥れ、借金苦にさせていったそうです。その後チエミさんは借金を返済しています。
そういう事態になっていったことでチエミさん側から健さんに離婚を申し出てて、結局離婚されたそうです。
チエミさんが亡くなられた後、健さんはチエミさんのお墓をお忍びですが
何度もお参りされていたそうです。
健さんが亡くなられた今、チエミさんと天国で再会されていることと思います。
江利チエミの異父姉が、江利チエミの財産を横領し、更に高倉、江利について、でっち上げの誹謗中傷を繰り返したので、高倉健に迷惑が掛かるから離婚したのです。
このことは、当時大きく報道されました。
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