山口小夜子展「未来を着る人」観に行った?時代を先取り&美し過ぎ!
2016/08/02
chihiro
山口小夜子さんの「結婚」について探る前に、山口小夜子さんのプロフィールと経歴を見ていきましょう!
山口 小夜子(やまぐち さよこ、1949年9月19日 - 2007年8月14日[1])は、日本のファッションモデル、ファッションデザイナー。杉野ドレスメーカー女学院卒業。パリコレクションに出演するなど世界的に活躍し、日本人女性モデルの草分け的存在になった[2][3]。
なるほど。山口小夜子さんは、日本人女性モデルの草分けなのですね。
杉野学園ドレスメーカー女学院卒業後[2]、1971年にプロのモデルとしてデビューし[3]、高田賢三や山本寛斎のショーで注目を集める[2]。1972年、パリコレクションにアジア系モデルとして初めて起用され[4]、次いでニューヨークコレクションにも出演した。おかっぱ頭に切れ長の目で日本人ブームを起こした[2]。特にヨーロッパで人気が沸騰し、「SAYOKO マネキン」というマネキン人形が発売されたほどだった。現在でもアナスイニューヨーク店で使用されているという。
1973年、資生堂の専属モデルとなり、同社のCMに出演。その後も長くモデルとして活動しながら、ファッションデザインや服飾品のプロデュースも幾度となく担当。1977年には、雑誌『ニューズウィーク』の「世界のトップモデル6人」にアジア人で初めて選ばれた[2][4]。
晩年はダンスとファッションの融合をめざしたパフォーマンスに力をいれていた。
2007年8月14日に急性肺炎のため死去していたことが、同年8月20日付の各社報道によって明らかになった。葬儀は親族だけで執り行われ、9月19日にお別れの会が開かれた[1]。
なるほど、山口小夜子さんは一世を風靡したモデルさんであり、デザイナーさんだったのですね!
ここで、山口小夜子さんのお仕事の画像の数々や動画をご紹介いたします。
資生堂山口小夜子 C
「元祖スーパーモデル」の山口小夜子がいま、注目を集めている。1970年代にパリコレで活躍。日本人形をモード風にしたような切れ長の目とおかっぱ頭で強烈な個性を放ち、無名の存在から一気に世界の表舞台に躍り出た。〔中略〕 小夜子が57歳で亡くなってから8年。東京都現代美術館(東京・江東)では「山口小夜子 未来を着る人」展を開催中だ。
2015年4月11日(土)―6月28日(日)まで行われた、山口小夜子さんの展覧会が行われたのですね〜。今再び再注目されているようです。
神秘的な東洋の美を体現するトップ・モデルとして、世界のモードを席巻した後も、「着ること」をテーマに異なるジャンルを横断するクリエーター、パフォーマーとして活躍した山口小夜子。 晩年には若い世代のアーティストたちとのコラボレーションを行い、最後まで時代の最先端を走り続けた彼女の軌跡が、2 0 1 5 年春、展覧会としてよみがえります。
なるほど、山口小夜子さんはすごい方だったのですね〜。
1970年代からファッションモデルとして世界的に活躍し、「日本人の美しさ」を世界に広めた山口小夜子のドキュメンタリー。2007年に57歳で急逝するまで、モデルだけでなく、映画、演劇、ダンスパフォーマンス、衣装デザインなど、さまざまなジャンルで常に時代の先端を走り続けた山口の今なお多くの謎に包まれた人生を、彼女と親交のあった人たちの証言、本人の貴重な映像群により紐解いていく。監督は、生前の山口とも交友があり、「≒草間彌生 わたし大好き」などのドキュメンタリー作品を手がけている松本貴子。
山口小夜子さんをテーマにしたドキュメンタリー映画も10月から始まっているようです。
山口小夜子 没後8年、彼女が愛した膨大な数の服やアクセサリー等の遺品を開封した。モデルとして“着る”だけではない衣で異を“創る”山口小夜子の止まった時間が動き出し、今まで触れることのできなかった彼女に少しだけ近づく。どうして山口小夜子は、モデルの道に進むことになったのか。トップモデルとしての階段を駆け上がっていく中での苦悩とは。映画、演劇、ダンスパフォーマンス、衣装デザインといった多彩なジャンルに進出し、常に時代の最先端に居続ける努力を惜しみなく続け、表現者として妥協を許さなかった彼女は、どこを目指していたのか。
今初めて、彼女のまだ見ぬ扉をそっと開ける・・・。
山口小夜子さんの遺品を開封したことから、再注目が始まっているようですね〜。
さて、ここからが本題です。山口小夜子さんは、ご結婚されていたのでしょうか?それともご結婚されていなかったのでしょうか?これだけ容姿端麗な方だから、相当モテたでしょうね。またお仕事柄、海外のデザイナーとかと結婚されていてもおかしくなさそうですが、実際のところ、山口小夜子さんの結婚事情はどうなのでしょうか?
プライベートなことはベールに包まれており、あまりに明らかにはなっていないが、一般的に言われている説としては結婚は生涯せずに生涯独身であったと言われている。
なるほど、山口小夜子さんはご結婚されていなかったのですね。ではなぜ結婚されなかったのでしょうか?相当いろんな男性にモテたのではないかなと推測をしたくなりますが、実際のところ、結婚しなかった本当の理由が気になるところです。
女性同性愛者のことをレズビアンと呼ぶ。
日本では「レズ」という略語がよく用いられるが、歴史的に含まれてしまった侮蔑的ニュアンスを嫌い、意図的に「ビアン」と略す者もいる(ちなみに「ビヤン」と発音するフランス語の bien は“素敵”の意)。
あくまで仮に、山口小夜子さんが同性愛者だったとしたら結婚されないのも、なんとなく納得できそうです。
同性結婚の前史[編集]
人類には、異性愛者ばかりでなく同性愛者もいることは有史以来知られていた。しかし同性愛者の近代的婚姻について、本格的に議論され始めたのは、ごく最近で1980年ごろからである。法制度的に整備され始めたのは、世界的に見ても1990年代からである。〔中略〕2015年の時点で、日本では、同性結婚を明示的に禁止する法律はないものの、民法や戸籍法の上では同性結婚の制度は設けられていない。
なるほど、同性愛者の結婚について本格的に議論がはじまったのはごく最近なのですね。日本ではやはり同性愛者の結婚は今も認められていないようです。
無性愛(むせいあい、英: asexuality)とは、他者に対して性的な欲求を抱かない性質のことである。このような性質を持つ人々を無性愛者という。Aセクシュアル、アセクシャル、エイセクシャルともいう。
無性愛は、性欲自体がない無性欲や、性的行為に嫌悪感を抱く性嫌悪、性的欲求低下障害(HSDD)とは異なる。また、思春期以前の子どもが他者に対して性的な欲求を抱かなくとも、無性愛者であるとは言わない。
無性愛は、異性愛、同性愛、両性愛に並ぶ性質であると言われている。ブロック大学のアンソニー・ボガード教授は「世界人口の1%が無性愛者に当てはまる」と自身の著書に記している。[1]
ボガート教授は、無性愛とは、他者への性的衝動を持たず、かつ他者に恋愛感情を抱かない人たちのことだとしている。
あくまで仮にですが、山口小夜子さんが無性愛者だったという可能性も、ないとは言い切れないのかもしれません。それなら、結婚したくてもできない、というより結婚そのものをする気がなかったのでl、結婚しなかったのではといえるかもしれません。
大胆な仮説を2点前掲してしまいましたが、話はもっと単純で、山口小夜子さんは時代を先にいく、ワーキングウーマンで、仕事を優先してしまったため結婚しなかった、と考えるのが一番自然かもしれません。今の時代なら、働いている女性で結婚しない方がいるのはおかしいことではないでしょうし。ただ、それにしても恋人がいたとか浮いた話の一つや二つあってもよさそうなものですが、そこは、モデル業はイメージが大切かもしれませんので、職業柄かポリシーなのか徹底して「結婚」をイメージさせるようなことは秘密にしていたのかもしれません。
以上、山口小夜子さんの「結婚」について探ってみました。いかがでしたでしょうか?
あまり「結婚」についての噂が出てこなく残念ではありますが、「仕事に生きた女性」としては最先端を行っていたのではないでしょうか?いずれにせよ、山口小夜子さんの素晴らしい業績は、末永くファンションやアートの世界で受け継がれていって欲しいものですね!
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