2016/07/29
jonasan
父親を紹介するまえに、倉木麻衣の経歴を振り返ってみようと思う。
1982年10月28日生まれの33歳。小学生6年生のときに歌を歌うことに興味を持ち始める。当時はピアノを習っていたらしく、将来は音楽に関わる仕事がしたいと思っていたようだ。ピアノの先生に、ピアノを弾くことよりも歌を歌うほうが向いていると言われた事がきっかけで、歌の道を進む決意を固めたという。
1999年、17歳で発売したデビューシングル「Love, Day After Tomorrow」が新人歌手としては異例の140万枚販売という大ヒットを記録する。当時、倉木麻衣はプロモーション活動としてTV出演もなければタイアップもなかった。
さらに2枚目、3枚目と大ヒット記録は続いていくことになる。現在までに、CD販売累計は1800万枚を数える。
倉木麻衣は祖父に詩人、祖母は女優。さらに父親も俳優という家系に生まれた。ある意味、芸能界で活躍することを約束されていたようなものだ。
今回、この記事で取り上げるのは元俳優という父親だ。倉木麻衣の父親が俳優だったということを知らない方も多いと思う。そこでまずはこの父親のプロフィールを紹介しよう。
優しそうな雰囲気のおじいさんといった印象を受ける。この男性こそ倉木麻衣の父親である。山前五十洋は1943年4月28日生まれの72歳。俳優から映画監督、プロデューサーを経て現在では実業家だという。
現在では「セーラー服刑事」シリーズで映画監督として活動する。最終作となる第5段において50年ぶりに俳優として出演している。
ちなみに芸名の「富士八郎」というのは、高校在学中にフジテレビのテレビ映画「天馬天平」に出演した際、編成局長がフジテレビの8チャンネルで放送しているからという理由で名づけたものである。
倉木麻衣の父親と母親は、倉木麻衣が17歳のときに離婚していたらしい。親権は母親のもとに渡ったという。だからといってなにか問題があるようには見えないが・・・。
倉木麻衣がデビューしたのは上で紹介したとおり17歳のときだ。そのデビューシングルが大ヒットしたことも上で記載したとおりだが・・・実はこの父親が倉木麻衣のヒットを見てとんでもないことを言い出したのだという。父親がとった行動とは?
最近では、デビューしたばかりの歌手やタレントが親のコネをつかって「○○2世」などと名乗ることも多いが当時では珍しい。しかも倉木麻衣の父親は俳優業から遠ざかって久しかっただけに、関係者でなければ父親だといわれても誰だ?となるだろう。
娘の大ヒットを見て実の父親だとわざわざ名乗り出てきた山前。なにが目的だというのだろうか?
離婚してはいるが倉木麻衣の父親としてなにか言いたいことがあったようだ。
この親父はいったいなにを考えているのか。倉木麻衣を金儲けに使おうと言うのだ。父親だったら何をしてもいいのか、という感じであるが金のためなら手段はいとわないということなのだろう。
倉木麻衣の父親が最低と呼ばれるようになった「事件」について、父親本人が語っている。抜粋して紹介していこう。
まだ若い倉木麻衣の父親と、どこか倉木麻衣に似ている・・・ような気がする女性が写っているこの一枚。なにが問題なのか?
前述の社長という男性が、倉木麻衣のそっくりさんでCDを出すといって父親に女性を紹介したというのだ。そのCDのジャケット撮影といわれて撮ったのが上の画像であるという。ところが・・・
“倉本麻衣”とも知らされず
俺も音楽CDと思うとったからニコニコして写真とったんやんか。その写真であたかも俺がAVやるみたいなことを新聞に発表したんや」
なんと一緒に写真を撮った女性は倉木麻衣そっくりで売り出しているAV女優だったのだ。この写真をスポーツ紙で公開され、「倉木麻衣の父親は倉木麻衣そっくりのAV女優とAVをやった」という一面記事にされたのだという。事実、東スポでそのような記事が出ていたらしい。
あくまで自分は騙されたのだ、と否定する父親。
それが本当ならまさしく史上最低の父親である。言い逃れも言い訳もできないが、父親曰く「俺は被害者、騒動は倉木麻衣の所属事務所にも説明して終わっている」という。東スポの一面記事が正しいのか、父親が正しいのかは今となっては不明だがこのような記事が出る時点で倉木麻衣の父親、と名乗る資格はない。
父親は現在、自分は倉木麻衣とは関係ないと言っているらしい。倉木麻衣とは絶縁状態か、それに近いのだろうと推測できる。
しかし倉木麻衣も、自分から縁を切りたいと思っているのではないか?こんな父親がいることはネットで永久に語られ続けるのである。
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【この記事は2019/11/20に更新されました。】