【元AKB48】前田敦子がセンターを務めたAKB48の話題曲とは!?
2016/08/14
sakurayuzu
2015/10/22 更新
前田敦子さんがAKB48を卒業した今も、ファンはもちろん一般の視聴者からも「AKBのセンターはやはり前田敦子」「前田敦子がいた頃はキラキラしていた」と言われているのはご存知ですか?なぜ前田敦子さんがセンターになったのか、ぞの理由に迫ります。
前田敦子さんは1991年7月10日生まれで、出身は千葉県市川市です。
身長は161 cmですが足が長く、スタイルがいいですね!
2005年からAKB48として芸能活動を始め、2007年に女優デビュー、2011年にはソロ歌手デビューを果たし、2012年人気絶頂の時にAKB48を卒業しました。
卒業公演はテレビで放送されるなど、その注目度も話題になりました。
卒業をしてからは女優として活躍しており、また、最近俳優の勝地涼さんとの結婚を発表しました!
前田敦子さんは、2005年の10月30日『AKB48 オープニングメンバーオーディション』に合格(応募総数7,924名、最終合格者24名)。
オーディションではダンス課題の練習に没頭する前田の集中力を評価され、合格になったそうです。この頃からダンスに対する熱意があったのでしょうね!
初めて舞台に立ったのは12月8日。オープニングメンバー候補生のうち20名として、AKB48劇場グランドオープンの舞台に立ったそうです。
まだあどけなさが残る前田敦子さん。他のメンバーもやはり今とはずいぶん違いますね!
以前テレビで、この頃はお客さんが少なく、毎日のように辞めたいと思っていたと語っていました。毎日公演を行いながら、たくさんのダンスを覚えるのも大変だったでしょうね。
活動をしていく中、突然AKBのセンターに抜擢された前田敦子さん。
センターはプロデューサーの秋元康さんによって決められたそうですが、センターに決まった時の思い出を前田敦子さんはこう語っています。
ホスト役の落語家・笑福亭鶴瓶から「『なんであの子がセンターなの?』って、やいやい言われることもあったらしいね」と聞かれた前田は、「ファンの方ももちろんだと思うんですけど、メンバーも、やらせてもらっている私も」と認めつつ、「目立つのがイヤだったんですよね。だから『目立ちたくないです』って泣いたのを覚えてます。まだ15歳くらいだったんで、もう泣くはわめくは、すごい迷惑かけてましたね、大人の人たちに。『なんで私がここで踊らなきゃいけないんですか?』って、センターなのに」と自身が“問題児”だったことを明かした。
センターになったのがとにかく嫌だったという、前田敦子さん。
元々暗くて、アイドルグループに応募したのに目立ちたくないという変わった子だったようです。普通はセンターになったら喜ぶと思いますが、そんなところも前田敦子さんらしさなのかもしれませんね。
そんな前田敦子さんですが、人一倍努力家でもありました。
AKBのダンスを教えている夏先生は、自身の著書でこう語っています。
「前田はわたしが全員に出していた課題を、夜中に帰って家でやっていた。この目に見えないところでの努力は、いつか必ず実を結ぶ。のちの前田が、それを実証してくれた」
そしてセンターで歌い、ダンスを踊る前田敦子さんにこう教えていたそうです。
「ここは誰もが立てる場所じゃないんだよ。センターには『舞台の神様』がいて、ここに立つことができるのは、その神様に選ばれた者だけなんだ。ここに立つものが努力をした分の何百倍も輝くことができるけれど、努力をしないと逆にものすごくひどい結果に終わる。ここはそういう特別な場所なんだ」
元々努力家の前田敦子さんも、この言葉を聞いてより頑張るようになったんでしょうね。まさに前田敦子さんは舞台の神様に選ばれた人だったのでしょう!
この後、AKBはテレビに引っ張りだこの人気者になっていきます。
軽やかなメロディーと青春の甘酸っぱい思い出を歌詞にしたような『ポニーテールとシュシュ』や、可愛らしい恋の歌の『ヘビーローティション』など人気の曲が次々誕生し、テレビでAKB、そして前田敦子さんを見ない日はないくらいの人気ぶり。
音楽番組ではいつも元気いっぱいにダンスする前田敦子さんの姿が見られました。
しかし、人気が高くなればなるほどセンターの重圧も増していくはず。
何十人といるAKBグループのセンターに立ち、歌ってダンスするのは大変なことだったと思います。人気に比例するように前田敦子アンチという人も存在も注目されていきました。
しかし、人気が高くなればなるほど、センターの重圧も増していくはず。
何十人といるAKBグループのセンターに立ち、歌ってダンスするのは大変なことだったと思います。人気に比例するように、前田敦子アンチという人もいました。
前田敦子さんはトークが苦手なようでした。人見知り、引っ込み思案の性格からか黙っているだけだったり、にこにこしていなかったり。そのためやる気がないと思われることもあったそうです。
またダンスについても動きが大きくないため省エネダンスと言われたそうです。
他の人を応援しているファンは、そんな態度なのにセンターの前田敦子さんを快く思わなかったようで、批判が集まっていました。
さまざまな批判を前田敦子さんは受け止め、背負い、強い言葉を残しています。
また、批判に関してのエピソードもあります。
気持ちを強くもって批判の声に耳を傾けると、私自身、わかりきっていることばかりだったんです。むしろ、私は前田敦子のダメな部分をたくさん知ってるぞって(笑)
だったら、人に言われる前に自分で自分にダメ出しをして、厳しく叩けばいい。
『情熱大陸』の中で「心無い言葉に傷つきませんか」という質問をされたとき、「傷つきますよ。だけど私が負けなきゃいいだけの話ですよね」と答えたんです。この言葉を聞いたときは、本当だ!って衝撃でしたし、納得しました。
前田といえば、昨年の総選挙で1位に返り咲いた時の「私のことは嫌いでも、AKBを嫌いにはならないでください」というコメントが印象深い。グループのエースは常に批判の矢面に立つものだが、真面目な前田は、アンチによるネット上のバッシングを無視することができなかったという。心ない中傷を書き込まれるたびに気に病み、それが総選挙の際の“名言”につながったようだ。涙ながらに発したこの言葉が多くの人の気持ちを揺さぶったのは、心からの叫びだったからだろう。
前田敦子さんはこのように、センターの自分に浴びせられる批判を真摯に受け止めていました。
こんなことを言われながらも、立派にセンターを務めていた前田敦子さんには脱帽です。しかし、こんな風に強く生きられる人だからこそセンターになれたのでしょう。
センターとして色々ありながらも、2012年に前田敦子さんはAKB48を卒業しました。
前田敦子さんは念願の東京ドーム公演を終えた次の日、AKB前田敦子始まりの場所、AKB劇場で卒業公演を行い、テレビで中継もされました。
終始笑顔で公演を行った前田敦子さんは、ファンに向けてこんな言葉を残しました。
「この7年間、すごく大変なこともたくさんあったと思います。みんなで辞めたいって、それしか言わなかった時期もあったと思います。でも、それを乗り越えてここまで来れたのはAKBのメンバーがいたからです。みんなで1つの目標に向かってこれたからです。今日は笑顔で言えそうです。今まで本当にありがとう」
「私はこの劇場が大好きです。そしてこの劇場で一緒に踊ってくれた、一緒に応援してくれた皆さんが本当に大好きです。約7年間、長かったのか短かったのかはわかりませんが、最高の7年間でした。皆さん、本当にありがとうございました。AKB48チームAの前田敦子でした」
きっと人一倍辛いこともあったでしょう。メンバーからのメッセージでも、それが透けて見えました。
それでも笑顔でファンと向き合った前田敦子さんの言葉に、心打たれた人も多かったのでしょうね。会場にはあっちゃんコールが響き渡りました。
2012年の卒業からずいぶん経った今でもAKBのセンターに1番相応しかったのは前田敦子だと言われる所以。
それは圧倒的に魅せ方を知っているダンスといるだけで様になるその存在感のようです。
たくさんの女の子たちの真ん中でキラキラ輝き、自分だけでなく周りも輝かせてしまう。そんな魅力を持った前田敦子さんがAKBでダンスを踊るところをもう見れないのは残念ですが、これからの前田敦子さんの活躍にも注目したいですね!!
AKB48は今でもとても人気がありますが、2012年の卒業からずいぶん経った今でも、AKBのセンターに1番相応しかったのは、前田敦子だと言われています。
それには前田敦子さんには努力家で真面目、そして強さという、センターに相応しいものがあったからでしょう。
ここからは、前田敦子さんがセンターを務めたものの中から5曲ご紹介します。
AKB48のメジャー曲ファーストシングル『会いたかった』のセンターは、もちろん前田敦子さん。この曲は誰もが知っている、AKB48の定番の曲ですね!
こちらの曲はm今や名物となっている、“AKB48選抜総選挙”の第1回の選抜メンバーによるシングル『言い訳Maybe』。
もちろん1位になった、前田敦子さんがセンターです。
夏らしさ全開の21枚目のシングル『Everyday、カチューシャ』でも、センターを務めました。
こちらは、第3回の総選挙の結果が対象となったシングル『フライングゲット』。
振り付けが印象的でしたね。
こちらは、前田敦子さんにとってAKB48最後の曲『真夏のSounds good!』です。
夏の曲が、最後の曲となりました。
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元AKB48の前田敦子さんは、不動のセンターとしてグループを引っ張っていましたよね。そんな前田敦子さんは、グループを卒業して時間が経った今も、「AKBのセンターはやはり前田敦子」「前田敦子がいた頃はキラキラしていた」と言われています。
そんな前田敦子さんは、なぜまだAKB48が売れていない時からセンターを務めていたのでしょうか?今回は、その理由に迫ります。