2015/10/26
うさみさん
米倉涼子
生年月日:1975年8月1日(40歳)
出身地:神奈川県横浜市
身長:168cm
靴のサイズ:24.5cm
血液型:B型
星座:しし座
趣味:映画・舞台鑑賞・料理
特技:クラシックバレエ(5歳から20歳まで)
嫌いなもの:虫・鳥
美容法:ピラティス・白湯や玄米茶をよく飲む、など
・横浜市立南希望が丘中学校卒業後、神奈川県立旭高校卒業
・5歳から20までの15年間クラシックバレエを続ける。
・1992年第6回全日本国民的美少女コンテストで審査員特別賞を受賞
・1993年モデルデビューする。(ファッション誌『CanCan』などに掲載される)
・1995年ファッション誌『CanCan』の専属モデルになる。
・1999年「女優宣言」を発表する。
・2000年『恋の神様』(TBS)
『天気予報の恋人』(フジテレビ)
『20の結婚』(TBS)
『ストレートニュース』(日本テレビ)など数々のテレビドラマに出演し女優に転身する。
・2001年『ラブ・レボリューション』(フジテレビ)
『非婚家族』(フジテレビ)
・2002年『愛と青春の宝塚』(フジテレビ)『プリティーガール』(TBS)
・2002年『整形美人』(フジテレビ)で初主演をする。
・2003年NHKの大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』に出演する。
・2004年『奥様は魔女』(TBS)主演
『松本清張 黒革の手帖』(テレビ朝日)主演
・2005年『黒革の手帖スペシャル~白い闇』(テレビ朝日)主演
『女系家族』(TBS)主演
『NHK開局80周年記念 橋田壽賀子ドラマ ハルとナツ届かなかった手紙』主演
(10月2日~6日放送)
『女の一代記「悪女の一生~芝居と結婚した女優・杉村春子の生涯」』(フジテレビ)主演
・2006年『松本清張 けものみち』(テレビ朝日)主演
『黒革の手帖』の舞台版で本人念願の舞台を公演
『不信のとき~ウーマン・ウォーズ』(フジテレビ)主演
・2007年『松本清張 悪いやつら』(テレビ朝日)主演
『肩ごしの恋人』(TBS)主演
・2008年『交渉人~THE NEGOTIATOR』(テレビ朝日)主演
『モンスターペアレント』(フジテレビ)主演
『氷の華』(テレビ朝日)主演
・2009年『交渉人スペシャル~THE NEGOTIATOR』(テレビ朝日)主演
『交渉人~THE NEGOTIATOR』(テレビ朝日)主演
・2010年『ナサケの女~国税局査察官~』(テレビ朝日)主演
・2011年『HUNTER ハンター~その女たち、賞金稼ぎ~』(関西テレビ)主演
・2012年『ナサケの女 スペシャル~国税査察官』(テレビ朝日)主演
『ドクターX~外科医・大門美知子~』(テレビ朝日)主演
『松本清張没後20年・ドラマスペシャル 熱い空気』(テレビ朝日)主演
・2013年『ドクターX~外科医・大門美知子~2』(テレビ朝日)主演
『35歳の高校生』(日本テレビ)主演
・2014年『ドクターX~外科医大門美知子~3』(テレビ朝日)主演
『家政婦は見た!』(テレビ朝日)主演
『アウトバーン マル暴の女刑事・八神瑛子』(フジテレビ)主演
米倉涼子さんには夢があった。それは『プロのバレリーナ』になること。
5歳からバレエを習い始め毎日のように稽古に励んでいたという。
テレビ番組に出演した際に【熊川哲也】さんと同じ稽古場に通っていたこともあり、尊敬する存在であると語っている。
《【熊川哲也】=16歳の時、東洋人で初めて『英国ロイヤルバレエ団』(世界三大バレエ団と称される)に入団、プリンシパル(首席ダンサー)になる。
トップダンサーとして世界各国で活躍する。Kバレエカンパニーを設立し、現代バレエ界を牽引する重要人物。》
また、熊川哲也さんが16歳の時に『ローザンヌ国際バレエコンクール』で日本人で初めて金賞を受賞した時の踊りを見て「羽が生えて飛んでるみたいに見えた」と感動した様子を語っている。
高校生の時、友人がコンテストに応募したことがきっかけで19歳の時に芸能活動を始める。
モデルの仕事が忙しくなるとバレエの稽古に通えなくなった。
20くらいまでの米倉涼子さんは、今とは大分違っていたという。
女性ばかりでライバルばかりだったバレエの世界の人間関係で、誰かが内緒話をしていると、私の悪口を言ってるのではないかと考えてしまい、一時は何もしていなくても、されていなくても「すみません」と言っていたという。
そんなネガティブな性格を変えるきっかけになったのは、モデルの仕事だった。
人見知りを克服する為に、意識的に自分から話しかけたり、マイナス思考な発言を言わないような振る舞いをするなど、男っぽくあることをコンセプトにしていた時もあったという。
そのような経験から、今の米倉涼子さんに変わっていったようだ。
クールな役柄が多いことで、イメージとしては、「かっこいい、、サバサバしている、姉御肌」など言われることも多い。
しかし、周りのスタッフからは「自信が無さすぎる」と言われることもあるという。
『黒革の手帖』『ドクターX~外科医・大門美知子~』「などのゼネラルプロデューサーの内山聖さんは「実はもの凄く小心者・人見知り・甘えっ子」と言っている。
自分を律しエネルギーを注ぎ集中している女優・米倉涼子ではない姿、信頼し心を開ける相手に見せる米倉涼子さんの素敵な素顔の一部だと思う。
テレビ番組でバレリーナを諦めたことが心にあるということも語っていた、今の職業はバレリーナではないが、15年ほどのバレエ生活で培われた努力と向上心や表現力などが、今の女優としての活躍に繋がっていると感じる。
1924年のジャズ全盛期時代のアメリカ合衆国、禁酒法時代の『イリノイ州シカゴのクック郡』で、
実際に起こった2つの殺人事件の裁判を取材した、女性記者の『モウリン・ダラス・ワトキンス』がその事件の裁判を『シカゴ・トリビューン』紙でコラムとして報じたところ人気となり、これを基に発案し演劇の脚本『CICAGO』を執筆した。
その事件とは・・・
1924年4月3日に当時23歳の『ビューラー・アナン』(【ロキシー・ハート】のモデルになった人物)が『ハリー・カルステット』を殺害した。
同紙は、アナンは夫に、自分を襲おうとした男を殺したと電話したと伝えている。
《その時、アナンは『フォークストロット』のレコード『Hula Lou』を2時間かけ続けた後に、夫に電話したとも伝えられている。》
というところが『CICAGO』でのポイントになっていると感じる。
同年の5月25日にアナンは無罪になっている。
1924年5月12日、『ベルヴァ・ガートナー』(【ヴェルマ・ケリー】のモデルになった人物)が遺棄した車の中から亡くった『ウォルター・ロウ』が発見される。
この時、ハンドルに被さるように前かがみの格好だったという。車の床からはジンのビンと自動拳銃が見つかる。
「女性が車に押し入った後、すぐに銃声がした」という証言を警官が掴む。
《ヴェルマはキャバレーの歌手で離婚経験があった。》
というところが『CICAGO』でのポイントになっていると思う。
同年の6月6日ガートナーも無罪になる。
弁護士の『ウィリアム・スコット・スチュワート』と『W・W・オブライアン』が弁護士【ビリー・フリン】のモデルとなった人物。
この2つの事例は1920年代の女性観を変えた。
女性が恋人や夫を殺すニュースは注目を集めることになった。
当時、殺人犯は絞首刑になっていたが、シカゴでは《女性らしい又は魅力的な女性》は有罪にならなかったと伝えられている。
当時の陪審員は全員男性だったという。
また、当時の女性記者は『泣きの尼』と嘲笑されていた。それは女性被告の『魅力・品位・立場』などに注目し、メディアは女性被告をセレブリティーとして扱う事があったという。
今の時代もメディアの影響力は大きいが、『被告人がセレブルティー』として扱われていたとは驚きを超えて理解し難い、それだけ『CICAGO』が人々の心を掴んだという表れなのだろう。
ワトキンスの演劇『CICAGO』は民衆の人気と批評家の賞賛を受け、1926年にブロードウエイに進出し、172公演を上演した。
1927年、セシル・B・デミルのプロデュースによるサイレント映画『シカゴ』がロキシー役にフィリス・フェイヴァー、ヴェルマ役にジュリア・フェイが配役されて製作された。
1942年、サイレント映画『ロキシー・ハート』としてジンジャー・ロジャース主演でリメイクされた。ただしこの版ではロキシーは無実の罪を着せられている。
今から、およそ90年も前に、演劇版の『CHICAGO』が公演されたことが、ブロードウェイ・ミュージカル『CHICAGO』の原点。
その後、制作された映画『CHICAGO』がサイレント映画というところに改めて歴史を感じる。
サイレント映画『ロキシー・ハート』でリメイクされていることから『ロキシー・ハート』の人気の高さが伺える。
1975年にオリジナルのブロードウエイ公演が46番通り劇場にて初演され、1977年までに936公演上演された。オリジナルではボブ・フォッシーが振付も手掛け、彼のスタイルがこの作品に如実に表現されている。1979年、ウエスト・エンドに進出して600公演上演され、1996年ブロードウエイで再演され、その1年後にウエストエンドでも再演された。
脚本を手掛けた、『ボブ・フォッシー』がオリジナルの振り付けも手掛けているとは、多く才能に驚かされる。
40年の歴史がある、ブロードウェイ・ミュージカル『CHICAGO』
ブロードウエイ再演では7,300回以上を上演し、再演ミュージカル作品では最長、ブロードウエイ史上アメリカのミュージカルで最長、ブロードウエイ史上海外作品も合わせると『オペラ座の怪人』、『キャッツ』に続き第3位のロングラン公演の記録を持っている。ウエスト・エンドでの再演は15年近く続き、ウエスト・エンド史上アメリカのミュージカル作品で最長の記録を持っており、他に国内外のツアー公演も行っている。アカデミー賞を受賞した映画版『シカゴ』はロブ・マーシャル監督、レネー・ゼルウィガー、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、リチャード・ギア、ジョン・C・ライリー、クイーン・ラティファ主演で製作された。
ブロードウェイ・ミュージカル『CHICAGO』は再演から16年のロングラン。
初演から合わせると1万回近くなる上演回数が人気の凄さを物語っている。
映画版の『CHICAGO』は観た方も多いのではないだろうか。
ダンスや歌はもちろん、『ブリジット・ジョーンズの日記』とは全くイメージの違う『レネー・ゼルウィガー』の悪女なのに憎めない可愛らしさや『キャサリン・ゼタ=ジョーンズ』の妖艶さ、2人の女の戦い『リチャード・ギア』の要求する額お金を払うなら助けるという傲慢な態度などが面白い映画。
ミュージカル『CHICAGO』
原作:『モウリン・ダラス・ワトキンス』脚本の演劇版『CHICAGO』
脚本:『フレッド・エブ』『ボブ・フォッシー』
作詞:『フレット・エブ』
作曲:『ジョン・ケンダー』
実際に起こった事件を辛口コメディーのブロードウェイ・ミュージカルにして発表し、高い人気を維持しているところがアメリカのショービジネスの実力なのだろう。
1920年代中期、ジャズ全盛期のアメリカ合衆国イリノイ州シカゴで、ヴォードヴィリアンのヴェルマ・ケリーは夫と妹が浮気をしているのを目撃して2人を殺害し、彼女は観客を歓迎する(『All That Jazz 』)。その頃コーラス・ガールのロキシー・ハートは彼女を捨てたナイトクラブの常連客で愛人のフレッド・ケイスリーを射殺し逮捕される。
いつの時代も男と女の恋愛の複雑さや利害関系などの縺れから、男女の恋愛がらみの殺人事件は起こりやすいのだと感じる。
また、そのような事柄をこんなにセンセーショナルにお洒落に表しているブロードウェイ・ミュージカル『CHICAGO』はすごい。
ロキシーは強盗を撃ったのだと語り、お人よしの夫エイモスは気軽に責任を買って出たため、ロキシーは夫の頭が弱いことに感謝する(『Funny Honey 』)。しかし警察が被害者の名を明かすとエイモスは遅ればせながらも事情を把握し、真実が明らかになったためにロキシーは逮捕される。彼女がクック郡刑務所女子棟に送られると、その監獄には元ナイトクラブの歌姫ヴェルマ・ケリーのほか、殺人者たちが収監されている(『Cell Block Tango 』)。ここは需要に応えた相互扶助で贈収賄を行なう看守ママ・モートンに牛耳られている(『When You're Good to Mama 』)。彼女はヴェルマがヴォードヴィルに華々しく復帰するようにエージェント業も行ない、メディアの「今週の殺人者」のトップになるよう働きかける。
「夫の頭の弱いのに感謝する」ここが『ロキシー・ハート』が被告人として、刑務所に居ながらもスターになっていく大きなポイントになっている。
騙されやすいから、操りやすいのだ。
刑務所の看守との関係を良くしておくと刑務所での生活レベルがこんなにも違うのだろうかと驚く。
ことわざの「長い物には巻かれろ」(力のある者には従ったほうが得策であるという例え)正にこれに尽きる。
悪徳敏腕弁護士ビリー・フリンの力でメディアの注目を一身に集め、監獄の中にいながらもスターとなっていたヴェルマは、浮気をしていた夫と妹を殺しておきながら、ビリーのマスコミ操作で無罪になる日も近い。ロキシーは憧れのヴェルマに近づこうとするが、相手にもされない。ヴェルマはロキシーがスポットライトだけでなく悪徳敏腕弁護士ビリー・フリンを奪ったことが気に入らない。看守ママ・モートンの手引きを受けたロキシーは 、エイモスに金を出させてビリー・フリンを雇う(『A Tap Dance 』).。多くの女性依頼者にお願いされ、ビリーはダンサーおよびコーラスと共に歌う(『All I Care About is Love 』)。ビリーはロキシーを担当することになり、同情的なタブロイドのコラムニストであるメアリー・サンシャインにより、彼女の身の上話が作り上げられる(『A Little Bit of Good 』)。ロキシーの記者会見では、ロキシーは口を動かすだけで言葉は発さず、ビリーが新たに作り上げた「真実」が腹話術で語られる(『We Both Reached for the Gun 』)。ビリーがでっちあげた正当防衛の筋立てが功を奏し、悲劇のヒロインとして一世を風靡するロキシー。スポットライトから外され、今度は嫉妬する側になったヴェルマ。
夫を騙し弁護士費用を出させ、悪徳敏腕弁護士「ビリー・フリン」の力と自分の持っている女の武器を使い悲劇のヒロインになりすます、悪女っぷりや立場の逆転してしまったロキシーとヴェルマの女の戦いが物語を盛り上げている。
ロキシーはシカゴの新たな有名人となり、将来のヴォードヴィルでの活躍を自慢げに語る(『Roxie 』)。ロキシーの名声は上がる一方ヴェルマの評判は下がり、スターの座を奪われたヴェルマは思い切ってロキシーにデュエットを持ちかけるが今度は自分が相手にされない(『I Can't Do It Alone 』)。そんな中、新たな女性殺人犯の令嬢キティが登場し、マスコミの関心はそちらに移ってしまう。ロキシーとヴェルマはそれぞれ自分以外に誰も頼りにできないと悟り(『My Own Best Friend 』)、ロキシーは咄嗟に「妊娠中」と嘘の告白をし、スターの座に返り咲く。
有名人になるも、それも一時。新たな魅力的な女性被告が現れてしまい、世の中の関心の移ろいやすさや人気を維持することの難しさがおもしろおかしく描かれている。
妊娠中という嘘で返り咲くというところが、正しく女の武器の最終兵器ともいえる。悪女極まりない。
ヴェルマは女優のテキサス・ガイナンがよく使っていた「Hello, Suckers 」という挨拶を使い、再度人気が上がる。彼女はロキシーが見え透いた嘘をついたにも関わらず (『Me and My Baby 』)、幸運が続いていることを語る(『I Know a Girl 』)。頭の弱いエイモスは自分が父親になることを喜ぶが、誰も彼の存在に気付かない(『Mr. Cellophane 』)。ヴェルマはビリーに裁判の計画を語る (『When Velma Takes The Stand 』)。ロキシーはこれに不満を持ち、ビリーと大喧嘩をして彼を解雇する。彼女は監獄内の女性が絞首刑を実行されることを知り、解雇を覆す。
ここでもまた、夫のエイモスがロキシーの見え透いた嘘に騙され、父親になることを喜ぶが誰にも気付かれないところが、滑稽で哀れにさえ思える。
策略渦巻く人間の汚い心が描かれていて「正直者は損をする世の中」ということを痛感させられる場面でもある。
裁判日が決まり、ビリーは裁判をショーとしてうまく演じれば全てうまくいくと語り(『Razzle Dazzle 』)、靴のラインストーンのバックルに至るまでヴェルマが計画した裁判のアイデアをロキシーに全て与え、ヴェルマとママ・モートンは驚愕する(『Class 』)。約束通り、ビリーはロキシーの無罪を勝ち取ったが、常に新し いスキャンダルを追い回しているマスコミは劇的な判決結果にもロキシーの存在にも無関心で、ロキシーはセレブリティの座から転落する。裁判をショービジネスと考えるビリーは、相変わらず意欲的に悪徳弁護を続けている。エイモスは彼女の味方であったが、実は妊娠していないことを明かすと彼も去ってしまう。ロキシーは立ち上がり、前向きに生きていくことを決心する(『Nowadays 』)。新たなショーでヴェルマとタッグを組んで歌い踊り("Hot Honey Rag")、出演者全員が登場して大団円を迎える(『Finale 』)[6]。
裁判をショーとして捉えていて裁判場がまるで演劇場のようになり、『CHICAGO』の見所の1つ。
しかし、虚像で勝ち取った勝利は脆く裁判には勝っても、結局人生では勝てない。
人生は甘くないということ。
しかし、前向きに生きると決めると人生は大逆転!
ライバル同士だったロキシーとヴェルマが手を組むことで「夫を殺した元女性被告人のデュオ」として人気になる。
自分の成功の為なら、ライバルと手を組むことも厭わない女のしたたかさが生んだ勝利。
状況は大きく異なるが逆境をバネにして、以前より人気を得る女性芸能人が多いのも女はここぞという時に強い!ということを物語っているのでは。
米倉涼子『情熱大陸』米倉涼子の素顔やブロードウェイに立つまでの日々
米倉涼子は、あるオーディションを受けるためトレーニングを続けていた。米倉涼子が長年追い続けた夢とは?
米倉涼子はプロのバレリーナを夢見て5歳から20歳までレッスンに通っていた過去がある。
子供の頃の夢を諦められない米倉はミュージカル「CHICAGO」に出会う。
2002年には映画化され、アカデミー賞で6部門を受賞。
そんなCHICAGOに惚れ込んだ米倉は、日本語版CHICAGOで主演に抜擢。
その時、いつかNYの舞台に主演として立つ夢を抱く。
関係者に直談判した米倉涼子は、「ビデオオーディションに合格すれば出演を認める」という条件を取り付けた。
2011年春、米倉涼子はオーディションの合格を目指して練習を開始。
踊りはマスターしているものの、台詞は全て英語となり、台詞に集中すれば踊りが疎かになってしまう。
そして稽古開始から5ヶ月後、ブロードウェイにビデオを投稿。一月に一本のペースで送るが、合格の知らせは届かなかった。
7本目のビデオを送った時には、オーディション開始から1年が経とうとしていた。
すると一週間後、ブロードウェイから合格の通知が届く。
米倉涼子は、一週間後にブロードウェイデビュー決定発表記者会見を敢行。
自分は「CHICAGO」をやるために生まれてきたと語った。
「米倉涼子ってこんなふうになれるんだということが楽しい」という、米倉涼子さんの言葉が印象的だった。
そこには、米倉涼子さんの謙虚で向上心のある性格が表れていると思う。
米倉涼子さん自身も語っていたが、「やらなくても芸能人としてやっていける」状態でなお高みを目指すために、努力し続ける直向な姿に心打たれる。
ブロードウェイの『CICAGO』の関係者に出演を直談判し、忙しい仕事の時間をぬい、
「英語の台詞・歌・ダンス」の練習に励み、連絡来なくても諦めずに7回もビデオを送り続ける信念で主役『ロキシー・ハート』役を掴み獲った姿に感動した。
米倉涼子さんの「『CHICAGO』に恋した・『CHICAGO』をやるために生まれてきた」という言葉の深さを感じる。
『NY劇場潜入』米倉涼子ブロードウェイデビューに向けて
米倉涼子さんの充実ぶりが良く分かる。
米倉涼子さんの人間性が周りの人々にも認められ打ち解けているのが伝わる。
コミュニケーションの円滑さも成功の秘訣に感じる。
2012年7月10日、米倉涼子はブロードウェイでデビュー。開始前に止まらなかった震えは、本番になると止まっていた。見事に「CHICAGO」を演じきった彼女は、極度の緊張で当時のことは覚えていないという。頑張った分、神様がついててくれたと語った。
ブロードウェイでの稽古で、日本で練習してきた演技を見せた時に「いいよ。練習頑張ってるね」と言われ、英語で「はい、もちろん頑張ってる」と答えていた。
「練習は裏切らない」その通りのようだ。
また、後のインタビューで音楽監督の女性が「涼子は1度も弱音を吐かなかった。」と語っていたが、NYで1人、やると決めた米倉涼子さんの覚悟の強さがブロードウェイデビューの成功に繋がったのだと思う。
「やる決めたときに、既に半分叶っている」とも聞くし、「諦めなければ夢は叶う」という。
それを証明して見せた。
そして何より「アジア人初の主役」を実力で掴み取り、ブロードウェイの観客の心も掴み『ロキシー・ハート』を演じきったのだ。
この画像からも、ブロードウェイの舞台で欧米人に引け劣らない存在感やスタイルの良さが分かる。
身長168cmなので靴を履いたら170cmを超えている。
身長やスタイルの良さも、ミュージカル『CHICAGO』の主演を演じるには、欠かせない要素のようだ。
『ロキシー・ハート』が注目されていく様子が感じられる画像。
米倉涼子さん自身も、ロキシーと自分を重ねているというが、
米倉涼子さん演じるロキシーの可愛らしさのある綺麗な顔、白い肌と長く美しい手足が、ロキシーが美しさで民衆を引き付け、スターになっていくところにぴったりだと思う。
『ロキシー・ハート』を演じる、米倉涼子さんの見せ場の1つの重要なシーン。
世間の同情を引き付け、悲劇のヒロインになるため、悪徳敏腕弁護士『ビリー・フリン』に『ロキシー・ハート』が操られる様子を腹話術の人形と腹話術師に例えてコミカルに演じている。
映像を観てもらえば良く分かるが、米倉涼子さんの表情が様々に変わりとても豊かで引き付けられる。
米倉涼子さんのこの自信に満ちた、生き生きとした表情から今までの数え切れない努力を乗り越え掴んだ栄光を感じる。
『ロキシーとヴェルマ』がタッグを組み人気スターとして踊り歌う、ラストシーン。
米倉涼子さんが語っていた「このシーンの為に、最初の難しい歌のシーンも頑張れる」
ヴェルマ役のアムラさんとのこのシーンが1番楽しいと。
日本での練習でもブロードウェイでの練習でも、このシーンのダンスの練習の様子を観ると、とても楽しいという感情が画面で観ていても伝わってくる。
米倉涼子ブロードウェイデビュー『独占!ニューヨーク関係者の本音』
米倉涼子さんのブロードウェイデビューについて様々な意見があると思う。
どのような視点で見るかで、大きく異なるからだ。
米倉涼子さんの情熱と弛まぬ努力が人々の心に感動を与えたという事実。
尊敬してやまない、熊川哲也さんにも「がんばった。」という言葉をもらい感動したという。
ブロードウェイ進出、記者会見の時に「CHICAGOをやるために生まれてきた」と語り、
ブロードウェイ出演後には「生きてる証だと思う」と語っていることこそが、
米倉涼子さんのブロードウェイデビューのすべてではないかと思う。
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