2018/06/12
あやぽんた。
今見てもお美しい、夏目雅子さん
本名:西山 雅子
生年月日:1957年12月17日
没年月日:1985年9月11日(満27歳没)
出身:東京都港区六本木生まれ
職業:女優
活動期間:1976年~1985年
1957年12月17日、東京都港区旧高樹町の日赤病院にて、六本木の輸入雑貨店・亀甲屋の子として生まれる。父親は貿易商[1]。3歳上には兄、10歳下に弟がいた。趣味は毛糸の編物、絵(デッサン)、琴、古い食器収集、俳句(東京俳句倶楽部所属、俳号は海童)、生け花(草月流)。
小学3年生のときにテレビドラマ「チャコちゃんハーイ!」を見て女優を志したのが初め。この時に子役になりたいと思ったが母親に猛反対されかなわず、後に17歳のときにヴィットリオ・デ・シーカ監督の映画「ひまわり」を映画館で見て衝撃をうけ、ソフィア・ローレンに憧れ、本格的に女優を目指すようになった。
1976年、東京女学館短期大学にそのまま進学してフランス語を専攻するが、入学直後に、父の友人のツテでタオルメーカー内野株式会社(現UCHINO)のコマーシャルに出演。これはデビュー前で最初のテレビ挑戦だったが、厳しい学校であったので、結局、短大は中退することになる。
同年、日本テレビ・愛のサスペンス劇場『愛が見えますか』のオーディションで486人の応募者の中から盲目のヒロイン役に選ばれ、本名(小達雅子)で女優デビューした。この時の演技は57回連続NGを出され、「お嬢さん芸」と言われたほど拙いものであった。周囲から“お嬢さん”と見られることは後々まで彼女のコンプレックスであった。
美人薄命と言う言葉がありますが、残念ながら、1985年にお亡くなりになっている夏目雅子さん。今でもインターネットなど画像を見る事はできますが、若い人は生前の姿をご存じなかったり、思い出せなかったりするのではないでしょうか。
夏目雅子さんの死は、彼女が亡くなるにはとても若かったこともあり、当時はとても衝撃的な物だったと想像できます。夏目雅子さんの死因はなんだったのでしょうか?
夏目雅子さんの身体を突如襲った体調不良から、それは始まります。
1985年2月14日、舞台『愚かな女』の公演の最中10円玉大の口内炎が出来、さらに激しい頭痛等極度の体調不良を訴える。それでも泣きながら「這ってでも舞台に戻る!」と頑なに出演続行を望む夏目本人を何とか説得して、共演の西岡徳馬の勧めにより翌2月15日慶應義塾大学病院に緊急入院した。
急性骨髄白血病とは、所謂血液のガンです。
血液細胞には赤血球、血小板、白血球があり、これらの血液細胞が骨髄で作られる過程でガンになります。癌化した細胞(白血病細胞)が骨髄内で増殖し、骨髄内を占拠してしまうため、正常な血液細胞が減少し、貧血や免疫の低下、出血傾向(血が止まらない)、脾臓(血液を貯蔵しておく臓器)の肥大などの症状があらわれます。
夏目の入院と共に夫の伊集院は、仕事をすべて辞めて彼女が亡くなるまで母親らと共に看病にあたった。当初から、娘の芸能活動にずっと反対だった母スエは、彼女が入院して初めて娘の出演する作品をみてベッドの彼女に話しかけた。その時彼女はとても喜んだという。
1985年9月11日午前10時16分、逝去。約7ヶ月という長い闘病生活を送りながらも順調に回復し、退院間近の報道もあった矢先であったが、その後、抗がん剤の副作用等が原因とみられる肺炎を併発。8月下旬からずっと高熱を発し、9月8日に突然熱が一時的に引いたが、翌日から高熱を発して意識不明の重体になり27歳で死去。
夏目雅子ひまわり基金
夏目雅子さんは闘病生活の上で、治療薬の副作用による脱毛に悩まされていたそうです。脱毛を恐れて副作用の弱い薬を選んだ事が、死に繋がったのではないかと、夏目雅子さんの母小達エスさんの後悔の念から、夏目雅子さんの遺産を元に癌患者へ無償でかつらを貸し出す組織、『夏目雅子ひまわり基金』が、1993年12月に設立されました。
ひまわり基金では、かつらの無償貸し出しと、不要になったかつらをクリーニングや修繕して再利用する活動の他、「ひまわりカップ」というチャリティーゴルフ大会も企画し、ドナーカードの登録や骨髄移植、エイズの正しい知識などの各種の啓発活動も合わせて行っている。
夏目雅子ひまわり基金では、現在も活動を支援してくれる賛助会員を募集しています。
夏目雅子さんと言えば、やはり堺正章主演の『西遊記』を挙げる方が多いのではないでしょうか!画像と共に、美しい夏目雅子さんのお姿を振り返りたいと思います。
テレビドラマ『西遊記』
1978年から1980年にかけて日本テレビで放送されたドラマシリーズ。
主演は堺正章(画像中央)、夏目雅子(画像右)、岸辺シロー(画像上)、西田敏行(画像左)。
放送期間:1978年10月1日-1979年4月1日、同4月8日(総集編、2時間スペシャル)
主題歌:ゴダイゴ オープニング:『Monkey Magic』 エンディング:『ガンダーラ』
挿入歌:堺正章:『今では遅すぎる』、『この道の果てまでも』 ゴダイゴ:『THANK YOU, BABY』他
ゴダイゴが担当したOP、EDは伝説に残る名曲です。今でもカラオケで歌う人が多いのでは?
短気だが明るく人情味あふれる悟空、心美しく3人の弟子の良き指南役である三蔵、ニヒルで飄々とした悟浄、大喰いで女性に滅法弱いが愛嬌のある八戒などの演者の個性に合わせたキャラクター設定と、軽妙な掛け合いが人気を博す。本来男性である三蔵法師を女性である夏目が演じる事で、高貴で中性的な三蔵法師像を演出した
画像:夏目雅子さん演じる三蔵法師
本当は男性である三蔵法師を、女性である夏目雅子さんが演じていました。この事で、歴史上の人物三蔵法師は女性であると勘違いした人は多いのではないでしょうか?
夏目雅子さんが画像のような美しい三蔵法師を演じてからは、後にドラマ化される西遊記でも三蔵法師は女性が演じると言うスタイルが踏襲されています。
画像:夏目雅子さん演じる三蔵法師
ドラマの中では、こんな坊主頭の夏目雅子さんも……。
当時としては女性の坊主姿はかなり衝撃的だったと思われます。
画像:93年版ドラマ西遊記
93年版ドラマ西遊記では、女優の宮沢りえさんが三蔵法師を演じました(画像左から二番目)。
孫悟空役は本木雅弘さん(画像左端)です。
画像:2006年版ドラマ西遊記
2006年にも西遊記はドラマ化され、三蔵法師は深津絵里さんが演じました(画像右端)。
孫悟空はSMAPの香取慎吾さん(画像右から二番目)、沙悟浄はウッチャンナンチャンの内村光良さん(画像左から二番目)、猪八戒は伊藤淳史さん(画像左端)と、とても豪華なキャスティングです。
続いて、夏目雅子さんの画像を、可能な限り作品名とともに紹介していきます!
1977年ドラマ『悪魔の手毬唄』別所千恵子
金田一耕介シリーズの一つ『悪魔の手毬唄』に出演された夏目雅子さんの画像。大空ゆかりと言う芸名の女優の役だそうです。
夏目雅子さんは顔立ちがはっきりしているので、赤い口紅がすごく映えますね。
1980年『サンキュー先生』
西田敏行さん主演のドラマ『サンキュー先生』の画像です。
夏目雅子さんは1話に友情出演されていたそうです。
うーんお美しい!!!
1984年映画『瀬戸内少年野球団』
阿久悠の自伝的小説が原作の、淡路島が舞台の映画です。
この映画では画像のような、夏目雅子さんの美しい泣き顔が沢山出てきます…!
1984年映画『瀬戸内少年野球団』
続けて夏目雅子さんの泣き顔の画像です……
1984年映画『瀬戸内少年野球団』
さらにさらに、夏目雅子さんの泣き顔画像。
この画像のシーンの続きは、お子様にはお見せできません!
さらに、夏目雅子さんの画像を可能な限り作品名とともに紹介していきます!
夏目雅子写真集~HIMAWARI~
夏目雅子さんの写真集の画像です。
おどけた仕草と表情がたまらなく可愛いですね!
夏目雅子写真集~HIMAWARI~
続けて、写真集からの画像。
殆どすっぴんに見えるのに、この美しさは奇跡です。
夏目雅子さんの水着画像
おっと、これはセクシーな一枚です!
この画像はどこに載せられていたものかは不明ですが、これはお宝画像ってやつでは!?
夏目雅子さんの水着画像
上と同じ画像の別ポーズ。
このくびれ、プロポーション、ハンパ無いです。女神か!
和服姿の夏目雅子さん
水着でセクシーな姿を見せてくれたかと思ったら、今度は清楚な和服姿の画像です。
夏目雅子さんは本当に何を着ても似合う…!
30歳にも満たず亡くなられた夏目雅子さんの、在りし日のお美しい姿を画像で紹介しましたが、いかがでしたか?生きておられたら、今頃は間違い無く日本を代表する大女優になっておられたと思います。本当に、悔やまずにはいられません。
個人的に、夏目雅子さんを越えるほどの美しさの若い女優さんは未だ居ないのではないかと思います。現在活躍しておられる女優さんも、頑張って欲しいです。
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