激レア!!今は亡きX JAPANのhideの髪型集!!を作ってみました
2015/10/12
ナムナム
hideさんはX JAPANのギターリストとして活躍しました。
非常に人気があり、影響力もあったhideさんには、名言も数多く残っています。
1964年12月13日に生まれたhideさんは、小さな頃は肥満児でそのコンプレックスが原因で内気な大人しい子供でした。
祖父がhideさんの家計の中から医者を、と発言していたこともあり、小学生の頃は医者になるという夢を持っていたと言います。
小学生の頃は、習い事や学習塾に通い、アメリカへ集団でホームスティに行くなど学業に並々ならぬ努力をしていました。
中学生になった頃、KISSのレコードを聞き多大な影響を受けました。
それ以降は、ロックに心酔するようになります。
ロックが好きでエレキギターを手にしたhideさんですが、当初はバンド活動などはせず、進学校の高校へと進学します。
その進学先が「エレキ禁止」という学校だった為、ここでもバンドを組む事はありませんでした。
ですが、次第に横須賀のどぶ板通りに出入りするようになり、そこで初めてバンドを結成することとなりました。
その後、メンバーの脱退などでバンドが解散。音楽を辞めようかと思っていたところに、X JAPANのリーダーであるYOSHIKIが声をかけ、Xに加入することとなりました。
X在籍中、またX解散後にソロで活動していました。
1997年、hide with Spread Beaverという名義で活動を始めたhideさんですが、翌年の5月2日に急逝。
このニュースは多くのファンに衝撃を与え、告別式には多くのファンがつめかけました。
現在、有名な曲でも知られる「千の風」という詩は、このhideさんの告別式を行ったお寺に、読み人知らずの詩として保管されていたものとも言われています。
何かをなぞるのではなく、自分なりの道を、という前向きになれる名言です。
こういうこと、誰にでもありますよね。
とにかく走り続けよう、と思わせてくれる名言です。
何かに行き詰って落ち込んでいる時、この名言を思い出すと頭を上げることができる。
そういうファンの人も多いのではないでしょうか。
これも、hideさんらしい名言だと思います。
昨日よりも今日、今日よりも明日にするためには動かなきゃと思わせてくれます。
その為に、日々頑張らなければと思わされる名言です。
力をくれる名言です。
この言葉に救われた人は何人いたでしょう。
行きたい場所へどこでも行ける。
これ以上ないくらい前向きにさせてくれる名言です。
辛い事があって後ろ向きになりそうなときでも、その事象には意味がある。
そう考えると、落ち込んでばかりはいられないという気持ちにさせられます。
hideさんらしい名言ですよね。
こちらも、hideさんらしい名言です。
そんなhideさんの作る歌だから、揺さぶられるものがあるんですよね。
hideさんの曲にも通ずる名言です。
いつもまっすぐでいたhideさんらしい名言ですね。
今もよく見かける光景ですが、好きなものをほめる為に他を下げる必要はないですよね。
自分はこれが好き!それだけでいいと思える名言です。
これも、hideさんらしい名言ですよね。
全てのものを愛し、全ての人に感謝するhideさんだからこそ、の名言です。
しっかりと冷静に自分の環境を見れているからこそ言える名言です。
これも、本当にhideさんらしい名言です。
ライブを良いように編集して収録というのよりは、ありのままのライブをそのまま見せたい、という名言ですね。
hideさんの、曲を作る工程についての名言です。
同じように聞こえるかもしれないけど
500回目に歌った歌よりも700回目に歌ったほうが絶対にいいんだよ
ちょっとでもよくなるんだったら、僕は700回でも800回でも歌い直す
常に一生懸命で不器用ながらに必死に生きたhideさんらしい名言です。
いかがでしたか?
現在、X JAPANのhideさんが担当していたパートはLUNA SEAのSUGIZOが演奏していますが、それでもhideさんは今もなおX JAPANのメンバーです。
フェスやライブなどでは、hideさんのソロでの曲を演奏し、TOSHIが熱唱するなど、今もなおhideさんの音楽は生き続けています。
更に、hideさんの遺した名言も、心に刻まれ、ふとしたときに脳裏によみがえり、前を向く足掛かりになっているというファンも数多く存在します。
hideさんは今も、ファンやメンバーの中では生き続けています。
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