デヴィ夫人総資産はいくら?過去の壮絶な経歴と総資産をご紹介!
2018/02/27
mosanet2
2018/10/19 更新
強烈な存在感と歯に衣着せぬ物言いで芸能界のご意見番を務めるデヴィ夫人。デヴィ夫人が一体何者なのか、デヴィ夫人に昔何があったのかご存知ですか。デヴィ夫人の昔を紐解くと納得できるその強烈オーラ。デヴィ夫人の激動の半生を振り返ってみましょう。
歯に衣着せぬ物言いと浮世離れしたセレブ感をお持ちのデヴィ夫人。
“芸能界のご意見番”として人気ですね。
これほどの大御所となった理由は、デヴィ夫人の昔を知れば納得できます。
デヴィ夫人が若いころ、その美貌は「東洋の真珠」とよばれていました。
上に掲載した画像が昔のデヴィ夫人です。
エキゾチックで女優のような美しさですね。
インドネシアのスカルノ大統領の第三夫人!
デヴィ夫人はその昔、インドネシア大統領夫人でした。
オランダからの独立を達成し、インドネシア建国の父と呼ばれているスカルノ大統領。
日本政府からの支援を重視し、デヴィ夫人を第三夫人として娶ります。
しかしスカルノ大統領は1965年のクーデターにより失脚、夫人全員と多くの家族が亡命した状態のまま、1970年6月21日に亡くなりました。
いまなお国民には「ブン・カルノ」(カルノ兄さん)と呼ばれ、国父(建国の父)として敬意をもって愛され続け、現在再び紙幣(最高額面の10万ルピア)に肖像が使われています。
昔の話とはいえ、“本物のセレブ”だったデヴィ夫人。
経験値も何もかも、他の芸能人とは違うのですね。
スカルノ大統領存命中にもかかわらず、数々の男性と噂があった当時のデヴィ夫人。
これだけ美しかったら、噂も立つでしょう。
スカルノ大統領が亡くなった後はフランスの貴族と婚約しますが、結婚せず破局しています。
亡命までされているとは、常人には考えられない波乱の人生ですね。
デヴィ夫人は日本でどのように育って大統領夫人になったのでしょうか。
生い立ちからその激動の半生を紹介し、デヴィ夫人の昔を紐解きます。
多額の借金を抱え、決して裕福とは言えない家庭で生まれ育ったデヴィ夫人。
美しいだけでなく、賢く聡明な女性でもあったデヴィ夫人は、東京都立三田高等学校定時制部に進学すると同時に千代田生命保険に入社。
この時の倍率は150倍だったと言われ、相当な秀才だったと思われます。
正社員の仕事がありながら、アルバイトも続けて家族を支え続けます。
16歳で父親が亡くなり、高校を中退することになったデヴィ夫人。
弟さんを大学へ行かせるために、赤坂の有名高級クラブ「コパカバーナ」で働くようになります。
高級ホステス業のため、総入れ歯にしたことは有名な話です。
デヴィ夫人は、19歳のとき「東日貿易の秘書」という名目でインドネシア大統領だったスカルノの元へ送り込まれました。
政治に利用されるほどの美貌の持ち主だったのですね。
初めは愛人の一人でしたが、1962年22歳の時に正式に結婚し、スカルノ大統領の第3夫人となりました
しかし1965年、デヴィ夫人が25歳のとき、軍事クーデター「9月30日事件」が起きスカルノ大統領は失脚、軟禁状態に置かれます。
代わったスハルト政権下で、デヴィ夫人はインドネシアの日本大使館に亡命を希望しましたが、国際的立場上の理由で断念せざるを得ませんでした。
1967年3月、デヴィ夫人はスカルノ大統領の8番目の子どもを日本で出産しました。
その娘・カリナさんを連れて、フランスへ亡命します。
カリナさんは2005年に米大手金融機関シティバンクの欧州・中近東・アフリカ地区CEOのフレデリック・シーガスと結婚しました。
娘のカリナさんはどうやらデヴィ夫人よりもスカルノ大統領似のもよう。
お住まいはロンドンとジャカルタにあります。
確執がささやかれた娘のカリナさんとは、お孫さんの誕生により関係修復。
娘と孫に会うためにインドネシアを度々訪れていることを、テレビやブログで披露しています。
デヴィ夫人のブログは、更新頻度も高く、セレブリティな生活を垣間見られると評判です。
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タレント活動の傍ら、現代のセレブ生活を体現
1980年には再びインドネシアへ戻りますが、1991年にはニューヨークに移住。
大統領夫人時代の人脈を生かしてチャリティパーティーなどを行っています。
フィリピン大統領の孫を“シャンパングラス”で殴る事件
1992年、デヴィ夫人はアメリカで暴行事件を起こしています。
34日収監されたデヴィ夫人は「寮生活のようで楽しかった」と言ったそう。
セレブは殴るものもおしゃれなんですね。
カリナさんの息子でデヴィ夫人の孫のキラン君がテレビで紹介され、昔のデヴィ夫人に似てとても美形だと話題になりました。
キラン君はすでに英語、フランス語、オランダ語、インドネシア語の四か国語が話せる自慢の孫だそうです。
キランというのはサンスクリット語で「光の輝き」という意味だそうです。
素敵なお名前ですね。
激動の半生を送ってきたデヴィ夫人にとって、キラン君は目に入れても痛くないほど可愛い存在。
デヴィ夫人はきっと優しいおばあちゃんなんでしょうね。
将来有望のイケメンプリンスに、早くも期待が高まっています。
デヴィ夫人と同様の美貌を持つキラン君を、ハリウッドが放って置かないのでは、と巷で噂されています。
昔のデヴィ夫人の写真を見ると、誰もがあまりの美しさに驚きます。
日本を代表する女優、国際的なモデルだったとしてもおかしくない美貌。
家庭の事情と政治に翻弄されたデヴィ夫人の半生は、まるで歴史ドラマのようです。
デヴィ夫人の昔を知って、いまも美しくあり続ける凛とした姿勢に納得がいきました。
デヴィ夫人の目力をそのまま受け継いだような、美しいお孫さんの今後にも注目ですね。
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ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ
1940年(昭和15年)2月6日 日本生まれ。
国籍:インドネシア
インドネシア スカルノ元大統領第3夫人。
旧名・日本名:根本 七保子(ねもと なおこ)、通称デヴィ夫人。