【母のお陰!?】坂本勇人、母のエピソードと理想の結婚について語る
2015/10/09
セラフィム
2015/09/09 更新
野球の才能と完璧なルックスを兼ね備え、男女性別を問わず人気を集めている巨人史上最年少キャプテン・坂本勇人選手。そんな坂本勇人選手の母との絆が号泣ものだと話題になっています。今回は坂本勇人選手と母の心温まる親子のエピソードを紹介します!
。青森県八戸市の光星学院高等学校に進学し、1年秋から遊撃のレギュラー、2年春から4番を務め、秋の東北大会準優勝し、3年春の第78回選抜高等学校野球大会に出場。春の東北大会では16打数13安打で打率.813、4本塁打の活躍で注目を集めた。
坂本勇人選手と母の親子の絆が号泣ものだとネットで話題になっています。
左利きにもかかわらず、右投げの坂本勇人選手。
左利きの坂本勇人選手が右投げの理由は、坂本勇人選手の母にあったそうです。
右投げになった理由は…
坂本勇人選手には右利きの兄がいるのですが、その兄がグラブを新調した時に
「チームに入ったら新しいのん、買うたるから」と言って
お母さんが右利き用のお古のグラブを坂本勇人選手に与えたのがきっかけ。
左利きにもかかわらず母親から右利き用のグローブを与えられた坂本勇人選手でしたが…
数日後、お母さんが「そや!勇人は左利きやったんや!」と気付いたそうですが
既に坂本勇人選手は右投げでしっかり壁に向かってボールを投げていたそうです。
何一つ文句も言わずに右利きのグローブを使った坂本勇人選手。
坂本勇人選手の優しい性格もよく話題になりますが、その性格は小さいころからのようですね。
高校時代からすでに打者としての才能を開花させていた坂本勇人選手。
坂本勇人選手が打者としての才能を開花させた理由も母にあった…!?
同期の田中選手(まーくん)の球を左で打つことができず。
まーくんとの試合では、ずっと左打席だった坂本勇人選手。
しかし、なかなか結果がだせず調子も全然あがらなかったそうです。
そんなとき坂本勇人選手の母がこんなこと言ったそうです。
「左がダメなら右でしてみたら
落ち込んでたってしょうがないでしょ。
やるだけやってダメなら次の方法考えたらいいじゃない。」
と坂本勇人選手の母はこんなことを言ったそうです。
そして、まーくんとの対決。
母が言った通りに右打席にたちまーくんとの対決に挑みました。
結果、坂本選手が勝ち小学6年になってから両打ちから右打席一筋になったそうです。
坂本勇人選手は母の発言にこんなことを語っていました。
「野球のことをわかってないのに、口をはさんできたなぁ。
でも、やるだけやってみた結果がよかったんで(笑)。
結果オーライって感じですね。
それから右一筋になってから結果もでだしたし。
母の助言がなかったら、今の僕はなかったかもしれない。」
と言っていました。
坂本勇人選手はプロになってからも右一筋。
それは、この母の助言からなるものなのかもしれませんね。
坂本勇人選手と母の親子らしい素敵なエピソードですね。
母の助言をずっと心に留めている坂本勇人選手の母親思いの優しさにも感動します。
心が温かくなる坂本勇人選手と母のエピソードを紹介しましたが、坂本勇人選手の支えでもあった坂本勇人選手の母は、2007年に他界されました。
坂本勇人選手のお母さんは2007年に他界されています。
その1か月前にお母さんの具合が悪いことを知った坂本勇人選手は自身の試合にお母さんを招待し
第一打席でホームランを打ってお母さんを喜ばせたそうです。
母親思いの坂本勇人選手。
母が他界しても、母への感謝を忘れない坂本勇人選手です。
特別な日に、活躍できたことがうれしかった。07年の6月19日、実母・松村輝美さん(享年47歳)が小腸がんのために他界。命日のこの日、打席に向かう際の登場曲をG2の「LETTER~おかんに贈る音の手紙~」に変えた。「―やっぱ腹を痛めて俺を生んでくれたたった一人の女だから」。歌詞の通り、いつまでも忘れぬ感謝の気持ちを込め、バットを振り抜いた。
巨人・坂本勇人内野手(23)が19日、交流戦優勝に続くリーグ制覇、日本一を誓った。この日は、07年に病のため亡くなった実母・輝美さん(享年47歳)の命日。普段以上に気迫のこもった形相で練習に取り組んだ坂本は、「天国で見ていてくれると思うので、しっかり頑張らないといけない。もちろん、最終目標はリーグ優勝して、日本一になること」と力を込めた。
いつまでも母親を想う坂本勇人選手。
とても素敵ですね。
いかがでしたか?
坂本勇人選手と母のエピソードを紹介しました。
母親の思いを胸に、野球選手として活躍し、人気を集めている坂本勇人選手のこれからの活躍にも期待できます!
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