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高倉健が生涯愛した江利チエミ、二人が別れを決めた悲しい理由

昨年11月に亡くなった高倉健さん、彼が唯一愛した女性は江利チエミさんでした。深い事情があって離婚した二人その11年後に江利チエミさんは亡くなりました。最後まで愛し合っていたと言われる高倉健さんと江利チエミさんの出逢いから別離までをご紹介します。

高倉健 江利チエミのプロフィール

高倉健

高倉健(たかくら けん、1931年(昭和6年)2月16日 - 2014年(平成26年)11月10日)は、日本の俳優・歌手。愛称、健さん。福岡県中間市出身、身長180cm、体重71kg、血液型はB型。高倉プロモーション所属。日本を代表する映画スターで、半世紀以上にわたり活躍してきた。代表作は映画『日本侠客伝シリーズ』、『網走番外地シリーズ』、『昭和残侠伝シリーズ』、『新幹線大爆破』、『八甲田山』、『幸福の黄色いハンカチ』、『野性の証明』、『南極物語』、『ブラック・レイン』、『鉄道員(ぽっぽや)』、『あなたへ』など。2006年に文化功労者、2013年には文化勲章を受章した。

出典:https://ja.wikipedia.org

高倉健さんの本名は小田剛一(おだ ごういち) というそうです。1960年代は仁侠映画、その後に独立した高倉健さん、英語も得意だったことからハリウッドにも進出しました。

江利チエミ

江利 チエミ(えり チエミ、1937年1月11日 - 1982年2月13日)は、昭和期に活躍した日本の歌手・女優・タレントである。本名は久保 智惠美(くぼ ちえみ)。

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15歳「テネシーワルツ」でデビューした江利チエミさんはデビュー曲が大ヒットしました。江利チエミさんは美空ひばりさん、雪村いづみさんで「三人娘」と呼ばれ、国民的スターとなりました。

共演がきっかけで交際!スターの道を進む高倉健・江利チエミ

高倉健・主役デビューした1956年の映画『電光空手打ち』

新人で主役の高倉健さん、この時は演技経験はなかったそうです。

アクション・喜劇・刑事・ギャング・青春もの・戦争・文芸作品・ミステリなど、幅広く現代劇映画に出演し、この頃から主演スターの一人として活躍し、1960年代前半まで時代劇映画をメインにしていた東映では、片岡千恵蔵・中村錦之助・美空ひばりの映画などにも助演していた。

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高倉健さんはどんな役柄でも演じる無名の役者でした。この頃から禁酒をして身体のトレーニングを行っていたそうです。

江利チエミ・「三人娘」(左から雪村いづみ・美空ひばり・江利チエミ)

映画の『サザエさん』シリーズ(1956年から全10作が作られた)もヒット。後にテレビドラマ(1965年 - 1967年)、舞台化もされ生涯の当たり役となる。東映作品『ちいさこべ』では京都市民映画祭で優秀助演女優賞を獲得、『ふんどし医者』など、自身主演の音楽娯楽映画(『唄祭りロマンス道中』(渥美清・共演)、『ジャズ娘誕生』(石原裕次郎・共演)、『チエミの婦人靴』など)以外にも数多く助演した。

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江利チエミさんは歌手から女優へと活躍の場を広げていきました。

交際のきっかけになった1956年映画「恐怖の空中殺人」

当時は高倉健さんより江利チエミさんのほうが売れっ子でした。

56年の映画「恐怖の空中殺人」での共演を機に、歌手の江利チエミと急接近したのだ。ゴールインはその3年後、高倉が28歳、江利22歳の時だった。当時を知る映画関係者が回想する。
「江利の芸能界の母と言うべき存在だったのが清川虹子。江利が高倉にたいそう惚れ込んでしまい、清川に相談した。清川は健さんに『チエミちゃんのこと、何とかしてあげなさいよ』と言い、交際が始まりました。結局、押し切られる形で結婚へと至りました」

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結婚前の二人

1959年(昭和34年)、ゲスト出演した東映映画での共演が縁で高倉健と結婚

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高倉健さん28歳、江利チエミ22歳のときの結婚でした。お二人とも幸せそうです。

結婚当時、仲むつまじかったころの高倉健さんと江利チエミさん。

22歳の時、当時まだ無名の俳優だった?高倉健と結婚。人気絶頂だったチエミは、家庭を優先し歌手引退を発表。幼い頃から憧れた家族のぬくもり。チエミは自らそんな家庭を作りたかったに違いない。

だが、引退だけは周囲が思いとどまらせた。そして、チエミは新境地を開拓するために、ミュージカルに挑戦。日本でのブロードウェイ初舞台となった「マイ・フェア・レディー」でイライザ役として主演を務め、テアトロン賞をはじめ数々の賞を受賞。結婚しても、人気は全く衰えなかった。

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結婚・引退を発表した江利チエミさん、その才能をまわりが放っておくはずはなく、すぐに新境地のミュージカルに挑戦して大成功をおさめました。その年の年末には紅白歌合戦の司会を行ったそうです。

東京・羽田空港で旅行途中の高倉健さんと江利チエミさん。

江利チエミさんのはじける笑顔がステキです。

57年公開の「ジェット機出動 第101航空基地」の撮影時、健さんは夜に撮影を終えると「10分だけでも会いたい」と夜行列車で静岡・浜松からチエミさんの仕事先の大阪へ。ひとときの逢瀬を楽しみ、朝までに帰ることを繰り返したという。

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なぜ!?仲睦まじい二人が離婚した理由

誰よりも子どもを望んでいた彼女だったが、子どもを授かると、妊娠高血圧症候群を発症してしまい、中絶を余儀なくされてしまう。31歳の時にはのどにできたポリープのため声が出なくなってしまう。手術で回復はしたものの、精神的ショックは大きかった。

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結婚3年後の25歳で中絶、その後に32歳のときには紅白歌合戦の出場枠から落選、江利チエミさんは結婚10年で辛い経験を積んでいきます。
その頃の高倉健さんは仁侠映画で活躍していました。

そんな彼女の元に、ある日、一人の女性が訪ねてくる。
その女性は「私はあなたの姉よ」と言った。実は母・歳子は、チエミの父親と結婚する前に別の男性との間に、子どもをもうけていた。初めて知らされた姉の存在・・・
だがチエミは、その姉に初対面とは思えない親近感を覚えた。

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江利チエミさんは姉という身寄りのないこの女性と同居し、金銭面の管理を任せてしまいます。

6年の歳月が流れたある日、その姉が突然失踪。
事務所のお金を持ち逃げし、家を担保に、今のお金にして10億円以上もの借金をしていたことが発覚する。だがチエミが何よりもショックを受けたのは、逮捕され明るみにでた姉の犯行動機だった。
「チエミが羨ましかった。温かい家庭に育ち、スターとして注目される妹と日陰を歩く自分との差に、妹を陥れようとした」

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71年、江利チエミとの離婚について会見する高倉健

離婚の原因はチエミさんの親族にまつわるトラブルからで、チエミさん側からの申し入れで離婚した。

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江利の異父姉が様々なトラブルを起こし、結婚に悪影響を及ぼしたとされる。江利側からの申し入れで1971年9月3日に離婚した。

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江利チエミさんは夫の高倉健さんに迷惑はかけられないと考え、自ら離婚を切り出したそうです。この時、高倉健さんは40歳、江利チエミさん34歳、結婚12年後でした。

江利チエミ死去から32年、高倉健逝く

1982年江利チエミ死去(享年45歳)

江利チエミ/酒場にて (本人ステージ)

冒頭の「好きでお酒をのんじゃいないわ」というフレーズ、当時の江利チエミさんの心情を語っているようで切なくなります。

チエミは、姉が作った借金を返すため、歌手活動よりも地方営業などの仕事を中心にこなしていく。果てしなく続く仕事、帰っても誰も待っていない家・・・
彼女はその寂しさを紛らわすために飲酒を繰り返すようになる。

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江利チエミは10年後には姉が作った負債を全て返済したそうです。

1982年(昭和57年)2月13日午後、港区高輪の自宅マンション寝室のベッド上で、うつ伏せの状態で吐いて倒れているのをマネージャーに発見されたが、既に呼吸・心音とも反応が無く死亡が確認された。45歳没。死因は脳卒中と、吐瀉物が気管に詰まっての窒息(誤嚥)によるものだった。数日前から風邪を引き体調が悪かったところに、ウィスキーの牛乳割りを呷り、加えて暖房をつけたまま風邪薬を飲んで寝入った事が一因とも言われている。

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ストレスにより繰り返された飲酒も原因と言われています。江利チエミさん45歳、高倉健さんと離婚してから11年後のことでした。

チエミの柩が玄関を出た2月16日は奇しくも、最期まで愛し続けていた高倉健との結婚の際、花嫁衣装を着て実家の玄関を出た日と同じだった。その高倉はチエミの葬儀に姿を現さなかったものの、葬式当日に本名の「小田剛一」で供花を贈り、また会場の前で車を停めて手を合わせていたという。

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それ以降、高倉健さんは江利チエミさんの命日には墓参りを欠かさなかったそうです。事件がなければ二人寄り添っていけたのかと思うと残念でなりません。

2014年高倉健死去(享年83歳)

2014年11月10日午前3時49分、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去。満83歳没(享年84)。高倉の遺志により近親者によって密葬が執り行われ、終わった同月18日に高倉プロモーションから「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」の言葉が添えられたFAXでその死が発表された

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江利チエミさんの死去から32年後、高倉健さんが亡くなりました。突然の死去という発表に号外が出されました。高倉健さんは83歳という年齢を感じさせなかったので、改めて年齢を聞いて驚いた方も多かったと思います。

ある関係者は「石原裕次郎さんは女の人に騒がれるスターで、健さんは男やプロが好きになるスター。健さんと仕事をすることはスタッフの誇りだった」としみじみ。

出典:http://www.sanspo.com

女子ファンだけではなく、男性ファンのみならずスタッフにも愛された高倉健さん、凛とした佇まいがステキでした。

高倉健さんと江利チエミさんの結婚・離婚を中心にご紹介しました。
江利チエミさんとの離婚後は独身を貫いた高倉健さん、江利チエミさんへの深い愛情を感じます。事情があって別れたお二人ですが天国で幸せに寄り添えると良いですね。

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