江利チエミさんは、高倉健さんとの離婚後、亡くなっていますが、江利チエミさんの死因は、脳卒中と、吐瀉物が気管に詰まっての窒息(誤嚥)によるものと言われています。
享年45歳の若さでした。
本名 久保智惠美
生年月日 1937年1月11日
没年月日 1982年2月13日(満45歳没)
血液型 A型
職業 歌手・女優・タレント
ジャンル ジャズ・歌謡曲
活動期間 1952年 - 1982年
配偶者 高倉健(1959年 - 1971年)
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本名 小田 剛一 (おだ ごういち)
生年月日 1931年2月16日
没年月日 2014年11月10日(満83歳没)
出生地 福岡県中間市
死没地 東京都
身長 180 cm
血液型 B型
職業 俳優・歌手
ジャンル 映画・テレビドラマ・CM
活動期間 1955年 - 2014年
配偶者 江利チエミ(1959年 - 1971年)
江利チエミさんと高倉健さんの出会いは、この「恐怖の空中殺人」という映画だったのですね。
高倉は一度だけ結婚していたことがある。56年の映画「恐怖の空中殺人」での共演を機に、歌手の江利チエミと急接近したのだ。ゴールインはその3年後、高倉が28歳、江利22歳の時だった。当時を知る映画関係者が回想する。
江利チエミさんも高倉健さんも、結婚するのに丁度良い年齢ですよね。
江利チエミさんと高倉健さんが出会ってから3年後にゴールインしたということは、その間、江利チエミさんと高倉健さんは、お付き合いをされていたということなのでしょうか。
3年間も付き合っていたとなると、「そろそろ結婚のことも考えないと!」ということで、女優の清川虹子さんが、江利チエミさんと高倉健さんの間を取り持ったのですね。
こちらが、その女優の清川虹子さんです。
「江利の芸能界の母と言うべき存在だったのが清川虹子。江利が高倉にたいそう惚れ込んでしまい、清川に相談した。清川は健さんに『チエミちゃんのこと、何とかしてあげなさいよ』と言い、交際が始まりました。結局、押し切られる形で結婚へと至りました」
高倉健さんは、物静かな方という印象があるので、押し切られてしまったのでしょうか。
それでも、きっと江利チエミさんが嫌なら、いくら押し切られたとはいえ、結婚しなかったと思うので、高倉健さんも、きっと江利チエミさんのことが好きだったのですよね。
この事件も有名ですが、江利チエミさんと高倉健さんの関係を妬んだのか、二人の稼ぎに目がくらんだのか、それとも、江利チエミさんを個人攻撃したかったのか、とにかく、江利チエミさんと高倉健さんは、江利チエミさんの異父姉が起こしたトラブルに巻き込まれ、江利チエミさんは高倉健さんに迷惑がかかると申し訳ないからという理由で、離婚を決意しています。
だが2人の結婚生活はやがて、トラブルに見舞われる。付き人をしていた江利の異父姉が横領事件を起こしたり、2人を攻撃するデッチ上げ話を流したりするなど、夫婦関係をこじらせる行為を繰り返したのだ。
幸せそうな江利チエミさんと高倉健さんの夫婦生活を壊され、江利チエミさんと高倉健さんは離婚するのですが、どうやら、江利チエミさんと高倉健さんには、他にも離婚理由があったようです。
江利チエミさんが高倉健さんとの結婚生活をぼやいていたことが離婚理由になるのかどうかはわかりませんが、少なくとも江利チエミさんが寂しい思いをしていたことに間違いはなさそうです。
その一方で、高倉の「不器用すぎる」夫ぶりも浮き彫りに。江利は酒を飲んで酔うと、美空ひばりとともに「3人娘」と呼ばれた雪村いづみに、「夫婦らしいことは何もしてくれない」とボヤいていたという。
この江利チエミさんが話す高倉健さんがしてくれない「夫婦らしいこと」とは、一体どういうことなのでしょうね。
高倉健さんの「不器用なところ」が垣間見られる話がこちらです。
江利の異父姉の件もあり、2人は71年に離婚。12年の結婚生活だった。当時、取材に当たった芸能レポーターの石川敏男氏は言う。
「東映の撮影所まで行って健さんを直撃したところ、『ちょっと待ってて』と言って、わざわざセットの裏まで出てきてくれました。『離婚するんですか』と聞いたらボソボソと『そんなことには答えられません』と。答えられないならわざわざ出てくることもないだろうに、本当に誠意のある方でしたね」
この高倉健さんが取った行動から、高倉健さんの誠実さと共に不器用さが感じられませんか?
きっと、高倉健さんは、上手く立ち回るということが出来ないタイプだったのではないでしょうか。
江利チエミさんは、離婚後、高倉健さんとの結婚生活を振り返って、こんな話をしています。
江利は後年、とある雑誌の企画で婦人問題の評論家・俵萌子氏と対談した際、結婚生活を「今だから話すけど」と言って、次のように告白したという。
「健さんってすごい気難しくて。私は好きで一緒になったんだけど、夫婦生活はとても薄っぺらい、実態のないものでした」
江利チエミさんにとって高倉健さんとの結婚生活は、自分がイメージしていたものとは、だいぶ違っていたようです。
お互いのことが理解し合えないまま、江利チエミさんと高倉健さんの結婚生活は、終わりを迎えてしまいます。
高倉健さんは寡黙な方なので、多くを語らず離婚されていますが、家に帰ってこなかったと言われているところを見ると、高倉健さんにも、何か事情があったのではないでしょうか。
この対談に立ち会ったノンフィクションライター・風見隼人氏が明かす。
「要するに、高倉がほとんど家に帰ってこない、薄幸な生活だったと。『寂しいからお酒に逃げたんです。寂しさをまぎらわすためにブランデー、ウイスキーを飲んで』とも言っていました。結局、彼女はアルコール依存症のようになり、酔って嘔吐したものを喉に詰まらせて、45歳で亡くなっている。彼女のヒット曲『酒場にて』に『好きでお酒を飲んじゃいないわ 家にひとり帰る時がこわい私よ』というフレーズがありますが、これは彼女の人生を歌ったんだなと思いました」
江利チエミさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
江利チエミさんが高倉健さんとの復縁を望んでいたといたという話は聞いたことがありますが、高倉健さんに再婚話があったことは初めて知りました。
江利との離婚以降、独身を通した高倉。だが実際は、何度か再婚話が浮上したことがあった。
離婚後、最初の相手となったのは、印相学の大家のバツイチ令嬢。彼女は高倉を紹介してくれた俳優に「健さんと結婚するつもりなので、その節はよろしくお願いします」と挨拶までしていたという。
ずいぶん具体的に再婚話が進んでいたようですね。
こちらが高倉健さんが再婚するのでは?と噂になった2人目の相手で女優の十朱幸代さんです。
印相学大家令嬢との破局から程なくして、十朱幸代との親密交際が噂されるようになる。高倉、40代半ばの頃だった。高倉が十朱にエルメスのバッグをプレゼント、あるいはそば店でひそかに食事をするシーンが目撃されたこともあった。
結局、江利チエミさんも高倉健さんも、再婚することなく、最後まで独身を貫きました。
今頃、江利チエミさんと高倉健さんは、天国で会って昔話に花を咲かせているかもしれませんね。
江利チエミさんと高倉健さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。