【ハンカチ王子】プロ野球、斎藤佑樹の迷走っぷりが逆に面白い件
2015/10/09
グリ777
斎藤 佑樹(さいとう ゆうき、1988年6月6日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(投手)
国籍:日本
出身地:群馬県太田市
生年月日:1988年6月6日(27歳)
身長:176 cm
体重:76 kg
投球・打席:右投右打
ポジション:投手
プロ入り:2010年 ドラフト1位
初出場 2011年4月17日
年俸: 2,500万円(2015年)
経歴:(括弧内はプロチーム在籍年度)
早稲田実業学校高等部
早稲田大学
北海道日本ハムファイターズ (2011 - )
甲子園を湧かせてから10年、斎藤佑樹選手は現在27歳になりました。
まだ27歳、引退が噂されるのは早いですよね。
斎藤佑樹選手は1年生からベンチ入りしていたんですね、さすがです。2年生になると背番号1をつけて試合に出ていたそうです。2年生の秋の都大会では新チームの副キャプテンになり、24年ぶりの優勝を果たしました。
早実を初の夏の甲子園大会優勝に導いた。
この大会での投球回69、投球数948はどちらも一大会における記録としては史上1位。一大会における奪三振78は、1958年の板東英二(徳島商業高校)の83個に次いで歴代2位となった。
2006年の夏の甲子園大会で好成績を残した斎藤佑樹投手、人気も実力も注目の的でした。
2006年、夏の甲子園大会で早稲田実業が勝ち進むにつれて、斎藤の端整なルックスと試合中にマウンド上で丁寧にたたんだ青いハンカチで顔の汗を拭く姿が話題となり、「ハンカチ王子」と呼ばれるようになる。
斎藤佑樹投手が汗をふく姿が注目されましたね。
斎藤といえば早稲田実業高校時代の2006年の高校野球だろう。『ハンカチ王子』と呼ばれ、全国に名を轟かせ、一気に『ハンカチ王子フィーバー』を巻き起こし、人気となった。その当時、トレードマークだったのが青いハンカチである。同じブランドの青いハンカチが完売する程度の人気だった。
早稲田実業にはこのハンカチに関する問い合わせが殺到し、Yahoo!オークションでは定価400円の同じ種類のハンカチに対し、一時的に1万円を超える値がついた。百貨店ではハンカチの売り上げが急増し、ジャスダックに上場するハンカチメーカー・川辺の株が値上がりした。後にそのハンカチはニシオ株式会社が製造・販売していた「GIUSEPPE FRASSON(ジョゼッペ・フラッソン)」というブランドのものだと判明したが、その時はすでに販売が終了していたため、その後ニシオはサンリオとタイアップし「幸せの青いハンカチ」と銘打ってハローキティの顔をあしらった青いハンカチを販売し約65万枚、約3億円を売り上げた。
ハローキティと斎藤佑樹投手のコラボレーションとは、まさにハンカチ王子ですね。
9月11日、自身の進路について記者会見の場で大学進学を表明。「自分は人間としても野球選手としても未熟。大学に進んで成長したい」と語る一方、日米親善高校野球大会でアメリカ遠征している間に気持ちが揺れたことも明かした。
高校卒業後の進路が注目された斎藤佑樹投手は、大学進学を決めました。ちなみに夏の甲子園の決勝で戦った駒大苫小牧高校のエース・田中将大は高校卒業後に東北楽天ゴールデンイーグルスに入団、現在は大リーグのニューヨーク・ヤンキースに所属して活躍していますね。
早稲田大学教育学部社会科社会科学専修に入学し、早稲田大学野球部に入部。背番号は「16」。4月14日から始まった2007年東京六大学野球春季リーグ戦において、斎藤は開幕戦となる東京大学戦で先発を務め勝利投手になった。1年生春の開幕投手での勝利は、1927年の宮武三郎(慶應義塾大学)以来80年振り。
また1年生投手としては史上初となるベストナインにも選出された。
早稲田大学に進学した斎藤佑樹投手、大学1年生から活躍しました。高校球児で肩を痛めて野球を引退してしまう選手も多いようですが、斎藤佑樹投手は大学に進学しても活躍しました。
主将として大学最後の年にリーグ戦優勝、大学日本一というこれ以上ない有終の美を飾ることとなった。大学4年間を通じて、東京六大学野球史上6人目となる通算30勝300奪三振を達成(31勝323奪三振)。また世界大学野球選手権大会と日米大学野球選手権大会に大学日本代表として4年連続選出されたのは史上初。
斎藤佑樹投手は大学4年間を通して大活躍をしました。優勝で大学野球の引退とは素晴しいの一言ですね。
早大・斎藤佑樹投手の交渉権を引き当て、ガッツポーズをする日本ハムの藤井純一球団社長
10月28日に開催されたプロ野球ドラフト会議にて、東京ヤクルトスワローズ、北海道日本ハムファイターズ、千葉ロッテマリーンズ、福岡ソフトバンクホークスの4球団が1位指名し、抽選の結果、日本ハムが交渉権を獲得。同会議では早稲田大学の同期生である大石達也と福井優也も、それぞれ埼玉西武ライオンズと広島東洋カープに1位で指名され(大石は広島を含む他5球団との競合)、プロ野球ドラフト会議において同一大学の投手3人が1位指名を受けたのは同会議史上初、ポジションに関わらず3人が1位指名されたのは、1996年の青山学院大学(井口忠仁、澤崎俊和、清水将海)以来となった。
注目されたドラフトは4球団から1位指名の斎藤佑樹投手、交渉権を得た球団社長のガッツポーズが喜びを表していますね。
12月6日に日本ハムとの初交渉に臨み、新人としては最高評価の年俸1500万円、契約金1億円、出来高5000万円(金額は推定)で仮契約した。12月9日には日本ハムの本拠地・札幌ドームにおいて、2003年の新庄剛志以来7年ぶりの単独の入団会見が行われた。会見には監督の梨田昌孝と球団社長の藤井純一が同席し、背番号「18」のユニフォーム姿をお披露目した。その後、梨田が捕手となりマウンドでプロ第一球を披露し、トークショー、サインボール投げ入れなどのセレモニーが行われた。
ハンカチ王子と騒がれて4年、注目された斎藤佑樹投手は日本ハムに入団が決まりました。単独の入団会見とは斎藤佑樹投手への注目の度合いと期待が分かりますね。
斎藤佑樹 プロ初登板・初勝利のピッチャープレート
4月17日、札幌ドームの千葉ロッテマリーンズ戦に先発でプロ初登板し、5回4失点(自責点1)で初勝利。同期入団のルーキーの中で初勝利一番乗りとなった。
プロ初登板で初勝利、斎藤佑樹投手も嬉しかったでしょうね。野村克也さんは10年は活躍できると評価したそうですが、まさかその4年後に引退説が囁かれるようになるとは当時は考えられなかったでしょうね。
3月19日、プロ入り2年目で自身初の開幕投手に指名され、3月30日の開幕戦(札幌ドーム、埼玉西武ライオンズ戦)にて9回1失点で初の完投勝利を挙げた。
2年目で開幕投手となった斎藤佑樹投手、まさにエースですね。斎藤佑樹投手の表情が自信に満ちあふれていますね。引退と周囲が騒ぐなか、再びこんな笑顔が見たいです。
6月6日の対広島東洋カープ戦(札幌ドーム)で自身の誕生日をバースデー勝利で飾るも、6戦連続で勝ち星から遠ざかるなど成績不振に陥り、7月30日に再調整のため出場選手登録抹消となった。
10月5日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦に先発するも、4回2/3を6失点と打ち込まれ8敗目を喫し、翌日に登録を抹消されレギュラーシーズンを終えた。
斎藤佑樹投手は2年目の7月末に登録抹消となりました。この頃から肩に違和感を感じていたそうです。その後に「右肩の関節唇損傷」と診断されました。
この影響から1軍で活躍することが少なくなりました。万年2軍で成績が残せないため引退が噂されるようになったようです。
前年の右肩痛の影響もあり二軍スタート。二軍で9失点を喫した後に復帰を果たすものの、5回もたずKOされ、1軍での登板はその1試合のみに留まり、二軍での成績も1勝3敗、防御率8.61に終わった。秋のフェニックス・リーグでも中盤に打ち込まれる場面が目立ち、1勝2敗、防御率7.18でシーズンを終了した。
プロ3年目の斎藤佑樹投手は2軍でシーズンを終えました。1軍での当番は1試合のみ、この成績から引退と周囲が騒ぎ出したのでしょうか。
斎藤佑樹投手が785日ぶりの勝利
7月31日の対ロッテ戦(QVC)で先発し、5回まで毎回走者を出しながらも、6イニングを6安打、ソロ本塁打による1失点で抑え、2012年6月6日の対広島戦以来785日ぶりに勝利投手となった。2軍では17試合に登板し、1勝7敗、防御率4.73の成績に終わった。
プロ4年目、2年ぶりの勝利投手になった斎藤佑樹投手、それでも2軍で1勝のみと寂しい結果でシーズンを終えました。高校・大学と好成績をおさめたエースの斎藤佑樹投手、引退説がささやかれ成績が残せないことに苦しんだのではないでしょうか。
今年6月16日に斎藤佑樹投手はプロ入りをして初めて甲子園のマウンドに立ちました。引退とささやかれる斎藤佑樹投手、高校時代にハンカチ王子として黄色い声援を浴びていたマウンドに立つのはどんな気分だったのでしょうか。
試合後栗山監督は、日程上先発ローテーションが足りていることから、2軍落ちを通告。それでも斎藤の可能性を信じ続けている栗山監督は「結果がすべてだが、悪いから外すわけではない」と再チャンスがあることを示唆した。
斎藤佑樹投手は8月23日に再び2軍落ちとなり、引退説が再び浮上しました。
8月15日 vs.楽天イーグルス
Q.斎藤佑選手惜しくも白星を逃しました
「勝たせてあげたかった。だけど、勝ちパターンで行ってるんだから。それで打たれたてしまったら仕方ない。誰が悪いとかではない」
斎藤佑樹投手が先発した8月15日楽天イーグルスとの試合後、栗山監督のコメントです。栗山監督は引退説など気にせず斎藤佑樹投手を温かく見守るコメントを続けています。
この試合後のファンのコメントです。
引退説が強い斎藤佑樹投手ですが、試合結果にファンは温かい声援を送っていますね。
人気のある選手ですから引退せずに野球界を盛り上げて欲しいです。
8月22日 vs. オリックス
「最後のホームランの失点はいらなかったですね。相手ピッチャーもずっと投げていたので、もう少し粘って投げたかったです。悔しいですけど、きょうの反省を次回に活かしていくだけです」
8月22日オリックス戦、試合後の斎藤佑樹投手のコメントです。先発しましたが6回で途中降板、この試合後に2軍落ちとなりました。
22日のオリックス戦(東京ドーム)で先発。5回まで6安打1失点と粘ったが、6回に2死から小田の2ランを含め3安打4失点。5回2/3を9安打5失点(自責は4)で、今季2敗目を喫した。試合後、登板機会がない関係で2軍調整となることが決定した。
再び2軍となった斎藤佑樹投手、投手のローテーションの都合のようですがエースと呼ぶには程遠いようです。
9月に斎藤佑樹投手が1軍で先発する可能性が出たようです。好投して引退説を吹き飛ばして欲しいですね。
プロ入りして5年の斎藤佑樹投手、2軍生活が長いこともあり引退が噂されています。華やかなプロ野球選手は引退後はどのような生活をしているのでしょうか。
長嶋一茂
1996年に戦力外通告をうけて引退、その後はスポーツキャスターとして活躍しました。タレント、俳優として活躍中ですね。引退の引き金となった戦力外通告は実父・長嶋茂雄氏から言われたそうです。
元木大介
33歳で現役を引退、その後はタレントとして活躍しました。ラーメン屋を開店して飲食店の経営をしていましたが現在は閉店しているようです。
八名信夫
1956年にプロ野球・東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)に入団、投手として活躍しました。ケガが原因で引退しました。その後は東映の専属俳優として活躍、悪役商会のリーダーとしても有名ですね。
引退してタレントなど華やかに活躍している野球選手はほんの一握りですね。引退した野球選手の多くは会社員として生計をたてている人が多いようです。
戦力外通告を受けて引退した後にも、自由契約選手を対象としたトライアウトで再起を狙う選手もいます。
高校・大学と大活躍だった斎藤佑樹投手、プロ野球選手になってからは目立った成績が残せていません。不調が続くと引退では?と言われてしまうのは人気者の証でしょうか。
斎藤佑樹投手は早稲田大学教育学部を卒業しているので、教員免許を取得していれば引退してから教員になることができますね。野球部の顧問になったら話題になりそうです。
人気のある選手ですから、このまま引退とならずに再起に期待したいところです。
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