2015/10/09
t-n-k-a
1931年(昭和6年)1月20日~1984年(昭和59年)8月30日。
作家。和歌山市出身。
主要ジャンル 歴史小説、ノンフィクション、戯曲
代表作 紀ノ川、華岡青洲の妻、恍惚の人
有吉佐和子は横浜正金銀行勤務の父の赴任に伴い、小学校時代を旧オランダ領東インドのバタヴィアおよびスラバヤで過ごします。1941年に帰国しますが、今でいう帰国子女なのですね。その後高校卒業して
東京女子大英文科に入りますが休学して、1952年に同短期大学部英語学科を卒業。大蔵省の外郭団体を経て舞踏家吾妻徳穂の秘書となります。大学在学中は演劇評論家を目指していて、1956年「地唄」が文学新人賞候補になり文壇デビューします。
昭和47年に刊行された「恍惚の人」映画化されたのを見たのだが、非常にショックを受けてしまいました。
有吉佐和子の「社会派」の一面を覗かせる作品です。
有吉佐和子の代表作「紀ノ川」です。和歌山が舞台で、素封家の女性三代の物語で、明治生まれの花に始まり、娘の文緒、孫で戦後世代の華子まで、明治・大正・昭和の3時代を生きていく様子を描いた作品です。後に、テレビドラマ化と映画化にもなりました。
工業廃液や合成洗剤で河川は汚濁し、化学肥料と除草剤で土壌は死に、有害物質は食物を通じて人体に蓄積され、生まれてくる子供たちまで蝕まれていく……。毒性物質の複合がもたらす汚染の実態は、現代科学をもってしても解明できない。おそるべき環境汚染を食い止めることは出来るのか?
社会派作家有吉佐和子としての問題作です
この複合汚染で有吉佐和子は社会派作家としての立場を確立したと言っていいと思います
自殺か、他殺か、虚飾の女王、謎の死》――醜聞(スキャンダル)にまみれて謎の死を遂げた美貌の女実業家富小路公子。彼女に関わった二十七人の男女へのインタビューで物語は進んでいきます。
この作品は二度テレビドラマ化されています。主人公が出てこない小説。
27人のインタビューなどで物語を展開させる手法・・・有吉佐和子の真骨頂かもしれませんね
2012年TBSドラマ化の主演は沢尻エリカ
作品を列挙しても多大な数なので 下記を参照していただきたいと思います
鋭敏な人ゆえ、周囲の存念を感じ取り傷つくこともあったろう。が、彼女は書くことをやめなかった。生来虚弱で、一作書き上げるごとに入院していたという。息を詰めて書くため、顔が真っ青になることもしばしばだった
『ふるあめりかに袖はぬらさじ』などの戯曲など演劇にも興味があり、自作作品を中心に脚本化や舞台演出も数多く手がけています。
有吉佐和子はテレビなどにはあまり出ていません。文筆活動を主にしていたようです。
ただ笑っていいともには一度出演してるみたいですね。
俳優の有島一郎さんからの紹介で出ています。
その時の対応は物静かで、きりっとした対応だったようです。
生真面目な女性だったのでしょう。
有吉佐和子を笑っていいともの
テレフォンショッキングに紹介した俳優有島一郎
有吉佐和子の長女で作家の有吉玉青さんは後に、林真理子さんとの対談で語っています
「笑っていいともでの有吉佐和子の行動は、テレビ局に頼まれてしたことなんですよ。母は素人だから
上手には出来なかったのですね。」
やはり有吉佐和子は真面目な生真面目な女性だったのですね。
マスコミ界では有吉佐和子が笑っていいともを乗っ取って、明石家さんまとケンカをしたとか
報道されてるようですけどね。
有吉佐和子の作家としての評判はどうだったのでしょうか
題材として用いた伝統芸能への造詣の深さ、歴史的事象を咀嚼して活写する筆力。多くの歴史小説が時代講釈と人間ドラマの綾で織られてますが、有吉作品は登場人物の目を通して万事を語らせてしまう。説明的にならず、無駄のない語句で情感と情景を過不足なく浮かび上がらせてます。これは大変高度な技巧だそうです。 しかし有吉佐和子が地方公演などでは「よう、落選文士」などと揶揄されてたそうです。
文壇の世界にもやっかみなどがあったのでしょうね。
天才が故に理解されない部分が多々あったのでしょう。
在りし日の有吉佐和子
茶道を嗜み和服を好む有吉佐和子
有吉佐和子は数々の賞を受賞していますが、芥川賞と直木賞には縁がなかったようですね。
歴史小説を書いても定石にとらわれず描いていたから、その手法に異を唱える方が多かったのでしょう。
珍しく和服ではありませんね~
有吉佐和子は、長州人エリートを父方に紀州の名家を母方にもつ「お嬢さま」で、幼い頃から病弱でありました。学校は休みがちで家で蔵書を乱読しました。理知的で頭の回転が速く、ものおじしない一方、喜怒哀楽と感情の起伏が激しかったようです。このような直情径行型の性格は、デビュー当時は「老人キラー」として肯定的に受け入れられていましたが、中年期以降高名なベストセラー作家として丁重に扱われるようになると逆にマイナスに働いたようで、ときには周囲との摩擦や衝突を引き起こしました。また小説家として早くから成功したこと、その作風が文壇主流に認められなかったことから、心中には常にベストセラーを世に送ることで実績を誇示しつづけなければならないプレッシャーがあったと考えられます。
眠れない日々が続き、睡眠導入剤を服用するようになります。
そのようなことで、作品を仕上げるのに体力を消耗していたようです。作品を仕上げるたびに入院を余儀なくされます。
有吉佐和子は先駆的な作家だったのかもしれません。
そして有吉佐和子の描く世界に登場する女性たちは皆、生きる世界が違っても、誇り高く、凛と背筋を伸ばして生きている人ばかりです。共感できるヒロインばかりで、これからもずっと読み継がれてほしいなと思います。
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