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元気があれば何でも出来る!プロレスラー、アントニオ猪木が歩んだ道

プロレス界において数々の伝説を残してきたアントニオ猪木。
アントニオ猪木が歩んだ人生の道のりはとても険しい道の連続でした。
お茶の間では「元気ですかー!」や闘魂ビンタなど明るく楽しい行動や発言が有名ですが、
そんなアントニオ猪木が歩んだ道を紹介します。

燃える闘魂!アントニオ猪木の道のり

アントニオ猪木プロフィール

本名 猪木 寛至
ニックネーム 燃える闘魂
身長 190cm
体重 102kg
誕生日 1943年2月20日
出身地 神奈川県横浜市鶴見区

出典:https://ja.wikipedia.org

プロレスラー現役時代は新日本プロレスの創業や異種格闘技戦で活躍。

出典:https://ja.wikipedia.org

アントニオ猪木さん、身長のわりに体重はレスラーとしては軽量ですね。
レスラー人生の道のりを歩むには決して恵まれた体型ではなかったようです。
そんなアントニオ猪木さんの歩んだ道のりを振り返ってみましょう!

プロレスラーとしての道のりがスタート!アントニオ猪木命名秘話

1960年(昭和35年)4月11日、興行でサンパウロを訪れていた力道山から
直接スカウトされて日本へ帰国し日本プロレスに入団。

出典:https://ja.wikipedia.org

アントニオ猪木さんは日本プロレスの創始者力道山にスカウトされて
プロレスラーとしての道のりをスタートさせました。

リングネームをアントニオ猪木に改名。
このリングネームは、先輩レスラー豊登による命名である。
当時の名レスラー、アントニオ・ロッカにあやかって名付けられたという説が一般的であるが、
「ブラジル帰りの日系ブラジル人」であることを強調するためなど諸説ある。

出典:http://ja.wikipedia.org

レスラー人生成功への道のりには不可欠なリングネーム。
命名した方も素晴らしいセンスです。

プロレスラー、アントニオ猪木の歩んだ道

アントニオ猪木、名勝負への道①:ハルクホーガン戦

1983年(昭和58年)には世界統一タイトルを目指しIWGPを立ち上げる。
しかし同年6月2日の第1回IWGP優勝戦において、
当時新鋭のハルク・ホーガンからロープ越しのアックスボンバーを受け、
リングサイドに落ちた際に頭を打って脳震盪を起こし、失神KO負けを喫した。

出典:https://ja.wikipedia.org

全盛期のアントニオ猪木を倒して日本を去り、
その後はアメリカのスーパースターになっていった。

出典:http://lohirocke.blog.fc2.com

二人のレスラー人生の道のりには欠かせない出来事でした。
アントニオ猪木が新鋭のハルクホーガンに敗れたことは当時衝撃でした。

アントニオ猪木、名勝負への道②:異種格闘技戦

猪木は自身の最強を証明するため、格闘技の英雄アクラム・ペールワン、
「熊殺し」の異名をとる空手家ウィリー・ウィリアムスとの対戦など、
異種格闘技路線への挑戦を続け、後年の総合格闘技の礎を築いた。

出典:https://ja.wikipedia.org

世界の強豪との対決、アントニオ猪木にとっては険しい道のりが続きます。

プロボクシング統一世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリとの一戦は
世界各国に中継され話題を呼んだ。

出典:https://ja.wikipedia.org

世界にアントニオ猪木を知らしめた一戦です。
モハメド・アリとの対戦実現への道のりは相当大変だったようです。

アントニオ猪木、名勝負への道③:引退試合

4月4日東京ドームにおける引退記念イベント
「ファイナルイノキトーナメント」で行われた引退試合で、
小川直也らと対戦し勝ち上がってきたドン・フライと対戦、
グラウンド・コブラツイストで勝利し引退した。

出典:https://ja.wikipedia.org

この引退試合で、あの有名な「道」という詩を披露しました。

アントニオ猪木作、題名「道」

アントニオ猪木のレスラー人生を表したかのような詩「道」を聞いて
引退試合を見た誰もが感動をしました。

我が道を歩む!アントニオ猪木の闘魂ビンタは、こうして誕生した。

アントニオ猪木の歩んだ道のりを語る上で
数々の伝説的なエピソードがありますが、特に有名なのは闘魂ビンタではないでしょうか?
どのような経緯でビンタをするようになったのか振りかえってみましょう。

アントニオ猪木、闘魂ビンタ誕生への道①:アナウンサー編

一般人に初めてビンタを見舞った相手は当時テレビ朝日アナウンサーの佐々木正洋である。

出典:https://ja.wikipedia.org

一般人への闘魂ビンタへの道のりは
ここからスタートしました。

アントニオ猪木、闘魂ビンタ誕生への道②:学生編

早稲田予備校での講演(題目「五月病に卍固め」)で、
予備校生のパンチを腹部に受ける余興を行った。
その中の予備校生一人は、実は少林寺拳法の有段者であり、力を込めて殴った。
この不意打ちに準備できなかった猪木は反射的に予備校生にビンタを打ってしまった。

出典:https://ja.wikipedia.org

この学生の不意打ちから
アントニオ猪木の代名詞「闘魂ビンタ」の道のりがスタートしました。

アントニオ猪木、闘魂ビンタ誕生への道③:大晦日編

選手・ファンが参加の『年越し闘魂注入!百八つビンタ』。
猪木プロデューサーが一人ひとりにビンタで闘魂注入。
最後は「1、2、3、ダーッ!」で締めたのだった。

出典:http://www.dreamofficial.com

今ではアントニオ猪木さんのビンタは、すっかり名物化していますね。

燃える闘魂!アントニオ猪木!今後の道のりは?

プロレスラー、アントニオ猪木としての道のりは決して楽なものではなかったアントニオ猪木さん。
その後、政治家アントニオ猪木としても数々の功績に加え事件などにも巻き込まれたりと
険しい道のりを歩んできたアントニオ猪木さんですが、現在は「日本を元気にする会」を設立し、
最高顧問として政界で活躍しています。
プロレスラー時代同様、今後もアントニオ猪木さんの歩む道のりに期待しましょう!

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