2021/12/17
onozawa
素敵なドラマいっぱいの唐沢寿明さん
生年月日 1963年6月3日(52歳)
出生地 東京都台東区
身長 175cm
血液型 A型
職業 俳優
ジャンル テレビドラマ・映画・舞台
活動期間 1980年 -
活動内容 1980年:デビュー
テレビドラマ
『愛という名のもとに』 / 『ラブコンプレックス』
『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』
『白い巨塔』 / 『不毛地帯』
『小早川伸木の恋』
『ルーズヴェルト・ゲーム』
東京都立蔵前工業高等学校
唐沢寿明さんのドラマは素晴らしい!
唐沢寿明さんの出身地は東京都で、地元の工業高校に入学されましたが、俳優を目指すため中退されました。
1980年、俳優として活動を始める。東映アクションクラブ
(当時最年少16歳で四期生)、ホリプロ(主にレコード会社回り)、
三生社(社長は俳優橋爪功の最初の妻)を経て、浅野ゆう子に声をかけられて
現所属事務所である研音に所属する。
デビュー当初のドラマがたくさんある唐沢寿明さんは、このようなコスチュームでアクション映像に参加していたと言います。顔も見えないし、とてつもなく孤独な俳優生活を送っていたようです。
クランクイン前には「トランポリンをやったり基礎を直したが、
昔のイメージでやると結構ケガしましたね」。当時の写真も紹介され、
「あの頃は忍者ショーとかが多かった。顔出しでいろいろやれるのが嬉しくて
仕方なかった時期だなあ」と照れることしきりだったが、
「こんな純粋な頃には戻れないけど、ここから出発したんですよ」と笑みを浮かべた。
ドラマが素敵すぎる、唐沢寿明さんは、先ほども述べた通り、デビュー当時はエキストラ的なスーツアクターをやっておられました。顔を見せない俳優なんて、とてもつらいですが、その経験があったから今はなんでもやってのけることができるのではないでしょうか・・・
中学生になった唐沢さんはブルースリーに夢中になり、すっかり成りきってモノマネをするほど。俳優への想いが高まった中学3年生のある日、東映撮影所にアポ無しで出向いた唐沢少年は、そこにいた守衛さんに「俳優になりたい」という自分の想いをぶつけました。
アクションもお芝居もしたい。そうして入ったのが『東映アクションクラブ』でした。16歳、当時最年少の入団者となりました。
スーツアクター、いわゆる仮面ライダーとか戦隊ヒーローものの“中の人”が主な仕事。当時はショッカーや、仮面ライダーの吹き替えをしていたそうです。
「当時、お金はなかったね。30メートルから飛び降りて3万円、
全身燃えるのでも3万円だから。骨折や捻挫は日常茶飯事で
、テーピング代わりにガムテープ巻いて撮影を続けてた。保険は当然、入れない」
初めてオーディションに合格したのは、8年経った24歳のときでした。
8年ですよ。腐らずに続けているその一途な想いがすごすぎます。
辞めて行った人を何度も見ながらがも、想いを貫くって本当にすごいです!
唐沢寿明のドラマはどれも素晴らしい!
ほとんど、スタントマン的なお仕事?裏方さんのお仕事時代だったんですね・・・苦労があるから今があるんですよ。。。きっと
唐沢寿明さんは、8年の下積み時代を経てドラマのオーディションにやっと合格されました。その最初のドラマが、NHK連続ドラマ「純ちゃんの応援歌」です。そこで俳優生活の大きな転機を迎えます。
出会いを果たす 唐沢寿明さん
NHKの朝ドラ『純ちゃんの応援歌』(1988年)への出演が決まりました。
主演は新人女優だった山口智子(やまぐちともこ)さんで、唐沢さんはその
相手役に大抜擢されたのです。
すでに8年の下積み期間を経てきた唐沢さんに対し、経験の少ない山口さんは、
主演女優としての不安や悩みなどを相談していたそうです。
このドラマを機に2人は交際をスタートさせ、ドラマから7年後の1995年に結婚しました。
今年、結婚20周年を迎えた2人ですが、そのおしどり夫婦ぶりは有名で、お互いにお互いを大切だと堂々と言う間柄。いろんなこともあったでしょうが、出会ってからずっと山口さんを支えてきた事が伺えます。
夫婦のことや自分自身のことをマスコミに間違って伝えられるのが嫌だと、自伝も書いています。
唐沢寿明さんにとって、俳優としてのスタートが未来のパートナーとなる現奥様との出会いだったなんて、、、すごいドラマみたいな話しですよね!こんなところにドラマがあるなんて、さすが大物俳優夫婦です。感動しました
結婚までドラマがあった!唐沢寿明さん。
唐沢寿明さんはデビュードラマはもちろん、本当に世間に評価されるようになったドラマ作品は?また、主演を演じるまでの助演されてきた作品も合わせて紹介します。カッコ良かった唐沢寿明さんもチェックしてみて下さい。
ブレイクドラマ前の唐沢寿明さん。
1985年12月4日からの放送で、松村雄基さん扮する不良の子分役で出演されてます。40代以上の方なら観ていたドラマですよね・・・ビックリ!
ブレイクドラマに出る前の唐沢寿明さんドラマ あらすじ
“きのう 夜11時、あなたは どこにいましたか?”
と、きかれて思わずビクとした人は、ノーマルです。「もちろん眠っていたわ。
どうして」と答えたあなたはアブです。 だって、ちょうどその時刻、あなたは
渋谷の公園通りにいたじゃない。
不思議なことが次つぎ起きる。 見知らぬ人が自分めがけて近づいてくる。
スゴク怖くて面白い学園ドラマ「ヤヌスの鏡」。 12月4日の夜8時、
ホントのあなたに会わしてあげる
前田利家を演じた 唐沢寿明さん
おふくの息子。幼名は千熊(せんくま)を演じられた唐沢寿明さん。
1989年の大河ドラマで、下積み後間もないオファーでした。
ブレイクドラマに出る前の唐沢寿明ドラマ あらすじ
明智家臣の娘という立場で戦国の乱世を生き抜き、その器量を徳川家康に見込まれて大奥の取り仕切りと後の三代将軍徳川家光の乳母を任された女性・春日局の生涯を描く。それまで「強い女」「烈女」のイメージが強かった春日局を、平和な世を希求し、献身的に家光の母代わりになろうと生きた女性として描く。
唐沢寿明・江口洋介コンビとも言われているこのドラマ!主演の2人はあの【愛という名のもとに】以来の(唐沢寿明さんがブレイクしたきっかけかと言われた主演ドラマ)共演で、注目を浴びました。
ブレイクした唐沢寿明さんドラマ あらすじ
食道噴門癌の手術を得意とする国立浪速大学第一外科助教授・財前五郎は、次期教授を狙う野心に燃える男。一方、財前の同窓である第一内科助教授・里見脩二は患者を第一に考える研究一筋の男。
食道噴門癌の若き権威として高い知名度を誇る財前の許には、全国から患者が集まってくる。その多くは、著名な有力者やその紹介の特診患者。その卓越した技量と実績に裏打ちされた自信と、野心家であくが強い性格の持ち主である財前を快く思わない第一外科教授・東貞蔵は何かにつけて苦言を呈する。
唐沢寿明さん久々の最新主演ドラマでした。
会社の為に自分を犠牲にしてしまう社長役!貫録一杯の物語です。
ブレイクした唐沢寿明さんドラマ あらすじ
中堅電子部品メーカー青島製作所は世界的な不況とライバル企業ミツワ電器(ドラマではイツワ電器・以下同)の攻勢を受け、経営は青息吐息の状態であった。そのような青島製作所の苦境の象徴が、青島製作所の野球部であった。社会人野球の強豪チームとして名をはせたかつての栄光は既に失われ、ライバルのミツワ電器野球部の後塵を拝し、対外試合ではほとんど勝ちをおさめられない状態まで野球部は落ちぶれていたのである。さらに野球部監督の村野三郎が主力二選手を引き抜いて、ライバルのミツワ電器野球部に寝返るという事件まで起こり、青島製作所の役員会では野球部廃止の声まであがる始末であった。
総制作費60億、総キャスト数300名を動員製作されました。
2008年の1月から6月まで第1章と第2章の一部が撮影され、
8月から第2章の一部と第3章を撮影
唐沢寿明さんの大作映画シリーズです。
ブレイクした唐沢寿明さん映画 あらすじ
近未来SF。世界征服をたくらむ男を倒すために、
正義の味方があらわれる。そいつは実にカッコよく
みんなに愛されて、誰もが彼を応援する。
正義の味方は、世界征服をたくらむ男を命がけでやっつけた。
人類の危機は救われた。ところが実はその正義の味方こそが
地球を滅ぼそうとした張本人だった。続く。
という話を描いた漫画家が危険思想を持つとされて刑務所に送られ掘られそうになる漫画。
下積み時代から現在までをご紹介しました。
やっぱり大物俳優さんて一味も二味も違うものです。ほんとうにこの仕事が好きだから続けられる仕事!これはどんな職業でもそうですが・・・唐沢寿明さんのドラマにはすべて転機のきっかけがあるようにも思います。7月から放送される新ドラマ「ラストコップ」が楽しみですね!今回の刑事役も応援したいと思います。
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