【とんねるずのみなさんのおかげでした】打ち切り説完全否定!継続!
2015/10/08
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「とんねるずのみなさんのおかげです」は、お笑いコンビのとんねるず(石橋貴明・木梨憲武)と多彩なゲスト陣によるコントを中心に構成された番組で、1989年から1994年までの6年間、バラエティ番組の年間平均視聴率一位を記録する功績を収めた、とんねるずの代表番組の一つです。
その番組で木梨憲武さんは死亡したことにされてしまいました。
さあ一体どうなるのでしょう。
とんねるず
TUNNELS
メンバー 石橋貴明
木梨憲武
結成年 1980年
事務所 アライバル
活動時期 1980年 -
出身 お笑いスター誕生!!
出会い 帝京高等学校
旧コンビ名 貴明&憲武
現在の活動状況 テレビ中心
芸種 コント
ネタ作成者 石橋貴明
現在の代表番組 レギュラー番組
とんねるずのみなさんのおかげでした
スペシャル番組
とんねるずのスポーツ王は俺だ!!
とんねるず×さまぁ〜ずの一文無しジャーニー2×2
過去の代表番組 夕やけニャンニャン
ねるとん紅鯨団
とんねるずの生でダラダラいかせて!!
その高視聴率を収めた番組で、木梨憲武さんが死亡したというドッキリを仕掛けてしまったために、不謹慎だ!という抗議の電話が殺到してしまいます。
木梨憲武さんを死亡させてしまった張本人は一体誰なのでしょう。
これが木梨憲武さんを死亡させてしまった番組ですか。
これはかなりクォリティが高いですね。
みなさんが騙されたとしても仕方がありません。
木梨の大きな遺影とそれを取り囲むたくさんの菊の花をバックに、石橋と野崎昌一(当時フジテレビアナウンサー)が悲しみをこらえて語っている背後から、緑のジャージ姿の木梨が現れるというもの。
この木梨憲武さんが登場するシーンを見て、初めて視聴者は木梨憲武さんが死亡したのはドッキリだったと気づくわけですね。
木梨憲武さんも視聴者をあっ!と言わせたくてこの木梨憲武死亡追悼番組に賛成したのかもしれませんが、これはちょっとやり過ぎではないでしょうか。
木梨憲武さんが死亡したと本気で驚いた人達の気持ちは、驚きから怒りへと変わって行ったでしょうね。
野崎アナ「こんばんは、野崎昌一です」
石橋「石橋貴明です」
野崎アナ「今日午後5時30分過ぎ、タレントの木梨憲武さん、盲腸のために信じられないことになってしまいました。本日は通常のみなさんのおかげですの番組内容を変更いたしまして、<木梨憲武を偲んで>と題しまして、特別番組をお伝えしてまいりたいと思います。なにしろ突然のことでした。我々関係者一同も本当に驚いたんですが、お茶の間の人気を集めていた人物だけに、日本のこれからのコメディ界にとって大変大きな痛手になると思うんですね、石橋さん」
石橋「そうですね、昨日は日本テレビの番組に生出演で、一応盲腸の手術後はじめての仕事で、関係者含めてですね、体がベストな形になるまでは芸能活動は控えておいたほうがいいと言ったんですが、やはり本人の強い希望で昨日は出演したんです。そういった意味では、10何年か一緒にやってきた僕から言えるのは、はげる前にしねてよかったな」
(木梨背後から登場)
木梨「何言ってんの?」
石橋「本人はですね、まだ結婚してませんでしたし、これからの未来っていうものが非常に開けていたですよ」
野崎アナ「そうですね」
石橋「未来が開ける前に額が開けちゃったということですね」
石橋「それでこういった形でみなさんのおかげですのファンの方にも、木梨憲武の今日の1時間でですね、胸に刻んでほしいですね」
野崎アナ「そうですね」
木梨「なに刻むの?ねぇ?」
石橋「本当にあの、コンビを組んでた僕からも本当に安らかに眠ってほしいですね」
木梨「眠んねーよ、この野郎」(石橋の頭を叩く)
木梨憲武死亡追悼番組のクォリティがここまで高いと、このツッコミにも視聴者は笑えなかったのではないでしょうか。
木梨が登場した後も2分程無視して喋り続けるものの、石橋が「出口3箇所ふさがれてましたから・・・」といった直後笑い出して木梨に気付き、セットチェンジ。結局『木梨憲武盲腸記念'91 憲武を笑わせろスペシャル 爆笑総集編』として番組の総集編が放送された。
木梨憲武死亡追悼番組の話がとんねるずに持ってこられた時の石橋貴明さんと木梨憲武さんの反応が見てみたいですね。
きっと石橋貴明さんも木梨憲武さんも引いたのではないでしょうか。
木梨憲武さんは自分が死亡したことにされたら、身内はどんな反応をするだろうと心配だったに違いありません。
それとも、石橋貴明さんも木梨憲武さんも、たとえ木梨憲武さんが死亡させられたとしても、番組として面白くて視聴率が取れればプロとしてはその方が良いと考えたのでしょうか。
こちらがその木梨憲武さんをドッキリで死亡させてしまった発案者でプロデューサーの石田弘さんです。
なんだか人を驚かせるのが好きそうな感じに見えるのですが・・・(笑)
実はこの木梨憲武さんを死亡させるというドッキリには元ネタがあるらしく、その元ネタとなった番組の時も大騒動になったそうなのですが、懲りませんね~
はい、こちらがその元ネタの時にドッキリで死亡させられてしまった吉田拓郎さんです。
ニッポン放送『吉田拓郎のオールナイトニッポン』での「吉田拓郎死亡放送事件」が元ネタとされている。
吉田拓郎死亡放送事件…1981年3月13日金曜日深夜の放送で、拓郎は風邪による発熱と胃けいれんで急遽出演できなくなった。代役を務めたその日の宿直勤務のアナウンサーとディレクターが「何か面白いことをやろう」と発案し、「吉田拓郎死亡放送事件」なる出来事が起きた。番組中死んだとは一言も言わなかったものの、「自殺の詩」や「どうしてこんなに悲しいんだろう」等、追悼色一色の放送にリスナーの問い合わせの電話は鳴り続け、マスコミも駆けつける大騒ぎに。
木梨憲武さんがドッキリで死亡させられてしまった時と同じで大騒ぎですね。
いくら死亡したと一言も言っていないとはいえ、あたかも死亡したかのように放送されれば皆、驚きますよね。
吉田拓郎さん、木梨憲武さん、災難でしたね。
木梨憲武さんをドッキリで死亡させたくて、ここまでする?っていうくらい手の込んだ番組作りになっています。
笑いと視聴率だけを狙ったようには思えないし、実際、笑いより怒りの方が強かったのではないでしょうか?
放送終了後フジテレビには約800件もの抗議の電話が殺到した。また木梨自身も、親戚のおばあちゃんにこっぴどく叱られたという。
多数の菊の花と木梨の写真(木梨のパスポート写真を使用)を配した大きな祭壇を組んだ追悼セット、暗いBGM、現役アナウンサー出演など、あまりにも悪ふざけが過ぎるとの声が多かった。
木梨憲武さんの死亡追悼番組をドッキリとはいえ作れば、視聴者の怒りも半端なものではないだろうと番組に関わるみなさんは思われたのでしょうね。
この木梨憲武死亡追悼番組の制作に携わるにあたって、オファーが来た方達の反応を見てみましょう。
オファーが来たみなさんは、木梨憲武死亡追悼番組のドッキリに関わるのを拒否されています。
それだけ木梨憲武死亡追悼番組の内容が視聴者の驚きと悲しみと怒りを買うものだと分かっていたからなのでしょうね。
元々は野崎でなく、当時役員待遇だった露木茂(現:フリー)の出演を予定していたが本人が逃げてしまい、部長待遇だった野間脩平(現:共同テレビ)にも逃げられたため、『プロ野球ニュース』の司会のため夜勤だった野崎が急遽呼ばれた。よりリアリティを持たせるため森光子にもオファーを出したが断られたという。
木梨憲武死亡追悼番組からのオファーを全員に拒否されて、困った番組に呼び出されたのが野崎アナウンサーだったのです。
野崎アナウンサー、災難でしたね。
驚きあり悲しみあり怒りありで幕を閉じた木梨憲武死亡追悼番組のドッキリは、その内容はさておき、視聴者を再び驚かすことになります。
笑えない木梨憲武死亡追悼番組でしたが、人を最大限に驚かすことは出来たようです。
とんねるずの石橋貴明さんと木梨憲武さんの更なるご活躍を楽しみにしています。
悪ふざけはほどほどにして下さいね。
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