【偉人】山本五十六。語り継がれる名言に秘められた想いとは・・
2015/10/08
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今でも山本五十六の名言は多くのファンに愛されています。
そんなたくさんの名言を残した山本五十六という人物とは?
どんなに素晴らしい人物だったのでしょうか?
山本 五十六
Isoroku Yamamoto.jpg
生誕 1884年4月4日
日本の旗 日本 新潟県長岡市
死没 1943年4月18日(満59歳没)
ソロモン諸島ブーゲンビル島上空
所属組織 大日本帝国海軍の旗 大日本帝国海軍
軍歴 1901年 - 1943年
最終階級 元帥徽章.svg元帥海軍大将[注釈 1]
墓所 靖国神社
多磨霊園
長興寺
山本五十六、やまもと・いそろく。大日本帝国海軍軍人。第26・27代連合艦隊司令官。元帥海軍大将。太平洋戦争前半の日本海軍の指揮を執った人物。真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦などの総指揮を執ったことから日本を代表する提督として海外でも知られている。ソロモン諸島ブーゲンビル島上空で乗っていた輸送機が撃墜され戦死。享年59歳
先見の明
山本五十六さんと言えば先見の明があったことが有名です。
その為、今でも会社経営者から人気が高いようです。
没後70年経過しても山本五十六の評価が高いのは、戦争しか知らない単なる海軍軍人では無かったこと、逸早く近代戦における「航空機」に着目したことにある。映画「タイタニック」でも解るように大正時代、1912年頃は、エネルギーは石油ではなく石炭で動力を動かす蒸気船だった。山本は、航空機による時代の到来を早くから予期、戦艦「大和」の建造に反対、日米開戦には最も反対していた。昭和15年(1940)海軍大将に昇格。しかし反戦の意向は実らず、却って昭和16年(1941)12月、真珠湾攻撃を命令することになる。
山本の秘書を勤めていた実松譲(さねまつゆずる・平成08年死)があるとき執務室の雑談で「君、アメリカと戦争をはじめようと本気で考える連中がいるんだね」とあきれたようにつぶやいていた山本の思い出を語っている。(「昭和史忘れ得ぬ証言者たち」P66)つまり山本は、日本がアメリカと戦争するような国力はないとの数字と事実を早くから判っていた。山本が止めようとしたのは、感情よりも純粋に軍人としての物理的判断だった。
山本五十六は狂気のヒトラーやナチスが嫌いでしたが、同時にドイツが勝利するはずがない事を明確に見通していました。そしてアメリカという史上最強の軍事超大国が、暴虐の限りを尽くしていたナチス・ドイツが欧州を征服するのを傍観しているわけがない事も見通していた。だから先見の明があったと言われるのです。その点、板垣征四郎や東條英機に代表される陸軍、そして松岡洋右や白鳥敏夫などの当時の外務省関係の連中とは二段も三段も上の人物だった。
戦後、オレもあの戦争には反対だった、という軍人がぞろぞろ出てきましたが、そう思っていただけではなんにもならない。その点、山本は、尊敬する先輩の米内海軍大将を組んで三国同盟、対米戦争に徹底的に反対。好戦的で侵略主義の陸軍と右翼に命を狙われていましたが、山本は遺書を書いてまで反対を貫きました。結局は米内が引退し山本が聯合艦隊に出たあと、海軍上層部は陸軍に押し切られて戦争を始めてしまいましたが、、、
そして山本の強硬な対米戦争反対も、山本が特に「親米」だったからではありません。まあそれなりにアメリカの国民性に好感情は持っていましたが、根本は強大な国力に基づくアメリカの強大な軍事力を認識していたからです。山本は「負けるに決まった戦争するバカがいるか!」と怒っていたそうです。三国同盟についても、「こんなものを結んだらアメリカと戦争になる。そうなったら東京なんか三度くらい丸焼けにされて日本人は惨めな目にあうだろう」、と。「精神力があれば米英と言えども怖くない」と公言していた東條とは大違いですね。
先を見越す力があった山本五十六さん。
しかし、戦争という大きな渦の中では運命に抗うことは簡単ではなかったでしょう。
そんな山本五十六さんでからこそこんなにも多くの名言を残すことが出来たのでしょう。
先見の明があった山本五十六さん。
山本五十六さんの名言はいまでも経営者から絶大な支持を得ており、朝礼などで名言を読み上げる会社も多いと言います。
そんな山本五十六さんの名言を集めてみました。
とっても有名な山本五十六さんの名言です。
この名言には次のような続きがあります。
この「やってみせ」の言葉は、部下を持つ管理人の方や、子育て中のお母さんなどに人気があり、山本五十六の名言の中でも有名な言葉です。
この「やってみせ」の言葉を、いつも心に留め置きましょう。
本当に素晴らしい名言ですね!
苦しいこともあるだろう。
云い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。
これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。
この「男の修行」は、山本五十六の代表的な言葉のひとつで、多くの経営者や指導者の方の座右の銘としている言葉です。
苦しい時、辛い時、この言葉を心の中で繰り返すと、心が落ち着きます。
今の草食男子にもこの山本五十六の名言は響くのでしょうか?
実年者は、今どきの若い者などということを絶対に言うな。
なぜなら、われわれ実年者が若かった時に同じことを言われたはずだ。
今どきの若者は全くしょうがない、年長者に対して礼儀を知らぬ、道で会っても挨拶もしない、いったい日本はどうなるのだ、などと言われたものだ。
その若者が、こうして年を取ったまでだ。
だから、実年者は若者が何をしたか、などと言うな。
何ができるか、とその可能性を発見してやってくれ。
ふと出る言葉も山本五十六さんの名言を読むと意識するようになりますね!
簡単そうで出来ない。
是非心に留めておきたい名言です。
陸軍との争いを避けたいから同盟を結んだというが、内乱では国は滅びない。
戦争では国が滅びる。
内乱を避けるために、戦争に賭けるとは、主客転倒もはなはだしい。
(日独伊三国軍事同盟の締結に際して)
先見の明があった山本五十六だからこそ言えた名言ですね!
分かりきった事でも、それを受け入れるのは簡単な事ではありません。
山本五十六の度量の大きを表した名言ですね!
山本五十六は賭博が好きだったようで、それにまつわるエピソードも残っています。
エピソードについては、下でご紹介します。
戦う為でなく、平和を守る為である。
結果は同じでも、2つの言葉は全然違います。
山本五十六の戦争への考え方がよくわかる名言です。
こんな事を言える上司が今の日本にどれだけいるのでしょうか。
山本五十六がどれだけ部下思いであったか、また上に立つものの本当に為すべき事を理解していたのでしょう。
そんなことがうかがえる名言です。
やれと言われれば、1年や1年半は存分に暴れてご覧にいれます。しかし、その先のことはまったく保証できません。
【覚書き|太平洋戦争直前、近衛文麿首相に戦争の見通しを聞かれたときの発言。山本氏は対米戦争には最後まで反対していた】
さすが先見の明があった山本五十六。
アメリカとの力の差を十分理解しており、対米戦争に反対していた時の名言。
戦後続々と実は反対だったと言う人が出た来たというが、戦争中表立って反対だと声をあげたのは山本五十六位だったのではないでしょうか?
この名言からも、山本五十六がいかに優れた軍人であったかがよくわかります。
今でも多くのファンに愛される山本五十六。
どれも心に響くものばかりです。
山本五十六の名言を見た瞬間はハッとして、これからの生活に活かそうと思うのですが、時間が経つとその感動も忘れがちです。
「やってみせ」の続きを確認しようとして、当サイトに来られる方も多くいらっしゃいます。
しかし、1ヶ月後、全文を覚えておられる方は少ないと思います。
いつも山本五十六の言葉を意識して過ごせたら、どんなにすばらしいことでしょう。
毎日、目に触れる場所に山本五十六の名言があれば、自ずとそのような行動になっていきます。
数々の名言を残した山本五十六ですが、山本五十六についてのかっこいいエピソードもたくさんありましたので、ご紹介します。
今も愛される名言を残した山本五十六とはどんな人物だったのか?
山本元帥は、アメリカ留学で、対日戦の作戦を話し合っていたアメリカ人達の近く山本がおり、慌てて口をつぐんだ彼らを見た山本は、「君らはアメリカの軍人だ。別に私に遠慮することはない。」と言ったといわれている。
更に、日本の本格的な工業化をアメリカ視察で言っており、故郷にあてた手紙では「アメリカでは女性も不自由なく暮らしむきがよい。日本もこうならなくては」と記されていた。国民の生活を豊かにする事こそ、国防につながる第一歩ということだ。
山本五十六は金銭が絡むギャンブルには無類の強さを発揮しました。
1923年7月のヨーロッパ視察旅行の時、同行していた軍事参事官・井出謙治に「自分を2年間、ヨーロッパ各地に遊ばせておけば、戦艦一隻程度造れるくらいの費用は調達できるでしょう」とジョークとも本気ともわからぬ口ぶりで言ったといいます。
その言葉通りかどうかわかりませんが、モナコのカジノで無類の勝負強さを発揮して勝ちまくり、これに対してカジノの興行主は五十六のあまりの強さに激怒、「以後、入場禁止」を言い渡したといいます。
賭博が大好きだった山本五十六。
入場禁止とは、すごいですね!
賭博の名言についても、納得です。
1933年10月3日に第一航空隊司令官に任命されたときのエピソード
空母「赤城」上空での戦闘機の訓練中、見学者の一人が空中戦に見惚れ、「うまいものだ」と感想を漏らしたら、五十六は「人から預かっている大切な子弟にこのような訓練をさせるのは耐えられない。国のためを思うからこそ心を鬼にしてさせているのだ。遊ぶごとのように見てもらっては困ります」と厳しそれを諌めたといいます。毅然として猛訓練をさせる一方で、心の中ではちゃんと部下への温かい思いやりをもっていました。
戦術に優れているので 撃ち落とすかどうか議論があり「この後 山本を超える人材は出ない・今撃ち落とさないと」という結論でアメリカ軍に撃墜されました。アメリカ軍人もその死を惜しんだそうです。
敵にまで死を惜しまれる、山本五十六とは本当に素晴らしい人物だったのですね!
山本五十六の全てが数々の名言に繋がっているのですね!
凄まじい戦争の中を生きた山本五十六。
山本五十六の名言は今現在を生きる私たちにとっても、気づきをくれる素晴らしい名言ばかりです。
気にいる名言があれば是非生活の中に取り入れてみてくださいね!
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