松井玲奈がSKE48卒業を発表!なぜ!?引退!?いつ卒業するの!?
2016/07/31
sakurayuzu
菊地あやか
本名 菊地彩香
1993年6月30日生まれ
東京都出身
プロダクション尾木所属
2006年 AKB48の3期生として「菊地彩香」名義でデビュー
2008年 AKB48卒業
同年11月 AKB48の7期生としてAKB48メンバーに復帰
同時に芸名を「菊地あやか」に変更しました
2014年 AKB482度目の卒業
同年 結婚
2015年 第一子となる男児を出産
菊地あやかは1度AKB48を卒業しています。
しかし、その卒業は「円満な卒業」ではなく
AKB48の運営からの「解雇通知」によって卒業したものでした。
事の始まりは2008年の夏。
当時は「菊地彩香」として活動していた菊地あやか。
交際していたとみられる彼氏との
ツーショットプリクラ画像が流出しました。
菊地あやかが同級生たちとの間でやっていた
プロフから流出したものと見られ、
菊地あやかの彼氏とみられる者の日記からは
菊地あやかと肉体関係があった事をほのめかしていました。
このことから騒動が大きくなりました。
菊地あやかがAKBの劇場公演を休演するなど
表舞台に立たずに騒動の終結を図ろうとしたが、
この騒動が収まることがなかったため
AKB48は菊地あやかを解雇処分にしました。
チームBの菊地彩香は、AKB48のメンバーとして
の自覚に欠けた軽率な行動を取ったことが判明
した為、8月14日付けで解雇いたしました。
私たちスタッフも、管理責任を痛感しております。
これから更に、メンバーの生活態度の指導を徹底して参ります。
AKB48初の解雇での卒業であったこと、
それが男性問題であったことから
スポーツ紙などでも大きく取り上げられました。
AKB48のメンバーも菊地あやかの解雇を
劇場公演で発表。
エース格であった菊地あやかの
突然の解雇卒業はメンバーにとっても予期せぬ出来事でした。
チームBのメンバーが揃ってた公演なんですよ。ファンの皆さんの前で、自分の立っている姿を見せられなくて、何もできなくて辞めちゃったから、あぁホントに終わったなぁみたいな。チームBのメンバーからは、『大丈夫?』とかいろんなメールが来て、励みにもなったけど、やっぱりその時は自分の中でも精神的にあれだったから。もう家にとにかく引き籠もってました。外に出るのも怖かったし
AKB48を解雇卒業したことで
当時所属していたプロダクション尾木も
菊地あやかを解雇しました。
AKB48電撃解雇卒業した菊地あやか。
そんな菊地あやかの熱狂的ファンは
菊地あやかのAKB48復帰署名運動を始めました。
無駄だとは分かっていました。その時点では、彼女がどんなことを考えているのかすら知る術はありませんでしたから。でも、一方的に解雇を発表されて、それでおしまいでは、僕は納得できなかったし、そういうヲタは沢山いたので、みんなのモヤモヤしている気持ちに区切りを付けるために始めたようなもんです。ただ命懸けでしたよ
プリクラ騒動から3ヶ月後。
菊地あやかは「AKB48に戻りたい」と
AKB48の7期生オーディションを受けました。
菊地あやかはその時の様子について
なんか結構ザワついてて、『(あっやっぱりこういう目で見られてんのかな)』って思って。最終審査の時に、秋元先生が見ていて、『菊地はこれからいろんな事があると思うけど、頑張っていけるか?』って聞かれて、『はい、覚悟は出来てます』って言いました
見事合格した菊地あやかは
芸名を「菊地彩香」から現在の「菊地あやか」にし、
研究生として正規メンバーと再会しました。
正規メンバーは菊地あやかの復帰を
歓迎しました。
しかしAKB48ファンからは
菊地あやかの復帰について賛否両論がありました。
その声に運営側はブログで答えました。
AKB48並びにプロダクション尾木を解雇された彼女ですが、社会的な制裁を真摯に受け止め、猛省し、自分の夢について真剣に考えたと聞きました。彼女が、再度オーディションを受けることには、相当の覚悟が必要だったでしょう。批判を受けることもわかっていたはずです。僕たちも悩みました。解雇という厳しい処分を下した責任があります。他のメンバーに対しての悪い見本になってしまうことも心配しました。「AKBのイメージが悪くなる」「復帰させるなら、解雇じゃなく、謹慎処分でよかっただろう?」「AKB全体のモラルへの意識が下がる」という沢山のファンの皆様の声もいただきました。しかし僕たちは、彼女がどういう気持ちでオーディションに応募して来たのかを考えると、応募書類を無視することは出来ませんでした。甘いと言われるかもしれません。僕たちの運営の在り方すら、疑問視されるでしょう。それでも僕たちは応募書類を受理し、特別に配慮することなく通常の気持ちで審査をしました。最後の最後まで、意見は分かれましたが、あるスタッフの言葉にみんなが頷きました。「俺が中学生の頃も、いろいろな過ちを犯しましたけど、次のチャンスがあったから、今、ここにいるんですよね
僕たちは、彼女を研究生候補として、合格させることにしました。彼女の道は、まだまた前途多難です。この先、どうなるか、僕たちにもわかりません。ただ、そんな状況をわかっていながら、もう一度AKBのドアを叩いた彼女の意思と勇気に、せめてドアだけは開けてあげたいと思いました。オーディションの時、マイクを持つ手が震えていた15歳の精一杯の決心を無碍(むげ)にすることができなかった僕たちを許してください。研究生候補から研究生に昇格できるのか、研究生から正規メンバーに昇格できるのか、僕たちにもわかりません。彼女が生まれ変わったように輝き、ファンのみなさんがそれを認めてくださった時、初めて、彼女は復帰できたと言えるのでしょう。それまでは、他の研究生と同じように、暖かく見守ってあげてください。マネージメントに不慣れなため、お騒がせして申し訳ありません
2008年の復帰以降、所属事務所とも再契約し
AKB48内のユニット渡り廊下走り隊に加入したり、
正規メンバーにも復帰し
チームK→チームAに所属。
しかし、2014年の「大組閣祭り」にて
大阪のNMB48の移籍を打診され
これを拒否し、AKB48に残留しました。
その後、菊地あやかは
AKB48からの卒業を発表しました。
この発表の8日後、
菊地あやかの卒業公演が行われ
菊地あやかは劇場公演を卒業。
しかし、AKB48の活動として
9月まで握手会があったため、
正式にAKB48を卒業したのは9月でした。
AKB48を卒業したその年の11月
菊地あやかが専属モデルを勤めていた雑誌と
自身のブログで
結婚と妊娠を発表しました。
私事ではありますが、この度、
菊地あやかはかねてから交際をしていました年上の一般男性の方と、
2014年11月22日に入籍し結婚しました事をご報告させて頂きます。
そして現在妊娠しており夏出産予定です。
彼氏とのプリクラ流出で
一度はAKB48解雇されてしまった菊地あやかだが
復帰後は男性との写真などが流出することもありませんでした。
2回目はAKB48を円満に卒業し
結婚し、第一子の男児も生まれ
菊地あやかは今幸せを掴んでいました。
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