2016/08/05
chihiro
小林 幸子(こばやし さちこ、1953年12月5日 - )は、新潟県新潟市中央区出身の演歌歌手、女優、タレント。本名、林 幸子(はやし さちこ)。旧姓、小林。血液型はA型。身長165cm。
漫画家の小林まこととは親戚である。
小林幸子さんは日本を代表する演歌歌手
1963年、9歳の小学4年生の時にTBS『歌まね読本』[注 1]でグランドチャンピオンとなり、審査委員長の古賀政男にスカウトされる。当時はテレビの音楽番組などは生放送であり、夜7:30のテレビ出演というのは、当時の子供にとっては遅い時間帯であった。この9歳の少女ということも「美空ひばり」を彷彿させ、その「ひばり」のものまねも他の大人の出場者を圧倒する抜群の歌唱力と非常に似ているものまねの出来で、後に「第二のひばり」と言わせるものであった。これが古賀を唸らせ文句なくグランドチャンピオンを獲らせたのである。
翌1964年には新潟市内で肉屋を営んでいた家族とともに上京して古賀事務所に所属し、古賀作曲の『ウソツキ鴎』でデビューする。デビュー曲がいきなり20万枚のヒット曲となる。「天才少女歌手・ひばり二世」として、大映映画では子役としても活躍した。
1979年に『おもいで酒』が有線放送から徐々に火がついてついにミリオンセラー(200万枚)に輝く大ヒットをする。この年の暮れ『第30回NHK紅白歌合戦』に出場、紅白初出場を果たす。
このおもいで酒で小林幸子さんは紅白初出場されたんですね。
現在もこの歌を歌っているのをよく見かけますが、こぶしが独特で本当に小林幸子さんは歌が上手いなぁと思っていつもテレビを見入ってしまいます。
最初の紅白でのド派手衣装は何か、閻魔大王のような出で立ちですね。
これでも十分派手ですが、次はもっと楽しませようという小林幸子さんのサービス精神により
どんどん派手になっていったと思われます。
第42回紅白の際には小林幸子さん、飛んじゃいました。
前回の衣装より派手になっているので重さが気になりますがしっかりと歌い上げたようです。
第43回紅白出場の際の小林幸子さん。テーマは光のファンタジー。
上に伸びました。この頃からもう機械で横に広がるような仕掛けをしていたんですね!
第44回の紅白と同様の衣装、ペガサスです。
小林幸子さんはどこにいらっしゃるんですかね(笑)?
第45回紅白出場の衣装はナイアガラ。
もう小林幸子さんの歌がこの頃から耳に入ってこなくなった人が多いと思います。
第47回紅白のテーマは雪女。
電飾がド派手になり始めた頃ですかね。
中央の165cmの小林幸子さんがとても小さいのでそうとう大きな衣装だと思います。
この紅白の衣装は電飾だけで勝負した感じですね。
あまり派手さは無いように思います。見慣れてきて感性がおかしくなっているかもしれません(笑)
生命誕生というより小林幸子誕生という感じですね。
ますます派手ですね。
早着替えして回転して上昇しながら歌う小林幸子さんが凄すぎです。
第51回小林幸子、紅白衣装。”愛×2傘”
画像だとものすごいことになっていますが、最初は普通に登場して歌い始めた珍しい年。どれくらい珍しいかというと、小林幸子がちゃんと舞台袖から歩いて出てきたのは10年ぶりだったそうです。
紅白ではこんな豪華衣装で33年間私たちを楽しませてくれました。
しかし、ある問題が勃発したせいで小林幸子さんが紅白に落選するという事態が起きたのです。
いったい小林幸子に何が起きたのか。この間の経緯を振り返ってみよう。小林が紅白はもちろん、芸能界からも追放されそうになったのは2012年のこと。小林の個人事務所である「幸子プロモーション」の女性社長と専務が社を去り、それが表沙汰になった途端、小林の転落が始まったのだ。当初は、前年に結婚した小林の夫が、芸能界のしきたりを理解せずに幸子プロモーションの経営に口を出したことで、小林と元社長・元専務の溝が深まったと報じられた。
小林幸子と夫
しかし、「週刊文春」2012年4月19日号(文芸春秋)では、元社長・元専務の2人に任せきりにされていた社の経理が不明瞭で、小林は自身のグッズの収支すら一切把握できていなかったことが明らかになり、双方の主張が対立する泥沼のお家騒動へと発展していったのだ。
同じく「週刊文春」12年10月18日号は、「芸能界のドン」と呼ばれ、マスコミにも大きな影響力を持つ大手芸能事務所バーニングの社長が元社長・元専務の後ろ盾となったために、スポーツ紙やテレビは小林に対するネガティブキャンペーンを開始し、小林が知人に送ったメールがそのままマスコミに流れたこともあった、と報道
さらには、事態を重く見たレコード会社が新曲発売の延期を決め、レコード会社との契約解消する事態に追い込まれた。
作詞家・作曲家といった音楽関係者もバーニングを敵に回した小林との仕事を敬遠し、スタジオさえ借りられなかったために、別の歌手の名前を使ってレコーディングに及んだという。周囲に圧力をかけて小林を孤立させる......まさにバーニングの常套手段といったところだろう。
芸能界って怖いですね。
マスコミをも利用して小林幸子さんを徹底的に潰そうとしたんですね。
この問題があって紅白に出場出来なかったのではないか?と囁かれています。
事務所のトラブル問題で紅白から敬遠されてきた小林幸子でしたが、そこからが彼女の快進撃の始まりだった・・・演歌歌手のイメージをぶち壊す、カバー曲、コミケ参戦、ネットTVコンサートなど時代を先駆ける歌手活動を繰り広げてきました。2015年には海外公演をも行うようです。
普通なら、ここで完全に消え去ってしまうか、バーニングに屈服して元の鞘におさまるところだが、小林はどちらも選ばなかった。小林が活路を見出したのは、それまでまったく縁がなかったオタク界隈だった。
もともと、小林は紅白でおなじみの「火の鳥」や「メガ幸子」といった巨大衣装がRPG系のゲームに出てくる「ラスボス」のような威圧感だとオタク界隈でひそかな人気があった。小林はそのことに気づいて、騒動直後の2012年にニコニコ生放送に出演を皮切りに、ニコ動に積極的にかかわりはじめる。その年の年末には、ニコ動の年越しイベントに動画コメントの形で参加し、13年9月には、ニコニコ動画に"歌ってみた"動画を初投稿した。すると、わずか2日あまりで100万回再生を突破。これで、小林は完全に覚醒し、オタク路線を本格化させた。
紅白と決別し、新境地を開拓した小林幸子
当の本人は笑顔で「今年の年末は旦那さんとヨーロッパ方面に行きます」と明かし、「紅白は本当に楽しませてもらった。33年間を誇りに思っています。新しいことをやるのは今年の目標だった。来年は海外公演も含めてやります。思い込みを捨てるところから始めてこんなに楽しいことはない。たくさんの新しい人たちと触れ合うことができて、充実しています」と、紅白との“決別”を宣言した。
33年間も紅白で楽しませてくれた小林幸子さん。
事務所問題のせいで紅白に出られなくなってしまって私も残念です。
しかし、紅白に出ないときは海外公演など行って相変わらず忙しいようですね。
今年こそ小林幸子さんが紅白に出場できたらいいなと今から楽しみです!
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