【訃報】愛川欽也死去・アド街司会を卒業したすぐ…肺がんを隠してた
2022/02/16
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本名 井川 敏明(いがわ としあき)
生年月日 1934年6月25日
没年月日 2015年4月15日(満80歳没)
出生地 日本の旗 日本・東京府東京市豊島区巣鴨
(現:東京都豊島区巣鴨)
死没地 日本の旗 日本・東京都渋谷区
身長 168 cm
血液型 A型
職業 俳優・タレント
ジャンル 映画・テレビドラマ・バラエティ番組
活動期間 1954年 - 2015年
配偶者 うつみ宮土理(1978年 - 2015年)
1975年に放送開始し、愛川の司会者としてのレギュラーの一つだった昼のバラエティ番組『シャボン玉こんにちは』にて、うつみ宮土理と出会い、親交を深めた。
1978年には、前妻と離婚し、その翌日にうつみと再婚した。
うつみとは生涯長くコンビを組んだが、二人の間に実の子供は最期まで儲けられなかった。
うつみ宮土理さんとは再婚だったんですね!
しかも、前妻との離婚の翌日に再婚ということで、略奪婚が噂されていたそうですよ。
2009年6月、私財を投じて建設した小劇場「キンケロ・シアター」を東京都目黒区青葉台にオープンさせた。
劇団キンキン塾の活動拠点となる他、自主製作の映画なども上映する。
劇団以外に劇場まで・・・すごいですよね!
この頃は愛川欽也さんも自分が病気に苦しめられるなどとは想像もしていなかったでしょうね。
1995年4月15日にこの番組の放送が開始され、愛川欽也さんは20年間司会を続けました。
病気に蝕まれながらも愛川欽也さんは番組の司会者として病気をひた隠し頑張っていたのですね。
「肺がんが発覚したのは昨年12月のことです。
体調不良が続いたので都内の病院で診察を受けたところ、この時点ですでにがんは末期まで進行していたんです…。
きっと仕事熱心の愛川欽也さんは病気を抱えながらも無理をしすぎてしまったのでしょう。
そのため、思いのほか病気の症状は進行してしまったのですね。
病気になってしまった愛川欽也さんですが、その病気の治療に関しても悩みがあったようです。
手術をすれば長期入院しなければならず、放射線治療にしても週5~6日の通院を最低でも2か月は続けなければいけない。
どちらも、仕事に支障が出ることは避けられません。
でも愛川さん、“おれは絶対に仕事に穴はあけない”って聞かなくて…。
そこで彼が取ったのが、第三の選択肢となる『重粒子線』という治療法でした」
放射線に比べてもより局所的に、体内の深くまで届く重粒子線を照射するこの施術は、体への負担も少なく、治療期間も週3日の通院で、早ければ2週間ほどで終わる。
しかし、極めて高度な設備を必要とするため、日本国内ではわずか4つの病院でしか受けられない上、保険適用外のため、治療費は300万円を超える。
病気の治療で休むよりも仕事をしたいという愛川欽也さん。
それだけこの仕事が好きだったんですね。
病気なんかに負けないという気持ちで頑張り続けた愛川欽也さんは素晴らしいですね。
20年間司会を務めたテレビ東京系『出没!アド街ック天国』を卒業。
愛川がメインで出演してきたインターネット放送局『kinkin.tv』の閉鎖も発表していた。
しかし、仕事をしたいという反面、愛川欽也さんの病気の進行は止めることができず、体は辛い状態だったのでしょう。
ちょうど収録1000回を機に番組を降りたそうですね。
引退した理由が認知症だったという噂が流れています。
最後の放送でゲストの方々とのトークがあまり噛み合っていなかったからなんです。
関係者によると本当はもっとトークがめちゃくちゃで多くの部分がカットされているんだそうです。
仕事熱心な愛川欽也さんが病気ではなく認知症とは考えにくいですよね。
病気の症状がどんどん悪くなっていく中、耐えて仕事をしていれば誰でもそうなってしまうのではないでしょうか。
「残念ながら治療の成果は芳しくなく、この頃はもう、がんは脊椎にまで転移していたんです。
1000回目の収録当日も、愛川さんは高熱でまともに歩くこともできず、気力だけで収録したものの、その後都内ホテルで行われた記念パーティーにも参加できないほどでした」(テレビ関係者)
病気と闘い続け、負けない精神を持った愛川欽也さんの頑張りは素晴らしいものですね。
私も見習いたいくらいです。
愛川欽也さんが病気と闘い、亡くなられた4月15日という日付は、長年司会を務めた番組が初めて放送された日付と同じだったそうです。
仕事熱心な愛川欽也さんにぴったりの日だったんでしょう。
うつみ宮土理さんが韓国へ留学していた8年前にこの任漢香(にん かんか)さん(当時28歳)と愛人関係になったと言われており愛川欽也さんはとにかくこの女性に惚れこみ80歳の今まで関係は続いていたのだとか。
この任漢香(にん かんか)さんが常に愛川欽也さんに付き添い献身的にお世話をしていたといいます。
劇団関係者の中では2人の仲は公認であり妻のうつみ宮土理さんもとっくの昔に諦めているほどの関係とか。
愛人を作り惚れ込んでしまった病気の愛川欽也さんをうつみ宮土理さんはどんな想いで支えていたのでしょうか。
うつみ宮土理さんがかわいそうに思えますね。
この2人は2007年、写真週刊誌に不倫密会現場をスクープされ、そのわずか9カ月後には愛川が任に東京都内の高級住宅地にある3階建ての一戸建て住宅を贈ったとされている。しかもこの家、なんと愛川と長年連れ添った正妻・うつみ宮土理(71)の実家の目と鼻の先にあるというのだ。
任は愛川の密葬が行われた4月17日に週刊誌記者のインタビューにこう答えている。「いま、とても悲しくって…ダメです」。さらにその数日後には別の取材に対し「私、看取りたかったです」とも発言した。
うつみ宮土理さんは妻として病気の愛川欽也さんを支え続けました。
最後くらいは愛人を近づけずに自分が愛川欽也さんの1番そばにいたかったのでしょうね。
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