2024/02/16
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・藤真利子プロフィール
藤さんの父は人気小説家の藤原審爾さんで、映画監督や有名な女優が訪ねてくる環境のもとで生まれ育ったため、いつしか「女優になりたい」と思うようになっていったそうです。藤さんが4歳のとき、父が愛人を作って家を出ていったため、母と2人で暮らすようになりました。
中学校のすぐ隣に唐十郎さんのアングラ劇団「状況劇場(赤テント)」が借りていた家があり、奇妙な装いの俳優たちと生首などおどろおどろしい小道具の山を藤さんは目にしていたそうで、それらにいざなわれるかのように不二聖心女子学院高等学校では演劇部に入りました。
そして、聖心女子大学文学部歴史社会学科在学中の4年生の時、父から猛反対されるも女優の道へと進みました。
藤真利子さんは、2023年現在、独身で結婚歴もなく子供もいません。年下の芸能人の男性との交際が何度か噂になりましたが、噂どまりで終わっています。
藤真利子さんは、過去に年下タレントとの熱愛報道がいろいろとあり「年下キラー」と言われたことがあります。
そんな藤さんが30歳の時に熱愛が噂されたのが当時22歳だった近藤真彦さんです。藤さんは、かねてより近藤さんの大ファンで、1986年5月に念願かなって女性誌での対談が叶ったときは大喜びしたそうです。
対談の3ヶ月後にカーレースに参加する近藤さんを応援するために筑波サーキットに出向いたり、公演の打ち上げに参加したりと交流を深めていきました。その後も、藤さんは近藤さんのアルバムに詞を提供したり、一緒にビリヤードを楽しむなどオフでも度々会うようになっていったらしいです。
1987年1月にはドラマ『マイフェアねーちゃん』(TBS)で共演しています。
藤さんと近藤さんの様子があまりに親密だったため、いつしか熱愛報道に発展してしまいました。このとき近藤さんは「お友達というのは失礼だし、だからといってお姉さんというのも…。でも恋人とは言えない」とあいまいなコメントをしていて、実際に恋愛感情があったのか、ただの姉弟のような関係だったのか、謎のままです。
その後、熱愛の噂も自然消滅していきました。
・近藤真彦プロフィール
藤真利子さんは、10年以上も母親の介護をしていたそうです。彼女の母親が倒れた原因や、介護にまつわる色々なことを調べてみました。
藤真利子さんの母親・静江さんが2005年6月に自宅のキッチンで脳梗塞で倒れ、一命は取り留めたものの、右半身が完全に麻痺して寝たきりになり、会話ができなくなったそうです。当時、静江さんは81歳で藤さんが51歳でした。
静江さんがリハビリ病院を転々とした後、介護施設か在宅介護をするよう勧められ、藤さんはもらった一覧表の施設に片っ端から電話を掛けましたが、病状が重かったため受け入れ先が少なく、近郊の人気施設は1000人待ちだったそうです。
それで藤さんは、在宅介護を決断し、自宅をバリアフリーにリフォームし、最初はヘルパーにあまり任せることなく、自分で介護をしていたそうです。そして静江さんが亡くなる2016年11月まで11年間、介護が続きました。
藤真利子さんは、母親・静江さんのために要介護5の介護保険を利用しましたが、介護のために、地方のロケや長期の仕事を断るなど仕事を大幅にセーブし、収入が激減しました。
なんでも、地方公演となるとおおむね泊りでの仕事となり、泊りとなると母親の介護をしてもらうヘルパーが必要となり、そうなると地方公演の仕事を頑張っても赤字になってしまったそうです。
医療費、看護師・ヘルパー代、生活費など色々と出費がかさみ、貯金が底をついてしまい、ユニクロの服を買うのも躊躇してしまうほどお金に苦労したそうです。
藤真利子さんには、長年交際していると噂される彼氏がいたそうで、交際当初は母親の静江さんから交際を反対されたこともあったらしいです。でも、母親の介護が始まってからは、藤さんの留守中は彼氏が静江さんに付き添い、面倒を見ていたそうです。
藤真利子さんが、母親の在宅介護を決めた理由は先にも書きましたが、主な理由として「母親と一緒にいたかったから」「病院に預けると短期間で別の場所に転院することになるから」があり、繰り返しになりますが「人気の施設は待ち人数が多く、入れる施設は距離が離れていたから」が挙げられます。
藤真利子さんの父親は、直木賞作家の藤原審爾さんです。父である藤原さんとは疎遠になっていた時期がありましたが、最終的に和解したのかどうかなどを調べてみました。
藤真利子さんは、父の藤原審爾さんに猛反対されながらも女優の道に進んだことで、父とは疎遠になり、7年近くは会うこともなかったそうです。
・藤原審爾プロフィール
奥津温泉をテーマに書いた『奥津温泉』が出世作となり、1952年に『罪な女』『斧の定九郎』『白い百足虫』の3作品で第27回直木賞を受賞。純文学からサスペンス、恋愛もの、ハードボイルドなど幅広いジャンルの作品を発表し、「小説の名人」の異名をとりました。
藤真利子さんは、父の藤原審爾さんが肝臓がんで余命半年と知ったとき、仕事をすべてキャンセルし、残された時間を一緒に過ごそすことを決意しました。この時、藤さんは父の反対を押し切って女優になったことや、父に冷たくしてきたことを後悔したそうです。
病床の父は藤さんに「お前が好きだ」と言ってくれたそうです。そして、再会して10日後に父の容態が急変し亡くなりました。父が亡くなる間際に藤さんに残した言葉は「君が輝いていたら、きっとまた巡り合えるだろう」だったそうです。
藤真利子さんは、女優だけでなく、作詞・作曲家としても活動しています。そんな彼女のこれまでの芸能活動の経歴を調べてみました。
藤真利子さんは、1977年にドラマ『文子とはつ』(TBS)で女優デビューし、1978年の『飢餓海峡』(フジテレビ・上画像)で娼婦・杉戸八重役を演じて注目されるようになりました。この役は、最初、多岐川裕美さんが予定されていましたが、ヌードになるかどうかどうかで揉めて降板し、藤さんが演じることになりました。共演は、若山富三郎さん、山崎努さん。
藤さんは『飢餓海峡』の演技が認められ、その年のゴールデンアロー賞優秀新人賞をはじめ、多くの新人賞を受賞しました。
その後の出演ドラマには、NHK大河ドラマ『太平記』(1991年)『西郷どん』(2018年)、『HOTEL』(1990年・1993年・1994年・TBS)、『ガラスの仮面』(1997~1998年・テレビ朝日)などがあります。
藤さんの出演映画には、『わるいやつら』(1980年)『薄化粧』(1985年)『吉原炎上』(1987年・上画像)『社葬』(1989年)『寒椿』(1992年)『名も無い日』(2021年)などがあります。
藤真利子さんは、微美杏里(びびあんり)というペンネームで、作詞&作曲活動をしています。ペンネームは、イギリス女優ビビアン・リーが由来で、松任谷由美さんに相談して決めたそうです。
藤さんは、デビュー前から松任谷さんのファンで、デビュー1年後に週刊誌の対談で初めて松任谷さんと対面し、互いに意気投合したそうです。藤さんのアルバム『ガラスの植物園』『浪漫幻夢』で、松任谷夫妻のプロデュースや楽曲提供を受けています。
藤さんが作詞した楽曲には『アブナイ彼』(大西結花)『夏模様』(柏原芳恵)『時計仕掛けのロマンス』(近藤真彦)『去年の暮-予感』『もう一度抱いて』(萩原健一)『今日からSecret Girl』(早見優)などがあります。
藤真利子さんは、現在でも様々なドラマや映画に出演していて、バラエティ番組にも出ることがあるようです。『痛快TV スカッとジャパン』(フジテレビ)では《スーパーの迷惑客》「日用品を買い占めるサイテー女」など3回ほど出演しています。
藤真利子さんは、2017年に『ママを殺した』(幻冬舎)を出版しました。少々驚いてしまうタイトルですが、藤さんは、介護を続けながら母の様子を書き綴ってきた介護ノートが65冊にもなっていたそうで、その実体験の記録を本にしたものです。
藤真利子さんのように、親の介護に尽力した芸能人の女性が何人かいます。それが誰で、母親がどんな状態のときに介護していたのかを調べてみました。
秋川リサさんは、57歳から7年間、認知症の母親の在宅介護を行いました。母親は失禁や昼夜をかまわず徘徊を繰り返していたそうで、そのことに悩み疲れ切ってしまった秋川さんは、母親をサービス付き高齢者住宅を経て、特別養護老人ホームに入ってもらうことにしました。
母親が施設に入所することで、秋川さんと母親との間に適度な距離が生まれ、やっと“見守る介護”ができるようになったそうです。
2016年に秋川さんの母親は89歳で亡くなりましたが、母親の介護に関して「“もっとこうしてあげたらよかった”“こうしなければよかった”と嘆く方もいるけれど、自分が精一杯やっという自己満足を得られれば、それで充分ではないか、私は後悔していない」と話しています。
・秋川リサ プロフィール
安藤和津さんは、次女のサクラさんを出産して病院にいた38歳の時、まだ50代の母親に長女の桃子さんの面倒を見てもらっていましたが、お見舞いに来る長女が毎日同じ服を着ていて、母親が着替えさせないのはおかしいと思ったことがありました。
そして、サクラさんが小学生の頃、母親が孫のサクラさんや安藤さんのために作った弁当のおかずの味付けが変だったり、母親の行動におかしなことが目立つようになっていきました。
母親が70代の時に、病院で脳の検査をすると、脳腫瘍が見つかり、大きさがテニスボール大で20年以上も前にできていたことが判明しました。それで、それまでの母親の行動は、脳腫瘍が原因の老人性うつ病と認知症によるものだと分かりました。
母親の脳腫瘍の発覚後、安藤さんは昼夜を問わず母親の排泄処理や入浴の世話に追われる自宅介護を続けました。母親は2006年に亡くなりましたが、その1年ほど前から安藤さんは介護うつになっていたそうです。介護うつの症状は2017年12月まで続いたらしいですが、娘や夫・奥田瑛二さんの気遣いもあって前を向けるようになったそうです。
・安藤和津プロフィール
大竹しのぶさんは、高校教師だった父親が結核で入退院を繰り返し、生活保護を受けて生活していたことがあったそうですが、母親が父親に代わって家族のために働き、家事と子育てをこなしていたそうです。
大竹さんを始め子供たちが成人した後も、母親は家族のために働き続けたそうで、娘の大竹さんが最初の夫と死別し、明石家さんまさんと結婚&離婚するなど波乱に富んだ人生を歩む中、女優業で多忙な大竹さんに寄り添い、彼女に代わって孫の子育てを手伝ったそうです。
母親は、大竹さんの自宅に突然取材に訪れたワイドショーのスタッフや記者にも、嫌な顔をせず対応してくれることで有名だったそうで、大竹さんにスキャンダルがあっても笑い飛ばす母親を、今度は私が支える番と決意し、年老いた母の介護をすると決意したそうです。
大竹さんが仕事で不在の時は、長男と長女(IMARUさん)が付きっきりとなり、大竹さんの姉妹らが頻繁に自宅を訪れ介護生活を支えていたそうです。大竹さんは、介護で気が滅入ってしまわないよう、フラットな心でいられるよう心掛けていたそうです。
・大竹しのぶプロフィール
直木賞作家・藤原審爾さんを父に持ち、女優だけでなく作詞家としても活動している藤真利子さん。結婚することなく、現在もテレビや映画で活躍を続けていますが、いつまでも元気に暮らしていってほしいものですね。
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1977年に女優デビューを飾り、今なお人気を集めている藤真利子さん。国民的に人気の女優ということもあり、藤真利子さんが結婚しているのか気になる人はたくさんいます。
本記事では、藤真利子さんの結婚について徹底解説します。交際が噂された昔の恋人は誰なのかや、父親と母親との関係は良好なのかなども紹介するので、気になる人はぜひ最後まで内容をご確認ください。