2023/12/15
take79
まずは、アンタッチャブルがどんなお笑いコンビなのかについて、見ていきたいと思います。彼らはどの様な道のりを歩んできたのでしょうか。
2003年の『M-1グランプリ』において、敗者復活戦から最終決戦に進出(この際には結果として3位だった)しました。そしてこれを機にテレビ出演が増加しています。
2004年3月に、2003年度末の『爆笑オンエアバトル』第6回チャンピオン大会で優勝しました。これまでは第4回以外の、全てのチャンピオン大会に最終決戦まで進んでいましたが、優勝を逃していました。ちなみに北海道・北見市で収録された回では、2004年度の1位で歴代2位となり自己最高となる541KBを獲得しています。
続いては、柴田英嗣が起こした事件について見ていきたいと思います。さて、柴田英嗣は一体どんなことをしたのでしょうか。コンビ活動をしていなかった理由やその期間についても迫ってみましょう。
初めは、2010年2月から2011年1月まで、柴田英嗣が芸能活動を休業するという発表がされたことが始まりでした。休業の理由については次でご紹介いたします。
柴田英嗣が休業したのは、当初はレーシック手術からくる合併症による体調不良での休養であるとされていました。しかし、原因は他にもあったようです。
休業の理由は本当は女性のトラブルにあったと報じられました。7年交際していた女性との間に子供ができたものの堕胎をさせたこと、その後に柴田英嗣は結婚をし子供もできたが、体調不良での休養中に浮気が発覚してしまいました。
それから元カノより『柴田の妻から脅迫被害を受けた』として訴えられ、柴田英嗣は警察から事情聴取を受けています。
柴田英嗣の起こしたトラブルに、温厚とされる相方の山崎弘也が激怒したとされ、所属事務所の社長からも謹慎を言い渡され、休業期間以降10年間もコンビの活動が停止状態となっていました。
柴田英嗣の騒動後に、アンタッチャブルの2人はコンビで一緒にいるところを長い間見ることはありませんでした。その間にアンタッチャブルは解散していたのかと思われる方もいるかもしれません。そこで、アンタッチャブルは共演NGだったのかについて見ていきたいと思います。
柴田英嗣の女性問題などにより、アンタッチャブルの2人は不仲になってしまったとされています。女性問題では、柴田英嗣が事情聴取を受けていたことも原因となった可能性があるでしょう。
柴田英嗣が謹慎してからずっと、山崎弘也はピンとして仕事を続けていたことで、その間に山崎弘也はブレイクしコンビ間格差が生まれてしまいました。そこで、柴田英嗣が山崎弘也と同じくらいの活躍ができるようになってからコンビを復活しようという、山崎弘也の配慮があって共演していなかった可能性があります。
アンタッチャブルの後輩である『東京03』が、かつて島田紳助とトラブルになったことがあったことがありました。その際に、柴田英嗣は他の芸人と共に島田紳助の元に行き、東京03を許して欲しいと懇願したとされています。
それが島田紳助の怒りを買ってしまい、山崎弘也が柴田英嗣と距離を置くようになったという噂もあります。
長くコンビとして活動していなかったアンタッチャブルですが、解散をしたわけではありません。アンタッチャブルは約10年という時を経てコンビとしての活動を再開させています。その詳細について迫ってみたいと思います。
柴田英嗣は、『全力!脱力タイムズ』というテレビ番組に不定期で出演しています。2019年11月29日放送の『全力!脱力タイムズ』において、アンタッチャブルが10年ぶりにコンビ復活を果たしたのです。10年ぶりの共演で、アンタッチャブルはサプライズで漫才を披露しました。有田哲平に導かれて山崎弘也が突如として登場し、柴田英嗣は大いに驚いたのでした。
アンタッチャブルの復活には、くりぃむしちゅーの有田哲平の尽力もあった可能性があります。有田哲平は山崎弘也と仲良しであり、柴田英嗣も『全力!脱力タイムズ』の準レギュラーとして出演していますので、有田哲平がアンタッチャブルの仲を取り持ったことも考えられるでしょう。
『全力!脱力タイムズ』に出演してからは、コンビ活動を再開させTHE MANZAI2019にも出演しました。そしてコンビでの仕事も増加していき、オッズパークのCMでも2人は共演しています。
コンビ復活を果たしたアンタッチャブルですが、世間の人たちはどういった反応を見せているのでしょうか。世間の反応などについて見ていきたいと思います。
『全力!脱力タイムズ』での漫才で、やっとのことで復活したアンタッチャブルに感激し涙する人もいたほどでした。長くお互いにピンで活動を続ける2人に、いつか復活してほしいと願っていたファンは多かったのでしょう。
復活を待ち望んでいたファンにとっては、本当に嬉しい出来事だったと考えられます。久しぶりの漫才の掛け合いを見て、『やっぱりアンタッチャブルは2人でなくては』と思う人も多かった模様です。
『全力!脱力タイムズ』での復活は、柴田英嗣も知らなかったサプライズで実現し、柴田英嗣にとっても思いがけない形での出来事だったのです。このサプライズでの復活が、感動を呼んだ可能性があるでしょう。
復活の際に見せた漫才は『M-1グランプリ』でも披露したネタであり、その当時を彷彿させるようなブランクを感じさせないクオリティの漫才であったことも、見る側を感動させる理由となったのでした。
復活漫才のネタ中に、柴田英嗣が一度ネタを止めようとストップさせた場面があったことを説明してください。しかし山崎弘也は「まだ終われない」として続行させたのでした。この場面に心を揺さぶられたという声もあります。
自身が理由でコンビとして活動ができなくなったことに、柴田英嗣は負い目を感じていたはずであり、もうこれで十分だと思っていたかもしれません。しかし山崎弘也はそれを良しとはしなかったのです。それは、山崎弘也のアンタッチャブルとしての自負から来たのでしょう。
アンタッチャブルというと、漫才のほうがイメージが強い方が多いでしょうか。アンタッチャブルは、コンビ復活後に漫才だけでなくコントも披露しています。その点について紹介したいと思います。
アンタッチャブルは、2020年11月3日に放送された『お笑い二刀流 MUSASHI』に出演しました。この番組は、多数のお笑いコンビやトリオに加えて、MCを務めるサンドウィッチマンが漫才とコントの両方を披露するというものです。
『お笑い二刀流 MUSASHI』の番組趣旨通りに、アンタッチャブルも漫才とコントを披露しましたが、コントをするのは実に15年ぶりだったといいます。コンビの活動を休止するよりもずっと前からコントはしていなかったということです。
彼らの漫才については、サンドウィッチマンの伊達みきおは「まったくブランクを感じなかった」と話し、富澤たけしも「アンタッチャブルさんと同じ時代に生まれて良かった」と評するほどでした。スピーディーかつ超ハイテンションという、スタッフも大爆笑したほどの盛り上がりを見せたのです。
そしてコントについては、斬新な始まりとなっていて驚きの声を上げるゲストもいたのでした。設定自体は古くからあるものであり、それがかえって新鮮さを醸していたのです。
柴田英嗣としては、「まだリハビリ期間だからトレーニングのつもりで臨んだ」と話しています。それでも、山崎弘也の数々のアドリブにも的確にツッコミを入れる柴田英嗣は、やはりさすがの一言だと言えるでしょう。
アンタッチャブルは、柴田英嗣の起こしたトラブルにより、長らく活動ができませんでした。山崎弘也にとっても許せないことだったのかもしれません。しかし、誰よりもアンタッチャブルの復活を待っていたのも、また山崎弘也だった可能性もあります。
ついに復活を果たしたアンタッチャブルは、ますます活躍を見せてくれるでしょう。
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プロダクション人力舎が運営しているタレント養成所である『スクールJCA』で、3期生として山崎弘也と柴田英嗣が出会いました。そこで、アンタッチャブルが結成されたのです。