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2023/11/27
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中尾翔太は、母親の勧めもあり3歳からダンスを始めました。そして、小学4年生になるとアメリカのストリートダンスの1つであるクランピングを開始したのです。さらにLDHの事業として株式会社expgが運営している、EXPGと言うダンススクールの名古屋校に通うようになりました。
2014年に、中尾翔太は『EXILE PERFORMER BATTLE AUDITION』を受けましたが、一次審査は通過したものの惜しくも落選してしまいました。同年には、EXILE TRIBEや三代目J Soul Brothersのライブのサポートダンサーを務めています。
中尾翔太は2013年に24時間テレビの『高校生ダンス甲子園』に"NO LUCK"というチームのメンバーとして出場し、優勝を飾っています。それだけ優秀なパフォーマーであることがわかるでしょう。
2016年12月29日に『FANTASTICS』が結成され、中尾翔太もメンバーとして活動を開始しました。それからは、三代目J Soul Brothersのライブでサポートダンサーを務めたり、GENERATIONSのライブにも帯同しています。
2020年の現在も、中尾翔太の『まいり』というものが続けられています。さて、その『まいり』とは一体どんなものなのでしょうか。
まずは"まいり"について知っておきましょう。"まいり"とは、ネット上において有名人に墓参りができるというシステムです。各有名人のページの検索ができ、訪れるとその方の亡くなった日からの日数などが分かるようになっています。
"まいり"を訪れると、亡くなった有名人に線香やお花を供えることができますし、メッセージを残すことができます。直接、実際の墓地に行けないという方でも供養ができるのです。
中尾翔太が亡くなってから2020年3月現在で1年半以上経っていますが、現在でも日々中尾翔太の"まいり"に訪れる方が後を絶ちません。毎日、コンスタントにメッセージも残されているのです。中尾翔太は今もなお、愛されていることが窺えます。
中尾翔太は若くしてなぜ道半ばで亡くなってしまったのでしょうか。ここで、中尾翔太の亡くなった原因について探っていきたいと思います。
中尾翔太は、2018年7月6日に都内の病院において22歳という若さで亡くなりました。125日間に及ぶ闘病生活の末でした。彼が亡くなったという発表は、所属事務所であるLDHにより2018年7月8日にされています。
中尾翔太が亡くなったのは、胃がんが原因でした。217年の末頃より体調不良が続いたことにより、彼自身も不安に駆られ病院で精密検査を受けたのです。その際に胃がんが発見されました。2018年3月3日に胃がんが公表され、それ以降闘病生活に入っていました。
中尾翔太が所属していたFANTASTICSにはメンバーブログがあり、2018年4月27日が中尾翔太最後の投稿となっています。その中では、EXILE FRIDAYの楽曲『Turn Back Time feat. FANTASTICS』が発表され、楽曲に感動したと綴られています。
曲を聴き、中尾翔太は号泣していたともされているほどです。この楽曲は、当時闘病中だった中尾翔太のためにEXILEが作ったものだったのです。そしてブログの最後には『完全復活待っていてください』と希望あるメッセージを残していました。
中尾翔太の49日にあたる8月25日と、26日に東京と彼の地元である名古屋において、中尾翔太とのお別れ会である『In Loving Memory ~FANTASTICS 中尾翔太~』が開催されました。会場では、写真等の展示やメッセージボードの設置がされました。
佐野玲於はGENERATIONSのメンバーとして活躍中です。そんな彼は、芸能界に入る前からの親交があったようです。さて、佐野玲於とはどの様な関係性にあったのでしょうか。
中尾翔太と佐野玲於は、同年代(佐野玲於の方が学年は1つ上)であり、どちらも名古屋出身で同じジャンルであるクランピングを踊っているという共通点がありました。
2人はクランピングを通して小学生の頃には既に知り合っていました。それからは、親友であり良きライバルとしてお互いに切磋琢磨してきたのです。また、中尾翔太が闘病している際には、佐野玲於はTwitterに『頑張れ!!』とメッセージを投稿しています。
さらに、前述の『Turn Back Time feat. FANTASTICS』のMVでは、『一緒にやりたいことがまだまだある』として、エールを送っていました。
中尾翔太の死去が発表された日の前日にあたる2018年7月7日(中尾翔太死去の翌日)に、佐野玲於は音楽番組『MUSICDAY』に出演しました。その際にソロパートがあったのですが、いつもと違う迫力のパフォーマンスを見せ、ソロの前後に人差し指を天に向けてあげていました。
これは、中尾翔太へ届けようというのメッセージなのではないかと、ファンの間では言われています。また、佐野玲於はGENERATIONSの単独ツアーの東京ドーム公演において、中尾翔太のリストバンドを付けてステージに上がりました。
ジャニーズ事務所のグループである、King & Princeのメンバーとして大活躍中の平野紫耀。LDH所属だった中尾翔太とは一見接点がないようにも感じられると思います。平野紫耀と中尾翔太には関係性があったのでしょうか。
中尾翔太と平野紫耀は、共に愛知県名古屋市出身であり同学年なうえに同じ高校出身です。それにどちらもダンスをしていたということもあり、面識があった可能性もあります。
コンサートにおいて、ファンに対して何か一言添えてから去っていくアーティストの方もいるかもしれません。平野紫耀はコンサートでステージ袖にはける際に、いつもファンに向けて『死ぬなよ!』と言っています。
平野紫耀がコンサートで「死ぬなよ!」と言う理由について、親戚の方や友人が多く亡くなってしまっていることに心を痛めてのことであると推測されます。平野紫耀によると、自分に関わった人には死んでほしくないというのがあるのだそう。
それはコンサートに訪れたファンの方であったも同じなのです。平野紫耀の言う亡くなった友達というのが、同郷でもある中尾翔太なのではないかと考えられているのです。2人が知り合いであったかどうかは分かりませんが、可能性はあるでしょう。
中尾翔太をネットで検索すると、『ひまわり』という言葉も登場します。一体、この『ひまわり』とはどういったものなのでしょうか。
中尾翔太の『ひまわり』とは、FANTASTICSのマスコットキャラクターのことを指します。中尾翔太がデザインしたひまわりがモチーフのキャラクターであり、『ファン太郎』という名前が付いています。
『ファン太郎』はひまわりのキャラクターですが、9枚の花弁が特徴です。これは、中尾翔太含め9人のメンバーを指すのでしょう。また『ファン太郎』の口は「FANTA」の文字になっている点もポイントとなっています。
さらに『ファン太郎』の形自体も数字の"9"になっているのです。
若くして天国へと旅立った中尾翔太ですが、年齢としても恋愛をしていてもおかしくはないでしょう。では、中尾翔太には恋人がいたのでしょうか。
中尾翔太は、過去に女性とのツーショットがネット上で話題となりました。仲がとても良く見えるため、一見本当に彼女のように感じられますが、どうやら相手の女性は中尾翔太の実の姉なのだとか。MONAという名前で、名古屋でダンサーをしているとされています。
実際のところは公にもなっていませんし、知る由もないのですが、ダンスに情熱を傾けFANTASTICSのパフォーマーとして忙しくしていた中尾翔太は、彼女がいなかったものと推測されます。
中尾翔太は、『FANTASTICS』のメンバーとして活動していましたが、正式デビューの前に胃がんにより2018年の夏に逝去してしまいました。本人はとても無念だったと考えられますし、ファンの方や他のメンバーは驚いたことでしょう。中尾翔太は現在、『FANTASTICS』の活躍を天国からきっと見守っていると推測されます。
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