2024/02/16
r.y6
浅茅陽子さんをご存知ですか?1970年代から90年代にかけて映画やドラマで大活躍されていた女優さんです。さがみ典礼、アルファクラブのCMで左とん平さんの奥さんの役を演じられた方といえば、ご存知の方も多いでしょう。
今回は浅茅陽子さんのご家族や現在の活動状況などについて調べましたので見ていきましょう。
浅茅陽子さんは1974年7月に放送されたテレビドラマ『かあさんの明日』で女優デビューされました。主演は当時『日本のお母さん』と呼ばれ大人気だった京塚昌子さんです。浅茅陽子さんはこのドラマに本名の福泉みや子名義で出演されました。
浅茅陽子さんが出演するきっかけとなったのは友人、山本亘さんの紹介があったからだそうです。このドラマには山本さんも出演されています。浅茅陽子さんは10代の頃ファッション関係の仕事に就きたかったそうで、桐朋学園短期大学を卒業後、文化服装学院に進まれましたが、女優の道に方向転換されたようです。
浅茅陽子さんの当たり役といえば、松平健さん主演の時代劇『暴れん坊将軍』で演じた、め組の組頭の女房、おさいですね。北島三郎さん演じる辰五郎との息もぴったりでした。浅茅陽子さんは2代目おさいで、シリーズIII(1988年1月~1990年9月、全129話)とシリーズVI(1991年4月~1992年9月、全74話)に出演されています。
血の気の多い火消しの若い衆をまとめる姉さん役が板についていた浅茅陽子さん。明るくてきっぷのいいおかみさん役がぴったりでしたね。
実は浅茅陽子さんが世間に知られるようになったのは暴れん坊将軍よりもずっと前からなのです。浅茅陽子さんは人気女優の登竜門といわれるNHK朝のテレビ小説(朝ドラ)の主役に抜擢されました。1976年放送の『雲のじゅうたん』です。
このドラマで浅茅陽子さんは大正・昭和時代にパイロットを目指して奮闘する女性、小野間真琴を演じています。放送当時は秋田出身の真琴が上京し夢にむかって明るく元気に頑張る姿に全国の視聴者が釘付けになっていたそうです。ヘバちゃんとは秋田弁の『へば(ではの意味)』からきている真琴のニックネームです。
放送終了後も浅茅陽子さんはヘバちゃんの愛称で呼ばれることが多かったようです。ヘバちゃんのイメージから抜けられないことで悩まれていた時期もあったようですが、歳を重ねる毎に宝物に思えるようになったそうです。
浅茅陽子さんは1976年公開の郷ひろみさんの主演映画『おとうと』(吉永小百合さん、笑福亭鶴瓶さんの映画とは全く別のストーリーです)に出演されています。この作品で浅茅さんは郷さん演じる碧郎の姉、げんを好演されました。この作品での高い演技力が評価され、ゴールデンアロー賞、エランドール賞、日本映画テレビプロデューサー協会賞の各新人賞を受賞されています。
女優として華々しい活躍をしていた浅茅陽子さんですが、結婚はされているのでしょうか?浅茅陽子さんのご主人やお子さんについて調べてみました。
浅茅陽子さんの夫は土筆勉さんです。土筆さんのお名前はご存知なくても高田 拓土彦(たかだたつひこ)さんと聞けば思い出される方も多いでしょう。数々の特撮ヒーロー番組や映画の脚本、監督、演出を手掛けられた方です。それ以前は俳優としてテレビドラマや映画に出演されていました。声優としても活躍されていて、ウルトラマンシリーズの異次元人ヤプールの声を担当されたのはこの方でした。
浅茅陽子さんと土筆勉さんの馴れ初めや何時ごろ結婚されたかは分かりません。浅茅さんが20歳の頃からお付き合いをされていたようですが、入籍されていなかったという噂もあります。
お二人は一緒に仕事もされていたようで、浅茅さんの演技に関して土筆さんから細かくダメだしされることもあったとか。公私ともに良きパートナーだったようですね。
残念なことに土筆勉さんは2012年に肺がんのため亡くなられました。享年67歳でした。
1976年の週刊誌で浅茅陽子さんと土筆勉さんとのハワイ婚前旅行が報じられました。ちょうど『雲のじゅうたん』でブレイクして人気絶頂の頃ですね。実際はその時に結婚したのではないかとも言われています。いずれにせよ浅茅陽子さんはプライベートに関してあまり公表されていませんので入籍されていたのかどうかは確認できません。
KinKi Kidsの堂本剛さんが浅茅陽子さんの息子ではないかという噂があるようですが、これはまったくのデマです。堂本剛さんは生まれも育ちも奈良県奈良市、本名も芸名と同じです。ではなぜ浅茅陽子さんの息子ではという噂になったのでしょうか?
浅茅陽子さんと堂本剛さんは1988年の連続テレビドラマ『砂上の家族』で親子の役を演じられています。堂本さんが8~9歳の頃ですね。その時のお二人の演技があまりにも素晴らしく本当の親子のように見えたのかもしれません。
お母さん役のイメージが強い浅茅陽子さんですが、ご自身にはお子さんはいらっしゃらないようです。
浅茅陽子さんは1992年テレビのインタビューでベジタリアンであることを公言されたそうです。女性誌で読んだ動物実験に関する記事がきっかけで、動物愛護活動を始められたそうで、精神的に肉を受け付けなくなってしまったようですね。
浅茅陽子さんが1982年に出版された料理本『へばちゃんの台所』では肉料理のレシピも紹介されていますので、元々はベジタリアンではなかったようです。
浅茅陽子さんは1986年から『エバラ焼肉のたれ』のCMに出演されていました。浅茅さんのかかあ天下キャラがウケて焼肉のたれだけに止まらず、ステーキソースや浅漬けの素などのCMにも起用されました。CM中の『エバラでございます』という台詞は浅茅さんのアドリブだそうです。『浅茅といえばエバラ』といわれるほどイメージが定着していましたね。
このCMで浅茅陽子さんはコマーシャル大賞タレント賞を受賞されました。その後浅茅さんから「CMを映画にしたい」とエバラ食品の社長に持ちかけ、1991年に『エバラ家の人々』が製作されました。ちなみに脚本・監督は土筆勉さんでした。日本初のCMの映画化ということで話題になりましたね。しかしその翌年の浅茅さんのベジタリアン発言と翌日のスポーツ紙の報道で大騒ぎになったそうです。
浅茅さんの所属事務所は報道を否定しましたが、エバラ食品からの批判をおさえることはできなかったようで、CM降板が決まりました。
ベジタリアン発言をされた浅茅陽子さんですが、完全なベジタリアンになられたわけではなかったようです。エバラのCMを降板された後も、ホームパーティーを肉料理でもてなしたり、雑誌で肉料理のお店を紹介したりしているようです。動物実験に関する記事を読んだせいで、一時的に肉が食べられなくなっただけかもしれませんね。
子供の頃は獣医かファッションデザイナーを目指していた浅茅陽子さん。動物を愛する気持ちから精神的に肉を受け付けなくなったのも分かる気がします。
美空ひばりさんは言わずと知れた歌謡界の女王です。1989年に52歳で亡くなられた後も人々の心から消え去ることはありません。そんな美空ひばりさんを描いた舞台『不死鳥ふたたび・美空ひばり物語』でひばり役に抜擢されたのが浅茅陽子さんです。家族そろってひばりファンという浅茅さん、どんな思いでひばり役を演じられたのでしょうか?
浅茅陽子さんは1999年の『不死鳥ふたたび・美空ひばり物語』と2003年の『新美空ひばり物語』でひばり役として日本全国を公演し、6年間で計340回以上の舞台に立たれています。芸能界のカリスマを演じるのは並大抵のプレッシャーではなかったでしょう。自身の演技に納得がいかず、それまで女優として築き上げてきたものをいったんすべて忘れて、一から役作りをし直したそうです。
そんな浅茅陽子さんの熱意が実り、舞台は大成功しました。あの伝説の「不死鳥コンサート」のシーンでは、当時のひばりさんと同じ衣装をまとった浅茅陽子さんを、ひばりさん本人と錯覚する観客も多かったようです。浅茅さんの名演技が全国のひばりファンを感動させました。
そんなファンの一人から言われた「ひばりさんと同じ目をしていた」という一言が嬉しくて今でも忘れられないそうです。この舞台での経験が浅茅陽子さんの転機になったそうです。
2004年に『新美空ひばり物語』の舞台を終えた浅茅陽子さんはその後どのような活動をされていたのでしょうか?また病気ではという噂もあるようですが真相はどうなのでしょうか?ここでは浅茅陽子さんの現在について調べてみました。
浅茅陽子さんは現在もテレビドラマなどで女優として活動されています。2018年11月にはNHKの時代劇『ぬけまいる』の第2話に出演されました。小田原で夫、与平(泉谷しげるさん)と茶屋を営む老婆チヨの役を演じられています。
2017年はテレビドラマには出演されていなかったようですが、それ以前の2016年にはドラマ『はじめまして、愛しています。』『スクラップ・アンド・ビルド』『家族のカタチ』などに出演されていました。テレビドラマ以外では、『アルファクラブ』が運営する『さがみ典礼』のCMがお馴染みですね。また2014年くらいまではバラエティー番組の出演も多く、通販番組にも出演されていたようです。
浅茅陽子さんはNHKで3月29日に放送された『朝ドラ100作!全部見せますスペシャル』に出演されています。歴代の朝ドラヒロインがスタジオに集まり、撮影時のエピソードなどを語る番組です。浅茅陽子さんは68歳とは思えない若々しさで、元気で明るいイメージはそのままでした。『雲のじゅうたん』の懐かしいシーンも見られました。『雲のじゅうたん』撮影現場ではキャスト、スタッフとも皆仲が良く、40年以上経った今でも交流があるそうです。
浅茅陽子さんは病気(がん)なのではという噂があるようですが、現在の浅茅さんはとてもお元気そうな様子ですので、噂に過ぎないと思われます。これは憶測ですが浅茅さんの病気説が出たのはテレビの出演が減ってファンの皆さんが心配されたからではないでしょうか?
2016年3月に浅茅陽子さんがそれまで所属していた『さち子』プロが閉鎖・倒産してしまいました。女優さんにとって事務所の閉鎖は辛いですよね。その影響かどうかはわかりませんが、それ以降の浅茅陽子さんのテレビ出演が激減しているようです。
現在浅茅陽子さんはフリーランスとしてフルカウントというプロダクションに業務提携されています。今後は良いお仕事に恵まれるとよいですね。
浅茅陽子さんの趣味はビーズアクセサリー作りだそうですが、腕前は趣味の域を超え、プロ並みだそうです。自己流だそうですが、浅茅さんが身につけているビーズアクセサリーを見た共演者から作ってほしいと頼まれることも多いそうです。さすがデザイナーを目指していた浅茅さん、ファッションセンスも抜群なのでしょう。
浅茅陽子さんは東北大震災後、ビーズの『おにぎり』ストラップで被災者支援活動を続けています。ストラップを販売して得た収益を日本赤十字社に寄付されているそうです。作った数は優に4桁を超えるとか。なぜおにぎりの形にしたのかといえば、おにぎりは日本人にとって食の原点、いざという時に心を癒してくれるものだからだそうです。
おにぎりの中には梅干のような赤い玉も入っています。凝ってますね。浅茅さんは「作れる数に限りはあるが、コツコツと支援を続けていきたい」とおっしゃっています。
浅茅陽子さんは現在も元気に芸能活動を続けていらっしゃいます。所属芸能事務所の閉鎖・倒産などの不運はありましたが、昨年はドラマにも出演されました。今後も徐々に映画やドラマなどのお仕事に復帰されるとよいですね。
ビーズアクセサリー作りのほかにもゴルフや釣りを趣味にされている浅茅陽子さん。68歳になられた今も若々しくて素敵ですね。浅茅さんの笑顔を見ていると元気がでてきます。これからも浅茅陽子さんがますますお元気で活躍されることを期待しましょう。
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