ビートたけしが芸能界引退?事故で顔面麻痺の過去や映画作品を紹介
2023/12/28
大今里
吉田真由子さんは1974年(昭和49年)1月10日に東京都で生まれたタレントであり女優でもあります。
事務所は元ホリエージェンシーです。
また、姉もタレントでで料理研究家であり女優でもある吉田真希子さんです。
吉田真由子さんは1994年(平成6年)10月から2016年(平成28年)3月までの21年6ヶ月間、テレビ東京『開運!なんでも鑑定団』の2代目アシスタント司会を務めていました。
これは『テレビ番組』の女性アシスタントの中でも最長記録を達成しています。
「テレビ番組における女性アシスタント最長記録」のランキングとして、
1位:吉田真由子(開運!なんでも鑑定団)
2位:山瀬まみ(新婚さんいらっしゃい!)
3位:岡部まり(探偵!ナイトスクープ)
と、なっています。
吉田真由子さんは結婚に関しては、2009年(平成21年)8月に「開運!なんでも鑑定団」の中で発表しています。
お相手が一般の方ということで、あまり詳しい情報がでてきません。
子供についても、一般の方ということで出産情報はありませんでした。
特に離婚に関しての情報もありませんから、現在も夫と仲良く暮らしているのではないでしょうか。
吉田真由子さんの実姉は5歳上の女優で料理研究家の吉田真希子さんです。
過去2回共演しています。
1回目はサッカーをテーマにした深夜番組『デタカルチョ』で司会共演しています。
2回目は連続ドラマ『花衣夢衣』では姉妹で双子のヒロイン役を務めました。
雑誌のグラビアでは「姉妹キス」を経験しています。
お姉さんは最近では、料理研究家として活躍されています。
吉田真由子さんはハーレー好きとしても知られています。
吉田真由子さんは29歳の時に自動車教習所に通って普通自動二輪、続いて大型自動二輪の免許を取得し、現在はハーレーダビッドソンのスポーツスター883に乗っています。
また、ハーレーダビッドソン好きの吉田真由子さんは、2003年のハーレーダビッドソン100周年にハーレー生誕の地であるミルウォーキーに行っています。
ニューオーリンズからミルウォーキーまでの約2000kmを、ハーレーで6日かけて縦断しました。
アメリカは州によってヘルメットの着用義務があったりなかったりのようで、アーカンソー州では念願のノーヘル運転も堪能していました。
また、吉田真由子さんもテキサス66と名乗るバイカーチームの仲間に入れてもらって、ルート66を一緒に走ることになり、初めてのツーリングを楽しんでいました。
このように愛車のハーレーで長距離のツーリングも達成しており、バイク好きがひしひしと伝わってきます。
これは初代司会の島田紳助さんに言われたことがあり、そこからキャラが定着してしまいました。
やる気ないエピソードはたくさん情報があがっています。
・スタジオ収録中にきょろきょろする
・関係ないところで大爆笑。
・10年以上務めている番組で、カンペを探す。
・お祭りがあるから早く帰りたいという。
・大阪府のことを大阪県と言ってしまう。
・コンタクトを付け忘れ、収録を止めてしまう。
・共演歴のある木村拓哉さんからも「やる気がない」と言われる。
ただ単に島田紳助さんに言われたから、というだけでなくそれは事実であったと言えるでしょう。
長年、島田紳助さんとの共演を果たしたわけですが、そのためか、両者の関係に疑惑、憶測が浮上いています。
それは事実なのでしょうか。
一つ一つ検証していきたいと思います。
先述のように、吉田真由子さんは日本一やる気がないアシスタントにもかかわらず、女性アシスタント最長記録を達成しています。
常識的に考えれば制作サイドから降板させるのが筋と思われるのではないでしょうか。
一方で吉田真由子さんが「開運!なんでも鑑定団」のアシスタントになったのは1994年10月からですから、ちょうど二十歳の時です。ですから島田紳助さんとは17年間も『なんでも鑑定団』で共演していました。
そこがやはり島田紳助さんとの仲が疑われている理由ようです。
やはり「日本一やる気のないアシスタント」と「日本一長い女性アシスタント」の矛盾するような二つの肩書きを持っている以上、島田紳助さんの力が作用している、といえるのではないでしょうか。
また収録の間に、スタッフが近づけないような雰囲気で体を密着させて親しげに会話をしていたりもしました。
そのことは番組スタッフに目撃されています。
それか単に仲良くして番組を回しやすくする気遣い、というのも考えられますが、体を密着させるのはやはり訳ありと噂されてもしかたないことではないでしょうか。
また島田紳助さんはたくさんの女性芸能人との噂が流れていますから、吉田真由子さんとのことも噂になるのも当然の流れかもしれません。
渡辺典子さんの不倫報道をはじめ、熊田曜子さんやほしのあきさん、熊田曜子さんとの沖縄密会の現場をスクープされたり、島田紳助さんの女性芸能人との噂は絶えなかったようです。
ただ二人が交際していたという決定的な証拠は出てきていませんので、島田紳助さんとの交際の真偽は定かではありません。
今のところは愛人ではなかったが、仲は相当良かったと考えても間違いないのではないでしょうか。
2016年1月30日には日本テレビの『有吉反省会』にゲストとして出演しました。
そこではテレビ東京系列の『なんでも鑑定団』についてが赤裸々に語られました。
しかし降板のなぞについては触れられませんでした。
逆に一番良く語られたのが島田紳助さんにいわれた「日本で一番やる気のない」キャラについてでした。
番組の中で仕事に対して全くやる気がないことを告白し、仕事時間が一か月8時間だと暴露しました。
この番組は毎回ゲストが司会の有吉弘行さんに「反省をしにくる」そして、「みそぎを受ける」というという内容の番組です。
その番組で吉田真由子さんは『仕事に対して全くやる気がないことを反省しに来た』と語っていました。
そこで暴露したのが「1ヶ月の労働時間が8時間である」ことで、「普通1日8時間だろ」と突っ込みをいれられていました。
『開運!なんでも鑑定団』降板以来の5年間で3番組にしか出ていないことも指摘されていました。
また仕事以外の時間は何をしているのかと聞かれ、朝起きて、ご飯を食べて、ボーッとする。たまに朝起きて、ご飯を食べて、ボーッとして、掃除をしたり、ジムに行く。という私生活も明らかになりました。
もはやここまでくるとおおらかな性格なのかなと、なぜか許せてしまいますね。
番組の中で吉田真由子が、芸能界にはアルバイト感覚で入ってそのまま来てしまい、番組をもりあげようとは一度も思ったことがないと語っていました。
ただ、やる気はあるのだけど心と身体がついていかないとも言っていました。
この「やる気のなさ」というのは逆にいえば「がっつかない」とも言えます。
ということは、わりとアシスタントという仕事としては使いやすいとも言えます。
崇高なプライドをお持ちの大御所の島田紳助さんのような人間にとってはがっつかないのは仕事がやりやすかったのではないでしょうか。
やる気がないのに、ではなく、やる気がなかったからこそ長年アシスタントを務めることができたのではないでしょうか。
『なんでも鑑定団』は今も続く長寿番組ですが、長く続けてこれたその番組をなぜ降板したのか、という疑問があります。
主に3つの理由が挙っているようです。
1つ目は、吉田真由子の仕事に対するやる気の無さに、制作サイドがしびれを切らして石坂浩二が卒業するにあたり、ついでに吉田真由子も卒業させようとなったのではないかといった考察が挙がっています。
石坂浩二さんの理由については「視聴率不振と、20年以上たった番組の刷新が目的」と説明されています。
最初は石坂サイドが反発し物別れに終わり、その後何度も協議が行われたが、局側は降板を譲らずに、司会交代する方向で調整に入りました。
また、その背景としては番組制作の責任者が、ある酒席で番組内容をめぐって石坂と口論になったこととされています。
「いじめ問題」もあり、番組制作スタッフは「収録中はたくさんしゃべっている」と証言しているが約2年にわたり発言がほとんど放送されておらず、意図的に編集している可能性も指摘されていました。
その中で「番組刷新」という名目のもと、石坂浩二さんと一緒に吉田真由子さんも変えてしまおうというものです。
2つ目が「石坂さんを卒業させるなら、私も一緒に卒業します。」と自ら卒業宣言した可能性があるこということです。
やはり、意図的に制作サイドがあからさまに石坂浩二さんを避けることは完全な「いじめ」にあたり、長年番組アシスタントを務めてきた吉田真由子さんにとっては許せないことであって、「それなら自分も」という理由です。
3つ目には仕事に対してやる気がなかったこともあげられています。
前述もしているように、吉田真由子さんはやる気のないアシスタントとして有名でした。
吉田真由子さんは有吉反省会でアルバイト感覚で芸能界に入ったということも明かしていました。
そのため、仕事に対して続ける意味がなかったのかもしれません。
ちょうど番組を卒業するタイミングを見計らっていた時に、石坂浩二さんが辞めるとなりこれ便乗したと言われています。
真相はわかってはいませんが、やる気がなかったことが事実でしょう。
吉田由美子さんは最近ではあまりテレビで見なくなってきました。
現在は何をされているのでしょうか。
まだ芸能活動は続けられているのでしょうか。
1993年に「高校教師」で女優デビューし、翌年には「開運!なんでも鑑定団」でアシスタントになっています。
その他、2009年まではドラマやCM、映画に写真集等いくつか出演されていました。
2015年に「ウロボロス〜この愛こそ、正義。」に出演。
2016年に「有吉反省会」に出演され、それ以降は無いようですね。
現在は所属事務所であったホリエージェンシーを辞められたようです。
吉田真希子の2017年6月のインスタグラムに、吉田真由子のハンドメイドアクセサリーブランド「Manew」の立ち上げ報告がされていました。
「Manew」のサイトの中で、モノ作りにハマっていて、今後は好きなものを作って生きていこうと考えていると言っていました。
新体制を機会にアシスタントが司会の石坂浩二さんとアシスタント吉田真由子さんが降板になってしまいました。
では、『開運!なんでも鑑定団』の現在の体制はどうなっているのでしょうか。
司会は島田紳助さんが辞めた2011年からは、今田耕司さんが務めています。
今田耕司さんは、いろんな番組で司会を努めている島田紳助さんと同じ吉本興業の実力派です。
そんな今田耕司さんが『なんでも鑑定団』を進行役として担っています。
石坂浩二さんの後任として任されたのが、フリーアナウンサの福澤朗さんです。
今田耕司さんと福澤朗さんの実力派コンビで、なんでも鑑定団を取り仕切って進行しているのです。
さて、重要な吉田真由子さんの後任アシスタントは現在どうなっているのでしょうか。
2016年にテレビ東京に入社している新人アナウンサーがアシスタントを務めています。
方渕茜さんという方です。
彼女の同期は、原田修祐、福田典子です。
その入社した年の10月に、なんでも鑑定団のアシスタントとして抜擢されたのです。
3代目アシスタントとして初めてのアナウンサーが起用されました。
彼女は1993年の佐賀県出身で福岡県の西南学院大学時代に九州ローカル、レポーターとしてテレビやラジオに出演していた経歴を持っています。
また、別番組では2017年9月25日より、産休に入った秋元玲奈の後任として『日経スペシャル未来世紀ジパング~沸騰現場の経済学~』の進行役を務めています。
また、先輩の相内優香からは「子リス」の愛称で呼ばれていたり、佐賀美少女図鑑に掲載されていたりと、実力も伴っている美人で、才色兼備という言葉がぴったりです。
これだけ実力があれば、『なんでも鑑定団』のような長寿番組を盛り上げていってくれることに期待が持てますね。
なんでも鑑定団の番組開始当初からは、メイン司会の3人が総入れ替えとなりました。
島田紳助さん、石坂浩二さん、吉田真由子さんという3人のメンバーがお馴染みとなっていました。
そんななんでも鑑定団の顔ともいえる3人が総入れ替えされると、雰囲気なども一気に変わってしまって別番組になってしまうイメージがありました。
一方でその後任となったのが現在では、今田耕司さん、福澤朗さん、方渕茜さんという新メンバーです。
いずれも実力十分のメンバーといえるのではないでしょうか。
たしかに、雰囲気なども一新されて全く新しい番組に生まれ変わってしまったという点は否めないかもしれません。
しかし、これだけのメンツ揃いで『なんでも鑑定団』は昔ながらのなんでも鑑定団とは違った味を出しており、今までとは別の面白さがあるのではないでしょうか。
やはり、今までの味に慣れてしまっている方も、一度見てみてその違ったテイストのなんでも鑑定団を味わってみるのもいいのではないでしょうか。
吉田真由子さんはバラエティだけでなくテレビドラマでも活躍されています。
高校教師(1993年・TBS)
陽のあたる場所(1994年・フジテレビ)
若者のすべて(1994年・フジテレビ)
不倫の法則(1995年・名古屋テレビ、エリアコードドラマ)
いつかまた逢える(1995年・フジテレビ)
TOKYO23区の女(1996年・フジテレビ)
花衣夢衣(2008年・東海テレビ)
ウロボロス〜この愛こそ、正義。(2015年1月16日、TBS)
吉田真由子さんは現在、事務所を退所されています。
彼女の肩書きは「日本一やる気のないアシスタント」「日本一長い女性アシスタント」というものでした。
そういった一見矛盾するような二つの肩書きという面白い個性で『開運!なんでも鑑定団』の初期メンバーである島田紳助さんと石坂浩二さんと共に番組を盛り上げました。
彼女は事務所を退所されているので、これからテレビでみることはほぼないかもしれません。
残念ではありますが、彼女の自由気まま性格を考えれば仕方ないと思えますね。
現在では愛車ハーレーを乗り回してハンドメイドアクセサリーブランド「Manew」を運営しつつ、自由な生活を謳歌しているのではないでしょうか。
そんな自由な彼女の自由なライフを応援していきたいですね。
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