記事ID141926のサムネイル画像

中島忠幸はカンニング竹山の相方!死後も途絶えない絆がすごい!

カンニング竹山さんには、中島忠幸さんという相方がいたことを知っていますか?お笑いコンビのカンニングとして一緒に活動しますが、中島忠幸さんは若くして病気でこの世を去ります。しかし、今でもカンニング竹山さんとの絆は健在。そんな二人の関係に迫ります。

カンニング竹山の相方!中島忠幸って?

お笑いコンビ「カンニング」として一緒に活動してきた竹山隆範さんと中島忠幸さん。今のカンニング竹山という芸名は、かつての二人の活動に由来するのです。

二人はどんな関係で、どんなお笑いコンビだったのでしょうか。また、カンニング竹山さんは今、中島忠幸さんにどのような思いを抱いているのでしょうか。

中島忠幸と竹山隆範ってどんな人?

中島忠幸さんは早くに亡くなったため、あまりよく知らないという人も多いのではないでしょうか。また、カンニング竹山についても「よくキレる」といった印象くらいしか抱いていない人も多いいはず。

ということで、まずは二人のプロフィールを見ていきましょう。

竹山隆範のプロフィール

名前:カンニング竹山
本名:竹山隆範
生年月日:1971年4月2日
出身:福岡県福岡市城南区
身長:168cm
血液型:O型

最初にお笑い活動を行ったのは1990年のこと。大学を受験するも浪人し、予備校に通っていた竹山さんは、同じく浪人中だった小学生時代の同級生と「ター坊ケン坊」というコンビを結成し、福岡吉本で活動。

しかし、福岡でブレイクしても意味がないと考えて上京。そこで中島忠幸さんと出会い、コンビ「カンニング」を結成し、1992年に渡辺プロダクションに所属。その後も着々と活動を重ねていきました。

中島忠幸のプロフィール

名前:中島忠幸
生年月日:1971年6月14日
没年月日:2006年12月20日
出身:福岡県福岡市
身長:168cm

カンニング竹山さんとは小学校・中学校時代の同級生。一緒に釣りに行ったり、カンニング竹山さんがやっていたバンドを見に行くなどしていたそうです。高校を中退し、板前を志して料理屋で修行をしていました。

ところがその料理屋でいじめられるなどし、嫌気がさして辞職。そのままの勢いで上京し、偶然にもカンニング竹山さんと再会するのです。そして、お笑いの道を一緒に進むことを決意しました。

中島忠幸と竹山隆範の関係は?

東京でお笑いの道を志した竹山隆範さんと中島忠幸さん。二人はどのようにして今に至るのでしょうか。その歩みを見てみましょう。

最初は全く売れなかった

二人でデビューしたのは1992年のこと。ところが、当初は全く売れなかったために何度も事務所をクビになり、そのたびに移籍してきたそうです。ようやく芽が出始めたのは2003年のころで、「めちゃ×2イケてるッ!」に出演することになりました。

テレビに出演し、カンニング竹山さんのキレるキャラと、それを穏やかになだめる、時にはカンニング竹山さん以上にキレて突っ込む中島忠幸さんというキャラクターがヒット。ブレイクを果たし、二人はようやく軌道に乗り始めました。

病気が判明

ブレイクを果たした2003年の翌年、2004年の12月に中島忠幸さんの身に異変が起こりました。バスで移動している時など、急に立ち上がれなくなることがあったそうです。周囲に心配されて病院で検査を受けると、急性リンパ性白血病だと判明。

急遽、2004年12月9日から入院生活を始めることになった中島忠幸さん。最初は体調不良と視聴者に報じられていましたが、2005年1月には病名が公表されました。ブレイクしたばかりの芸人が白血病にかかってしまったという事実は、多くの人に衝撃を与えたでしょう。

闘病生活の末に亡くなる

中島忠幸さんが闘病生活をしているとき、歌手の本田美奈子さんも同じ病気で闘病生活を送っていました。そのため、二人は手紙で励まし合うなどしていたそうです。しかし、本田さんは2005年11月に亡くなりました。

2006年1月、中島忠幸さんは臍帯血移植を受けて一時的に回復。この手術に伴い、血液型が変化しています。大きな移植手術の末に病気がよくなるかと思われましたが、白血病の合併症であるウイルス性肺炎を発症。

2006年12月20日、35歳という若さにして中島忠幸さんはこの世を去ることになりました。葬儀にはファンやお笑い芸人など、多くの人が参列したといいます。

カンニング竹山の別れの言葉が話題に

カンニング竹山さんは亡くなった中島忠幸さんに対し、いつもの口調で「いつもとおなじように別れるぞ! じゃあな!」と告げたそう。その言葉通りなのか、カンニング竹山さんは今でもカンニングというコンビ名を名乗っています。決して永遠のお別れではなく、今でも竹山さんのそばには中島忠幸さんがいるのかも知れませんね。

中島さんの死後13年が経過した2018年12月20日にはカンニング竹山さんは自身のTwitterで、、「今日で13年。長いようで短いようで、短いようで長いようで。そんな13年」と発言。「おぉ~い!今日はあの時と同じような天気だわ」と当時のことを振り返っています。

中島忠幸とカンニング竹山のエピソード

中島忠幸さんとカンニング竹山さんの絆は今でも途絶えていないようです。二人にまつわるエピソードを見ていきましょう。

中島忠幸が事故を起こした時に援助

中島忠幸さんは原付で交通事故を起こしたことがあります。その時、カンニング竹山さんは消費者金融で50万円を借りてきて、それで中島忠幸さんを援助したというエピソードがあります。

いくらコンビとはいえ、借金までして相方を助けられる人はあまりいないのではないでしょうか。ブレイクしてから一緒に活動で来た期間は短かかったとはいえ、苦楽を共にした相方との間にある絆は本当に強いのでしょうね。

闘病生活中はギャラを折半

白血病の治療には多額の費用がかかるといいます。中島忠幸さんが闘病生活をしている間、ピン芸人として活動していたカンニング竹山さんは、ギャラを折半して闘病生活を支えていたといいます。中島忠幸さんの奥さんも、カンニング竹山さんの存在が心強かったことでしょう。

カンニング竹山さんはこのことについて「折半してあげていると思ったことはなかった」と語っています。中島忠幸さんのことを、戦友であり家族のようなものだとも。だからこそ、助けるのは当たり前だという気持ちで援助をしていたのでしょうね。

死後7年ライブで心中語る

カンニング竹山さんは、中島忠幸さんが亡くなってから5年間は中島忠幸さんの話をしないとし、その話題に触れないようにしてきました。

そして死後7年が経った2012年頃、ライブで当時のことを語りました。葬式の際のハプニングなどを、懐かしそうに暴露。その姿からは、今でも中島忠幸さんのことを大切に想う気持ちが伝わってきたといいます。

中島忠幸の息子と交流

カンニング竹山さんは、中島忠幸さんの息子と交流があるそうです。2019年1月にラジオ番組にて、休暇中のカンニング竹山さんに代わって出演したとんねるずの木梨憲武さんが、カンニング竹山さんは現在中島忠幸さんの息子と旅行中だと話しました。

竹山さんは息子がいないため、父親役をさせてもらって喜んでいるのだとか。中島忠幸さんの息子とは昔から交流があり、カンニング竹山さんは非常に面倒見が良いことでも知られています。息子から見ても、カンニング竹山さんは父親代わりとして心強い存在かも知れませんね。

ピンになったときには不安も

他のピン芸人の人と違って、カンニング竹山さんは中島忠幸さんの病気によって突如としてピン芸人になることになりました。そのため、このままひとりでやっていけるのか不安を抱えたこともあったそうです。

しかし、カンニング竹山さんにはこれまで積み上げてきたライブがあります。ライブはその場の思い付きで話すのではなく、みっちりと計画を立てて、練習をして臨むのだそう。そのため、ファンの人が根付いているといいます。

一時期は漫才師としてネタをやったほうがよいのではないかとも思ったそう。しかし、ビートたけしさんに相談し、「舞台をやってることが芸人としての生き様だから、それをやっていればいい」といわれ、自分を肯定できるようになったそうです。

中島忠幸と竹山隆範の絆は不変!

中島忠幸さんとカンニング竹山さんのエピソードについて紹介しました。今でもコンビとしての絆は途絶えていません。中島忠幸さんの分まで、竹山さんには頑張ってほしいですね。

関連記事

関連する記事

この記事に関する記事

この記事に関するキーワード

キーワードから記事を探す

TOPへ