【田中律子】田中律子の元旦那ってどんな人?離婚の原因は?【元旦那】
2015/10/08
AYAKA12321
菊池桃子
生年月日 1968年5月4日(47歳)
出身地 東京都
職業 歌手・女優・教授
活動開始 1984年から現在
血液型 B型
2012年3月法政大学大学院政策創造研究科
政策創造専攻修士課程修了、修士。
2012年8月1日より母校・戸板女子短期大学の客員教授に就任。
主な作品
映画「パンツの穴」「パテオ」シングル曲「卒業」「もう逢えないかもしれない」
人生の楽園 ナレーション (2009年1月 - 現在、テレビ朝日)
スッキリ!!(2014年1月8日、日本テレビ)大沢あかねの代理コメンテーター。
戸板女子短期大学
菊池桃子さんの出身地は東京。
出身大学は戸板女子短期大学被服科美術コース
を卒業され、のち法政大学大学院政策創造研究科政策
創造専攻修士課程を修了され、現在教授もされています。
1980年、TV界では、アイドル放出期とも
いわれたその時代に、菊池桃子さんが
誕生します。とにかく、第一印象は、瞳が澄んでいて
とても可愛い!の印象でしかなかったのを
覚えています。そんな離婚をした菊池桃子さんの芸能生活とは?
芸能界入りのきっかけは叔母が青山で営んでいた飲食店で
店内に飾っていた菊池さんの写真が、たまたま来店していた
音楽プロデューサーの妻の目に止まり、そこからスカウトされることとなりました。
芸能界入りに関してお父さんは学校に行かせることを条件とし、
本人の希望を優先に承諾したとのこと。
当時はまだ芸能界なんて怖い世界だなんて言われてたでしょうから
お父さんのこの対応には寛大なものを感じますね。
まさしく、雑誌名が、ももことは・・・
菊池桃子さんのために作られた
雑誌だったのでしょうか?いえ、アイドルの為の
番組名からとった名前だったんでんですね!
まだまだ、離婚という文字は無縁な時代!
その後、映画「パンツの穴」で
ヒロインに抜擢されるなど
順調にアイドルの道を歩んでいた
離婚をした菊池桃子さん。結婚どころか、
恋愛の一文字も出てこない時代でしたね。
菊池桃子さんのデビュー曲
「青春のいじわる」
このころの、エピソードとしては、
菊池桃子さんのプロマイドの
売上が年間一位を獲得したとか・・・
すごい売れっ子アイドル菊池桃子さんでした。
その後は、アイドルを続けながら
徐々に女優のお仕事もされてたとか・・・
時代に沿って順調な菊池桃子さんでした。
そこで結婚と言う文字がそろそろ出るように?
離婚ではなく、結婚への憧れも少しずつ!
アイドル時代から、順調に来られた菊池桃子
さんが、どのようにして元夫、西川哲さんと
出会ったのでしょうか?
歩んで来られた道はそれぞれちがう2人が
何故?結婚できたのでしょうか?
まさか、離婚するとはまだ思ってもないお二人!
その後、惹かれ合ったふたりは交際をスタートさせ、翌1994年春には
堂々の交際宣言。同年8月には婚約会見を開き、推定500万円といわれる
3カラットダイヤの婚約指輪を披露した。
菊池桃子さんが、元旦那さんと出会って、順調に交際
を始めていたものの、
最初の苦難(離婚予感?)が待ちうけます。
元夫の西川さんの父が、結婚を延期しろと
言うのです。これはなぜでしょうか?
もうこの頃から離婚というきざしがあったのでしょうか?
父親と式の主賓や出席者などを巡って対立。さらに、この前年に4年間
維持してきたシード権(国内ツアーに無条件で参加できる資格)を失った
ことも影響した。父親は、
「結婚するのに、食べていけません、では無責任すぎる。
もっとしっかりした成績を残してからでも(結婚は)遅くない。式は延期しろ」
そのショックで、菊池はコップ1杯分もの血を吐き、
十二指腸潰瘍穿孔で緊急入院してしまうほどだった。
それから約1か月後の1995年5月1日に入籍こそ済ませたものの、
西川がツアー優勝を果たすまで、式は無期限の延期となってしまった。
その後も西川の調子はなかなか上がらず、スランプの原因が菊池にあると批判を浴びたりもした。
しかし同年7月、西川は2年ぶりの復活優勝を果たす。
「(桃子に)ウエディングドレスだけは着させてやりたかった…。
優勝の瞬間、妻のことが頭に浮かびました…」
涙とともに述べた菊池への感謝の言葉は、多くの人の感動を呼んだ。
翌1996年2月に親族だけの質素な結婚式を挙げたふたり。
ウエディングドレスを着ることを夢見続けてきた菊池は、喜びに
満ち溢れた表情を浮かべていた。
菊池桃子さんが、幸せを求めて、
これを期に、芸能界を辞め、妻として
生きて行こうと決めたそんな瞬間だったと思います。
だから、離婚なんて離婚と言うワードなど
出てくるはずではなかったのですが
1995年7月に、西川は2年ぶりの優勝を果たすも、それ以降
優勝は一度もなく、2005年以降は予選突破すらできず、
2007年に約90万円を賞金として手にした以外の6年間は、
獲得賞金は0円だった。当然、西川家の家計は、菊池が主に支えていた。
「もちろん、菊池さんの生活の中心はお子さんと家庭でしたから、
ドラマや映画といった時間が拘束されてしまう仕事はできませんでした。
それでも、CMで愛娘と共演してみたり、お弁当のレシピ本を出版したり、
また2005年からはライフスタイルブランドを立ち上げて、帽子や子供服を
プロデュースするなど“ママドル”としてのブランドをうまく生かした仕事で、
かなりの収入があったはずです」
「2006年以降は、賞金だけでは食べていけないと感じたのでしょう。
奥さんにも申し訳ないという思いもあって、プロのためのコーチである
ティーチングプロ業も始めました。だけど、腰掛けでできるほど
ティーチングプロの世界も甘くはありません。頑張って稼いでも、
年収は200万円程度だったと思いますよ」
2008年10月、西川は、サラブレッドの一口馬主を会員として集め、
投資してもらう競走馬投資販売会社の社長に就任する。このころから、
西川は仕事のために、ほとんど家には帰らなくなっていったという。
家には、いる事が少なくなり、
菊池桃子さんや子供さん達の
面倒もみない、都内にマンションを借りて
そこで生活をする・・・そんな離婚に近い状態を
続けていたとのこと。
旦那さんも一生懸命だったけれど、でもこれは
ちょっと、だめですよね!せめて菊池桃子さんを
支えてあげて欲しかった。
そうすれは、離婚という結果にはならなかったかも。
西川哲さんの収入が原因とされた
菊池桃子さんの離婚ですが、それだけ
ではなかったようです。
菊池桃子さんの周りの人間が
色々証言したりしているようです。
離婚の本心はどこなのでしょうか?
離婚の理由①女性問題
調べてみたところ、西川さんの度重なる浮気と
育児放棄が大きかったようです。
西川さんには別宅がありそちらでホステスの女性から
40大独身のプロゴルファーの女性との関係があったとされています。
離婚の理由②育児放棄
障害のある、娘さんの育児は、菊池桃子さん
にとって大変な苦労があったと思います。
離婚原因の1つになるかもしれませんね。
離婚をされて3年あまり、菊池桃子さんは
最近、TVでの出演も増えてきたように思います。
大学での教授活動はされてるでしょうが、歌番組にも
多数出演されていて、菊池桃子さんの離婚後の活躍
ぶりを拝見できてホットしています。
5月16日(土)に自信のライブを開催されると公表されました。
まだまだ、アイドル時代の元気なパワーで頑張って欲しいと
思います。離婚して、ちょっと肩の荷が下りたのではないでしょうか?
これからも活躍を期待したいです。
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