松本人志の父親が亡くなっていた!実は不仲だった?父親との確執説も
2015/11/21
グリ777
2015/05/11 更新
松本人志さんの父親は2014年に亡くなりました。松本人志さんは父親が亡くなったことをテレビ番組で明らかにしましたが、その際父親との確執があったことも告白しました。そこで松本人志さんの父親との確執をまとめました。
松本人志
ニックネーム:松ちゃん、まっつん
生年月日:1963年9月8日(年齢50歳)
出身地:兵庫県尼崎市
血液型:B型
身長:172cm
方言:摂津弁
最終学歴:兵庫県立尼崎工業高等学校
出身:NSC大阪1期生
松本人志さんの父親、譲一さんは、2014年に亡くなりました。
松本人志さんは、そのことをテレビのレギュラー番組で明らかにしました。
松本人志さんはテレビ番組で父親が亡くなったことを語りました。
父親が亡くなったことを語る松本人志さん
松本人志さんは父親が亡くなった際にテレビ番組で
父親との確執があったことを明らかにしています。
松本人志さんは以前からテレビ番組などで父親とのエピソードを
語っていますが、どれもネガティブな感じのものが多く、
それが松本人志さんの父親との確執になっているのかもしれませんね。
父親との確執を語る松本人志さん
松本人志さんはtwitterでも父親について「いろいろあったからな」とつぶやいています。
今まで1回も褒められたことがなく「そんなに折り合いがよくなかった」と明かした松本は「おやじが死んでもええかなと思ってたけど、思ったよりけっこう(胸にぐっと)きやがるなと。
「暑い日に父親が『涼みに行くぞ』言うて、カブに乗せられて。夜なのに遠くまで行って、カブから降ろされたらそのまま親父が離れて行こう、離れて行こうとして。『ああ、これたぶん、捨てられるんやなぁ』と思って、親父から必死で離れないようにして」(松本氏)
「松本さんは“九九”を覚えていないという理由だけで、“お前みたいな奴は、何やったってアカン! しかも、そこまで言うかというぐらい、無茶苦茶言われたのよ”と親父さんにめっちゃ怒られたとこぼしていたことがありました。しかも、それがトラウマになって親父さんに“恐怖”を感じるようになったとも話していましたね」(お笑い関係者)
中学、高校へ上がると父への思いは反発に変わっていく。そして、お笑いの世界に入るときも讓一さんは反対した。
《吉本(興業)入るときも、ぼろっかす言われたもんね。「絶対、無理や」って(中略)「絶対、出世したろ」みたいな気になりましたよねえ》(著書『松本人志 愛』)
松本人志さんのお兄さんは、松本人志さんの父親は松本人志さんを褒めていてたと語っています。父親も松本人志さんの前では面と向かって言いづらかったのかもしれませんね。
「弟が売れてテレビで出だした時でも『たしたもんやな、たしたもんや』と目じりにしわ寄せ、うれしがったくせに、弟の前では決して面と向かって褒めない、そんな父」
松ちゃんには褒められた記憶がなかったが、譲一さんはひそかに息子の成功を喜んでいたようだ。
松本人志さん作詞『チキンライス』
松本人志さんが父親の思い出を歌ったチキンライスを歌う場面
チキンライスは松本にとってキーワード。相方・浜田雅功(51)と槇原敬之(45)が歌った「チキンライス」(2004年発売)は、松本が少年時代のエピソードを基に歌詞を書き上げた。
《葬式で帰省。あの人と暮らした尼崎を少し歩いた。あの人と子供の頃行った太陽の塔を見に行った。あの人と食べたチキンライスを食べたらさすがにいろんな感情が押し寄せて来やがった。。。》
かつて相方・浜田雅功(51才)は、『チキンライス』という曲をリリースしている。親孝行に関する歌詞なのだが、ここで外食時におけるチキンライスについて言及しているのだ。この曲の作詞を手掛けたのは松本だった。
松本人志さんは、父親が亡くなったことで父親への自分のわだかまりが
解消されたようなことを語っています。
松本人志さんは結婚をして、今度は自分が父親になりました。
自分が父親になったことで、父親への思いも変化したのかもしれません。
今後松本人志さんはどのような父親になっていくのでしょうか?
目が離せません。
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