フィギュアスケート選手・安藤美姫の恋人や妊娠、がん騒動の真相は?
2019/01/26
rin93
2015/04/11 更新
フィギュアスケートの選手を引退以来、様々なジャンルの仕事に幅広く挑戦している安藤美姫さん。現役の選手時代は、競技後の海外メディアからのインタビューに通訳を付けず自ら英語で答えていました。海外にトレーニング拠点を移した当初は英語が苦手だったという安藤美姫さん。いかにして英語力を身に着けたのでしょうか?
安藤 美姫(あんどう みき)プロフィール
2007年、2011年世界選手権優勝。2006年トリノオリンピック、2010年バンクーバーオリンピック日本代表。2002年のジュニアグランプリファイナルにおいて、ISU公式大会で女子選手として史上初の4回転ジャンプを成功させた[1]。
2013年12月、ソチオリンピックへの出場を懸けて3年ぶりの出場となった全日本選手権で、ショートプログラムではトリプルトゥーループ+トリプルトゥーループのコンビネーション、トリプルルッツなど、要素を全てミス無く実施し64.87で5位につける。優勝を狙ったフリースケーティングでは当日の朝練習まで「ミスなくきれいに滑ろうか」と迷った末「最後の最後は自分らしく終わりたいと思った。ジャンプの安藤美姫と言われた時の気持ちでやりたかった」[52]と難しい構成を選択した。シングルサルコウ、シングルルッツなどのミスが見られ、フリープログラム単独では9位、総合7位に終わった。演技終了後のインタビューでは「シーズン当初(スケート連盟から)優勝しか(ソチ五輪への)道はないと言われていた[53]」事を明かした。オリンピックへの出場権が獲得できなかったことから、大会終了後に現役引退を表明した[54]。
翌日、民放の番組に出演し「ショート(プログラム)の点数を見てオリンピックはないと察した。」と話し、「2日後にはアイスショーの契約が入っている」[55]ことも明かした。引退後は指導者を目指すと話した。
引退後(2014-)
アイスショーや解説者としてテレビに出演している。
安藤美姫さん現役時代のジャンプ
史上初の女子4回転ジャンプを決めてからは特に注目を集めていた安藤美姫さん。そのプレッシャーの中で自分自身との戦いやコンディション調整の難しさなど、素人目から見ても大変な選手時代だったことがうかがえます。
数々の世界大会で表彰台に上がった安藤美姫さん。フィギュアスケートは様々な国で試合が開催されますし、海外の選手やコーチと交流する中で、英語が流暢な日本人選手も多い印象です。
安藤美姫さんも一流選手へと成長を遂げた中で、スケートの実力と並行して英語力も上達していった様がインタビューなどで垣間見えました。その英語力はいかにして培われたのでしょうか?
仲良く集合写真を撮る各国選手
競技中はライバルでもリンクの外に出れば同年代の仲間たちとして和気藹々と楽しんでいる雰囲気ですね。公用語はきっと英語?
安藤美姫さんが日本から海外に拠点を移した2005年、当初は英語に苦手意識がありトレーニング以前に日常生活の面でも苦労があったようです。そのときのことを安藤美姫さんがインタビューにこう答えていました。
インタビューに答える安藤美姫さん
友達もいないし、英語も話せないし……、正直とても苦痛で、ホームシックにもなりました。あのころは、レストランに行っても、いつも同じものばかり頼んでいましたね。発音もうまくできないし、言っていることが通じなくて、恥ずかしかったり、悲しい思いをしたりしました。
2006年、ニコライ・モロゾフコーチに師事したときにすすめられたのがきっかけですね。「会見で通訳をつけているのは日本人くらい。世界で活躍するトップスケーターとして、英語くらいは話せないと恥ずかしい。それに、視野を広げるという意味でも話せたほうがいい」と言われたんです。
モロゾフ・コーチと安藤美姫さん
モロゾフ・コーチが以前にテレビで、安藤美姫さんのコーチをしていた当時を振り返り、「美姫は最初とても自分に自信がなかった」と語っていたのが印象的です。
フィギュアスケートの技術だけでなくメンタル面の強化が必要だと感じ、安藤美姫さんが海外で堂々と生活し女性としてもスケーターとしても成長するために、英語の習得をすすめたのかもしれません。
フィギュアスケートのトレーニングがメインだった安藤美姫さんは、限られた時間の中で自分にあった英語学習方法を選んだようです。
2006年 アメリカ出発時の安藤美姫さん
トリノオリンピック前に練習拠点の米国クリーブランドに向かった際の写真。
コーチに言われたことがきっかけで、生きた英語を友達から学ぶようになったんです。2007年ごろからは、通訳なしで、海外メディアからの取材を一人で受けられるまでになりました。当時は、「英語喋れてる」と思っていましたが、今振り返ると、一度頭の中で考えながら英単語を選んでいたので、つたなかったと思います。
その当時の映像がこちら。2007年世界フィギュアスケート選手権(東京)で優勝した後の海外メディアのインタビューに答えています。
安藤美姫さん自身が振り返る通り、頭で考えながら単語を選んでいる感じや、ささいな文法の間違いはあるものの、自分の言葉で相手に伝えられるていることが素晴らしいです。「生きた英語」を学んできただけあって、話すリズムや発音にセンスの良さも出ていますね。ただ、この時はまだ発展途上といった感じです。
以前、英語を勉強していた日本の友人が、外国人と実際に話した時に、全く通じなかったと言っていました。その話を聞いて、定型文を覚えるのではなく、シチュエーションと言葉をリンクさせて覚えることが大事だと思いました。
だから、外国人と話す機会があれば積極的に話した方がいいですし、ない場合は、洋画を見たり、海外ドラマを見たり、生きた英語に触れることが大切なのではないかと思います。
「L」と「R」の発音の区別が難しかったですね。
以前、行きつけのカフェに「Marble loaf」っていうパウンドケーキがあったんですが、注文時に「L」も「R」で発音してしまっていて、一緒にいた友達に「犬の鳴き声みたい」って笑われたんです。犬の鳴き声の「bowwow」の音に似ていたらしいんです(笑)。
でも、同時に「直したほうが美姫のためだから」って言ってくれて、それからは、「じゃあ、“Clean my room”って言ってみて」、など「L」と「R」の発音を区別するためにいろんな課題を出してくれて、生きた英語が学べましたね。
「L」と「R」の発音方法の違い
日本人が苦手な発音とされている「L」と「R」ですが、この図のような舌の使い分けに慣れるまで、安藤美姫さんも丹念に訓練したのですね。
2010年ごろからは、海外メディアからの取材でもスムーズに話せるようになっていました。自分で当時のインタビューを見比べてみても、かなり上達したことが分かります。
英語が話せるようになったことで、海外での生活がとても楽しくなりました。言葉の壁がなくなって、アメリカや海外の文化に触れられる機会が増えましたし、交流がなかった選手と仲良くなることもでき、視野が広がりましたね。
こちらは上の動画から4年後の2011年 四大陸フィギュアスケート選手権(台北)でのインタビュー。
英語もとても上達して、リラックスして受け答えていますね。台北の観客席へ中国語での挨拶も交えつつ流暢な英語で、応援してくれた人々への感謝や、台湾は暖かく人々が親切で居心地が良い印象などを語りました。
安藤美姫さんとイタリアのコストナー選手
外国のスケーターたちとも英語でコミュニケーションが取れるようになり、モロゾフ・コーチの助言通り、「英語での取材にも自分自身の言葉で答えられるトップスケーター」に成長を遂げた安藤美姫さん。
安藤美姫さんがアメリカに拠点を移した2006年から6年後の2012年、英語力の上達だけでなくスケート人としての安藤美姫さんの成長が一目瞭然で分かる動画がありました。
2012年3月11日には、自身が総合演出・企画・構成を務めたアイスショー、リボーン・ガーデンに出演した[43]。この企画を行った理由について安藤は、2011-2012シーズンの競技生活をしないと決めてから、東日本大震災によって被災してしまった人々に何かできないかと方法を模索しており、単にチャリティーでもアイスショーでもなく、東日本で起こったことを忘れないためのイベントをやりたかった。「リボーン・ガーデン」と題したのは、まさに再生を、前に進んで行くこと、新しく始めることを願ったから、と話している[44]。
この約2年後に現役引退を表明し、2014年からは解説者としてやバラエティー番組への出演など、さらに活躍の場を広げている安藤美姫さん。そのストレートに意見を言う姿勢から、ともすると怖く見られたり、プライベートの様々なことが話題にされる安藤美姫さんですが、これからもきっと我が道を進まれることでしょう。
「昔からの夢はスケートのコーチになること」だという安藤美姫さん。英語を身に着けたおかげで、もしかしたら将来は日本のスケート選手だけでなく世界各国のスケート選手にも指導しているかもしれません!!
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