2016/08/26
natu634
「三重苦」で知られるヘレン・ケラーと彼女を教育したアン・サリバンの実話を基にした物語。この記事では、1962年公開の映画『奇跡の人』を中心に、ご紹介をします。
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ヘレン・ケラーの少女時代を描く物語です。が、主役はあくまで「サリバン先生」ことアニー・サリバン女史。
ヘレン・ケラーの伝記、というか人生に欠かせない人となったサリバン女史。映画『奇跡の人』の主人公は彼女でした。
見えない、聞こえない、話せない。しつけもろくにされていないヘレンを、どう教育するか?映画『奇跡の人』ではその教育風景が戦争のごとく描かれます。
元々は舞台だったのが好評を博したため映画化された『奇跡の人』ですが、以下のような功績をあげています。
サリバン女史を演じたアン・バンクロフトは主演女優賞を、ヘレンを演じたパティ・デュークは助演女優賞をそれぞれ受賞している。アカデミー賞だけで5部門、その他二つの賞でも複数部門を受賞。
『奇跡の人』というタイトルが実は・・・という作品でもあったようです。
映画『奇跡の人』の真の主人公です。盲目に近い弱視であること、幼児期に弟さんを亡くしていたことなどはこの映画で知りました。調べたら結構壮絶な人生です、サリバン先生。
映画『奇跡の人』第二の主役、ヘレン。ポンプの水で「物には名前がある」と知り、「ウォーター」と話すシーン、実は映画原作の戯曲に端を発したもので、実際には言葉を発するようになったのはもっと後のことだそうです。映画の中では草や木や、手当たり次第にものに触って、名前を知りたがっていました。
独断と偏見による映画『奇跡の人』の名シーン、並びに印象的だったシーンをば。
映画『奇跡の人』冒頭部分。三重苦のまま成長したヘレンがふらふらと歩き回るシーン。彼女なりに何かを求めての行為なんでしょうけど、ショッキングな出だしではあります。
妹のゆりかごをひっくり返すシーンもさらっと流されます。伝記を読む限り「故意」(兄弟の嫉妬から来る行動)の可能性がありますが、映画の中だと「何もわかっていない」かのような表情。子供の計算高さを感じると同時に、何だか悲しくもなるシーンです。
サリバン先生の荷物物色中。人形を見つけた時のシーンが印象的でした。「この人形は私のもの?」と人形をたたき、自分をたたくことで「聞き」くヘレン。サリバン先生は「そう、あなたのよ」とヘレンの手で人形と彼女の胸をたたかせ、うなずく自分の顔を触らせることで「返事」。然る後嬉しそうに人形を抱きしめるヘレンがかわいかったです。ちょっとほっとするシーンもあるんですよ、この映画。
伝記などで描かれる「食事の作法を教え込む」シーン。『奇跡の人』でも存在します。二人の格闘ぶりはかなりの迫力です。CGナシの白黒映画でも、迫力は出せるんです。
映画にしろ舞台にしろ、『奇跡の人』には外せない、このシーン。すべてのものに名前があると理解し、人間性を取り戻した第一歩です。直前までサリバン先生との二人きりの「合宿」があり、家に戻ってから再び元の「わがまま娘」になったのを見て、ポンプのところに連れて行ったように思います。
施設に入ってすぐになくなった弟のことを思い出すシーンなど、『奇跡の人』の主人公がサリバン女史であることをにおわせる描写も多々ありました。
原題は分かりやすいですね。でも、多少ややこしくても『奇跡の人』というタイトルはいいと思うのです。何か心惹かれるものがありますし。
顔を触って「誰なのか」を確認。実際には臭いで識別していたそうですが、映画なので顔を触っていた方がわかりやすいということになったんでしょうか。ヘレンはヘレンで、暗中模索。もがいていたんですね。
徐々に成長するさまが描かれています。少々大仰なのは、映画公開時の時代背景もあるんでしょう。釘付けになって、引き込まれること請け合いです。
強烈で壮絶な教育、その成果を描いた物語はリメイクされました。
ヘレンがややかわいくなっているような。1962年版『奇跡の人』以降定番のポンプのシーンもしっかりある模様です。
長寿漫画『ガラスの仮面』より。『奇跡の人』のヘレン・ケラー役の最終オーディションにて。パティ・デュークのこのエピソードが本当かはともかく、役者さんて凄いですよね・・・。
『奇跡の人』、つまりヘレン・ケラーの方は後々までのことが分かっていますが、この映画見てないんで二人がどうなるかが気になります。
ヘレン・ケラーの物語ではなくタイトルも『奇跡の人』ではなく『奇跡の「ひと」』そんな映画が2015年に公開されました。こちらも実話のようです。
19世紀、フランスの歳暮学院にマリーという少女がやってくる。目も見えず耳も聞こえず、ろくに教育もなされずに14年間、動物のように暮らしてきた。修道女マルグリットは、そんなんりーの魂に惹かれて彼女の教育を買って出る。8か月かけて「名前」の存在を知ったマリーだが、体の弱いマルグリットは不治の病にかかっていた。それでもマリーとともに生きることを決めていた。
『奇跡の人』ではなく「ひと」にしたのは、混同を避けるためかもしれませんね。でもこちらはこちらで見ごたえがありそうです。
舞台だと日本人が演じても違和感というものが働かないのは何故でしょうか。映画とは違った表現がなされるのが舞台、なんでしょうね。ちなみにこの舞台は2009年に上演された模様。
ヘレン・ケラーご本人です。点字を覚えて高等の学校まで行き、結婚もしました。名言も多いです。それでも「奇跡の人」は彼女自身ではなくサリバン女史とのこと。ケラー女史も十分「奇跡の人」だとは思います。いや、気軽に「奇跡」といっていいものではないのかもしれません。
実際のヘレンとサリバン女史の写真。改めて考えると、映画以上の「戦い」があったんでしょうね。でもこの写真は何だかほっとするような一枚です。
「ここで漫画!?」と思うかもしれません。『ONE PIECE』における「奇跡の人」イワさんことエンポリオ・イワンコフ氏の名言です。サリバン女史もヘレンもあきらめなかった。だから「奇跡の人」になれたんです。
舞台化もリメイク映画化も、戯曲原作の1962年版映画『奇跡の人』があまりに強烈だったためなされたのではないでしょうか。描かれているのが一般的なコミュニケーションがまず不可能であるがゆえの、もっと根源的な部分での「戦い」だからかもしれません。ショッキング、壮絶、でも愛おしい映画『奇跡の人』、「白黒なんて古臭い」と言わずにご覧になってください。
映画では(確か)少女時代のエピソードのみだったと思いますが、ヘレンはその後福祉活動などに身を投じ、画像のような名言を遺すに至りました。
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