2015/10/19
fukudam
プロフィール
愛称 うっぴー、まりやんぬ
生年月日 1993年12月24日
現年齢 21歳
出身地 日本・福岡県福岡市
血液型 A型
瞳の色 茶色
公称サイズ(2013年3月[1]時点)
身長 / 体重 170 cm / ― kg
スリーサイズ 80 - 58 - 83 cm
股下 / 身長比 81 cm / 47.6 %
靴のサイズ 25 cm
単位系換算[表示]
活動
デビュー 2006年
ジャンル ファッション
モデル内容 一般
他の活動 女優、声優、歌手、タレント
”西内まりや”は本名で、12月24日に生まれたので聖母マリアにちなんで名づけられたそうです。
仲良しの美人姉妹として知られていて、5歳上の姉西内ひろは、2014年準ミスユニバースに選ばれています。
母(55歳)は全日本クラスの元水泳選手で、国体で優勝経験もある実力の持ち主です。
西内まりやさんもスポーツが得意な体育会系女子で、小学校3年から上京直前の中学2年までは、将来を嘱望されたバドミントン選手でした。
ほぼ毎日、腹筋500回、6㎞のランニングをこなし、福岡市内の大会では4回も優勝し、夢は日本一になって、オリンピックに出場する事でした。
2006年、中学校1年の夏、福岡市内でスカウトされ、1年間はバドミントン選手とモデルの両方の活動をしていました。
両親はそろって、スポーツの愛好家、父親はバレーやバスケ、水泳に励んでいた。母親は水泳の元国体選手だった。親戚の中には、ラグビー、ボート、バトミントンの全国区レベルの選手もいるというスポーツ一族である。
5歳の時から母親が経営するスイミングスクールで泳ぎ、体を鍛え始めた西内。食事は毎朝、茶碗に山盛りにしたご飯に、納豆とタマゴ、ネギをのせてモリモリ食べ、プロテインも欠かさず飲み体をつくっていた。持久力アップと疲労回復のために、梅干しもセッセと食べていたという。
小学校3年のとき、4歳上の姉が先に始めていたバドミントンを始め、“鬼コーチ”のもと週5日、腹筋500回、6キロを走るトレーニングで汗を流した西内は、試合で負けると泣いてしまうほど負けず嫌いだったという。
これだけ、打ち込んだバトミントンでは、あるが、中学1年生の時にスカウトされ、華やかなモデルの世界に入ると、スポーツではなく、芸能界の世界に没頭する。2007年10月に母親とともに上京する。公立中学を経て、堀越高校へ進み、八雲学園高校に転校。学校に通いながらファッション誌で活躍した。
2007年からファッション雑誌「ニコラ」の専属モデルとして活動。通算11回の表紙を飾りました。
2007年7月雑誌ニコラの専属モデル(ニコモ)としての活動を開始、2008年にはNTVのテレビドラマ「正義の味方」で女優デビューしています。
2010年にニコラを卒業、雑誌”Seventeen (雑誌)” の専属モデルとなっています。
モデルを始めたころを振り返って、「メークをしてもらい、かわいい服を着て撮影に臨む、ジャージー姿で(体力維持のため)梅干しをバリバリ食べ、寝る。そんなバドミントン選手の世界とは正反対でした」と語っています。
仕事がある時に上京するという生活でしたが、中学校2年の2007年10月に、モデル活動に専念しようと母親と一緒に上京しています。
長い間指導を受けていたバドミントンの監督からは、「これまでどんな気持ちでやってきたと思ってるんだ!」と怒鳴られたそうです。
バドミントン選手時代は、他人よりも多く練習すれば、それなりの結果が付いてくる、ところがモデルになって、
どういう風に努力すればいいのか、その方向さえわからなくなってしまったのです。
上京した西内まりやさん高校は東京都の私立校で芸能人も多い堀越高校へと進学しました。
ですが、卒業したのは東京都の私立女子高の八雲学園高校です。
転校の理由は、ジャニーズの山田涼介さんと熱愛のうわさが出てしまったことです。
西内まりやさんが高校に入学した時に席が隣だったことやその頃、
ドラマで共演していたことから熱愛を噂されました。
山田涼介さんの熱心なファンからも目をつけられてしまい、高校に電話や手紙が届いたりしていたようです。
そのため、事務所と相談して、八雲学園高校へと転校したみたいですね。
八雲学園高校時代には陰湿なイジメにも遭いました。
「何であんたがモデルやってんの」という罵声を浴び、私物を隠され、無視されて、掲載雑誌は破かれました。
辛くて、毎日泣いていましたが、母からは、「自分で悪いことをしていないと思うなら、立ち続けなさい。学校にも行きなさい」
と強い言葉をかけられています。
「学校ではひどいイジメにあっていたそうです。『なんでアンタがモデルやってんの』と悪口を言われ、クラス全員に無視されたり、私物を隠されたり、西内さんが載っている雑誌を破られたり。お母さんに励まされ、意を決してイジメの首謀者に『ほかの人を巻き込まないで、堂々とぜんぶ私の前でやって』とハッキリ告げたらイジメはなくなったそうですが、それまでは毎日のように泣いていたそうです」
今でもそのころを振り返ると、母がいたから乗り越えられたんだと思うと語っています。
だから、今時の女子としては珍しい”上昇志向”を持っています。
西内まりやさん八雲学園高校を卒業後は大学進学も考えていたようですが、
結局は芸能活動に専念することに決め、進学していません。
現在の夢は、「芸能界の頂点に昇り詰めること」、バドミントンの監督の、指導の恩に報いることができなかったことは今でも気になっていて、「芸能界の頂点に立って、バドミントンの監督に報告したい。怖い監督だったから今度は正直な気持ちを伝えたい」と思っています。
姉が2014ミスユニバース東京大会で第1位になった時には、こんなツイ―トをつぶやいています。
2011年のフジテレビTWOの『スイッチガール』で、連続ドラマ初主演、好評価を得て第2シリーズまで制作されました。
バラエティ番組にも進出し、2012年からは、『ピカルの定理』に出演し、全国的に名前を知られるようになっています。
2013年には「山田くんと7人の魔女」でゴールデンタイム初主演を果しました。
2014年4月から、香取慎吾主演の「Smoking Gun〜決定的証拠〜」に出演、西内まりやさんの
爽やかな演技に注目が集まりました。モデルの時と違う、このドラマでのナチュラルメイクがとても好評で、
可愛かったころ(?)の女優の夏帆にそっくりとも言われています。
爽やかな演技が注目されている、モデルで女優の西内まりやさん。
美人姉妹としても知られていて、姉の西内ひろは、2014年準ミスユニバースにも選ばれています。
西内まりやさんは小学校時代から将来を嘱望されたバドミントン選手でした。芸能界に転じて、
八雲学園高校時代にイジメに遭いながら、それを乗り越えて頑張っています。
まだ21歳、女優としての”伸びしろ”も十分あり、次世代を担う女優候補として、
今後の飛躍が期待されています。西内まりやさんから目が離せませんね。
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