夏目三久の実家の場所は?実は実家が2つ?本当の実家は どっち?
2015/12/12
グリ777
山口智子さんの「実家」について探る前に、山口智子さんのプロフィールを見ていきましょう!
山口 智子(やまぐち ともこ、1964年10月20日 - )は、日本の女優である。戸籍名、唐澤 智子(からさわ ともこ)旧姓、山口。
栃木県栃木市出身。研音所属。身長170cm。
山口智子さんはご実家は栃木県なのですね。
来歴・人物
栃木市立栃木西中学校時代には生徒会会長をつとめた。栃木県立栃木女子高等学校、青山学院女子短期大学家政学科卒業。短大在学中は広告研究会所属。
山口智子さん生徒会長だったのですか〜。
1986年、東レ水着キャンペーンガールとしてデビュー。1987年にはこの年からスタートしたアサヒビールのキャンペーンガールにも就任。当時はボックスコーポレーションに所属していた。この頃、コマーシャル・モデルの仕事もしていて、東急イングループのパンフレット(総合案内、結婚式用)のモデルを務めた。
1988年度下半期放送NHK連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』でヒロインを務めた(この作品の共演がきっかけで、後に唐沢寿明と結婚する)。その後、日本テレビやTBS、フジテレビなど数々のトレンディードラマのヒロイン級の役柄を担当し、一躍スターダムにのし上がる。
1990年には火曜サスペンス劇場枠の2時間ドラマに異例とも言える3作品に主演(シリーズモノは別として)した。普通多くても1人2作品程度である。また1990年代、全盛期の山口智子出演ドラマは同世代の女性達から支持を集め、いずれも高視聴率が取れたため、「連ドラクイーン」や「高視聴率の女王」とも呼ばれた。
1995年に唐沢と結婚してからは女優業を徐々に縮小し、CMを中心に仕事をシフトしていたが、現在は単発的にTV出演などのタレント活動もしている。
2008年から2010年3月まで、中目黒の川沿いに燕子花(かきつばた)という西洋/東洋の伝統工芸雑貨のセレクトショップをオーナー経営していた。
山口智子さん、まさに90年代大活躍だったのですね〜。そんな名優が育った、実家とは?
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へえ!山口智子さんの実家は古くから続く、旅館なのですか〜。
老舗旅館・鯉保
山口智子さんの実家も気になりますが、ご先祖様は、すごい方ですね。松尾芭蕉の弟子!?
杉山杉風
読み方:すぎやま さんぷう
江戸中期の俳人。蕉門十哲の一人。江戸生。通称は鯉屋藤左衛門・市兵衛。別号は採荼庵・荼舎・蓑翁・五雲亭等、隠居して一元。芭蕉の後援者、また弟子として随身した。篤実な人柄を芭蕉も愛し「去来は西三十三国、杉風は東三十三国の俳諧奉行」とたたえたと伝えられる。『常盤屋之句合』『角田川紀行』等の著がある。享保17年(1732)歿、86才。
山口智子さんの先祖の杉山杉風さん。「蕉門十哲の一人」とありますが、蕉門十哲って?
杉山杉風さん
蕉門十哲(しょうもんじってつ)は、松尾芭蕉の弟子の中で、特に優れた高弟10人を指していう。蕉門の十哲とも。
蕉門十哲とされるのは以下の10人である。
宝井其角(たからい きかく)
寛文元年(1661年) - 宝永4年(1707年) 蕉門第一の高弟。江戸座を開く。
服部嵐雪(はっとり らんせつ)
承応3年(1654年) - 宝永4年(1707年) 其角とならんで蕉門の双璧をなす。
〔中略〕
杉山杉風(すぎやま さんぷう)
正保4年(1647年) - 享保17年(1732年) 蕉門の代表的人物で芭蕉の経済的支援者。
なるほど、優れた高弟10人というわけですね。山口智子さんのご先祖様がその一人だったと。それはすごいですね〜。ご実家の旅館は杉山杉風さんが開業されたのでしょうかね???
松尾芭蕉
蕉門十哲図
そんな山口智子さんの実家の旅館ですが、実は、残念なことに廃業されていたそうです。
栃木市の倭町に、創業100年を越える老舗旅館「ホテル鯉保(こいやす)」がある。当旅館を経営する山口家は杉山杉風の子孫にあたり、女優の山口智子さんは同家の長女。
山口智子さんのご実家の旅館は、創業100年ですか〜。明治維新が1868年ですから、杉山杉風さんが作られたというわけではなさそうですね。
「ホテル鯉保」には「杉風」という名の和風レストランがあり、同ホテルの案内書に「日本料理 "杉風"は、鯉保の先祖である鯉屋藤左衛門の俳号により名付けました。藤左衛門は江戸寛文の頃、屋号を鯉屋と称し幕府と他の諸侯に魚類を納めるお納屋を営み、俳聖芭蕉が江戸に来た当初から師弟の関係をもち、芭蕉の生活面における支持者として深いゆかりをもち、蕉門の高弟として高く評価されております」と書かれている。
なるほど。山口智子さんのご実家のご先祖さまの杉山杉風さんは、「魚類を納めるお納屋」を営んでいらしたのですか。
山口智子さんの実家の旅館が廃業されたのは、もう10年ほど前になるのですね。
この度、諸般の事情により、8月31日をもちまして、ホテル鯉保の
営業を終了させて頂くことになりました。
故山口雅平の遺志を継ぎ、役員・従業員力を合わせ、精進してゆく
所存でございましたが、創業120年という歴史の重みをしっかりと
受け止めつつも、変わりゆく時代の流れの中で大きな柱を失い、
上記のような決意をするに至りました。長い歳月にわたり、鯉保を
愛してくださった皆々様、ほんとうにありがとうございました。
今後は、多くの皆様に賜りましたご厚情に報いるためにも、ふるさと
栃木のためにも、新しい道を模索し真摯に努力してゆく所存で
ございます。
※閉鎖されてしまったホテル鯉保(こいやす)のホームページの文章から。
山口智子さんの実家の旅館が廃業されるときの挨拶文です。世知辛い時代になったものですね……。
『 山口智子(40)の実家が大ピンチだ。
山口の実家は栃木市内にある創業120年を超す老舗の「ホテル鯉保」。その「鯉保」が、土地建物に総額8億8000万円の根抵当権を設定された上、その債権が、今年3月にRCC(整理回収機構)送りになっていたのである。
「『鯉保』のHPを開くと“山口智子の実家です”という文字が浮かび上がるのですが、このホテルは“山口の実家”という他にウリはあまりありません。内装も古く、室内にシミが浮き出ているそうです。業績もジリ貧で、破綻も時間の問題です」(週刊誌記者)
山口智子さんの実家の老舗旅館は、「山口智子の実家です」をウリにしてたのですね〜。でも、「山口智子の実家」以外にウリがなかったというのは、確かに厳しいかもですね。
だが、“山口のホテル”が人手に渡るのは避けられそうもない。それは本人も認識していたようで、ホテルの会長を務める祖母の自宅はすでに01年に山口が買い取って住まわせているという。
破綻の危機、実父の死去……と“不幸のデパート”状態の山口。しかし、当の山口にはあまり同情の声は聞かれない。むしろ厳しい視線が注がれている。なぜか?
「山口は年に数社のCMに出演するだけなのに、昨年度も9000万円近い収入がありました。“不労所得”で生きているという目で見られているからです」(芸能記者)
山口はCM1本のギャラがタレントのトップクラスの9000万円。ドラマ出演を控えていた昨年までの8年間でCMだけでトータル25億円もの金額を稼いだといわれている。 普段は3億円の豪邸に夫の唐沢寿明と暮らし、昨年は伊豆に7000万円の別荘も購入したという。これでは山口が冷ややかな目で見られるのも当然だろう・・・・・・』
山口智子がホテル鯨保のおかみさんになれば、客は殺到、売り上げも伸びそうな気がしますけど、そうしたらいいのに。私も行きたいですよ!
そうですね。山口智子さんが実家を継いでいたとしたら、繁盛したかもしれませんね。でも実家よりも芸能界でのお仕事をとったというわけですね。まあ、無理もないかもしれませんが。
宝くじのCMの笑顔を見ていると、この実家問題のことを何も考えていないように見えます。実家は山口さんどうように、スクラッチ宝くじを買ってると思いますよ。当たらないでしょうけど。山口さんはこのCMで1億円くらい貰ってると記事で読みましたけど、スクラッチは当たって最高でも1千万円。何か悲しい・・・。あの笑顔は何?
実家問題ですか〜。でも、無理もないのかもしれませんね……。
宝くじ CM 山口智子 2004
山口智子さんの今後の活躍に期待いたします!!!
ホテル鯉保のロビーにあった山口智子コレクション
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