【画像あり】藤原竜也の結婚相手は?ストーカー被害や馴初め調査!
2020/03/06
chihiro
本名:小川 幹弘(おがわ みきひろ)
生年月日:1972年9月14日(43歳)
出身地:東京都
父:初代中村獅童
母:小川陽子
歌舞伎の名門・小川家(旧播磨屋、現・萬屋)に生まれる。父は元歌舞伎役者の初代中村獅(本名・小川三喜雄)。結婚10年目で待望の長男誕生であった。6歳の6月より日本舞踊を始め、獅童自ら舞台に出たいと祖母に直訴。1981年、8歳で歌舞伎座にて初舞台を踏む(萬屋3人(歌六・時蔵・歌昇)の襲名興行。
その後ロックバンドに傾倒していたが、19歳の時に歌舞伎の道を目指す事を再び決心する。
29歳の時に出演した映画『ピンポン』で準主役の「ドラゴン」の役を射止め、日本アカデミー賞、ゴールデン・アロー賞(映画新人賞)、ブルーリボン賞、日本映画批評家大賞、毎日映画コンクールの各新人賞5冠を受賞。以降、多数の映画やドラマに出演することとなる。歌舞伎においても、2003年に『義経千本桜』『毛抜』にて初の主演を務める。
しかしプライベートでは、女性問題や『遊び』を度々、取り上げられるなど奔放なイメージが付いている。
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結婚前は度々、多くの女性問題などで週刊誌に取り上げられた中村獅童さん。1回目の結婚後もお嫁さんがいるにも関わらず、その癖は止まりませんでした。結局、お嫁さんに愛想を尽かされて離婚してしまいましたが・・・。
その後、中村獅童さんも2回目の結婚を果たしましたがお嫁さんとは上手くいっているのでしょうか?
現在・過去のお嫁さんのエピソードを中心に見てみましょう!
竹内 結子 (たけうち ゆうこ)
生年月日:1980年4月1日(35歳)
出生地:埼玉県
職業:女優
ジャンル:テレビドラマ、映画
活動期間:1996年 -
人気女優、竹内結子(25)と歌舞伎界の鬼才、中村獅童(32)が結婚することが9日、分かった。
2人は昨年10月公開の映画「いま、会いにゆきます」(土井裕泰監督)で共演し知り合った。映画では夫婦役で熱のこもったキスシーンを演じたが、観客の涙を誘った愛の物語は、私生活でも続いていた。2人はそれぞれの仕事が一段落し次第、ゴールインする。
中村獅童さんの最初のお嫁さんは竹内結子さんでした。
ヒット映画『いま、会いにゆきます』の影響もあって、当時は大きなニュースとなりました。
獅童は「恥ずかしいけれど、心は少年時代」と竹内への思いを表現し、「誰かを幸せにすることによって、自分に与えられた人生を実感したいと考えるようになった」などと同作の出演が交際と結婚の大きなきっかけだったことを明かした。
当時は中村獅童さんも竹内結子さんも幸せそうでした。
出来ちゃった婚とは言え、めでたくお嫁さんとなった竹内結子さんでしたが・・・。
中村獅童さん、綺麗なお嫁さんがいても肝心の女性問題は治らなかったようです。それにしても飲酒運転+元カノが乗っていたとか、言い訳も苦しい状況ですね・・・。
さらに『恋多き女性』として有名な高岡早紀さんとも、怪しい関係が取り上げられました。
結局、中村獅童さんと竹内結子さんは離婚してしまいます。
「できちゃった結婚ということに加え、売れっ子女優だった竹内は梨園の妻になる覚悟がまったくできてなかった。当然、女優業を引退する選択肢もなかったため、歌舞伎の伝統やしきたりを学ぶ意欲もない。
陽子さんが『梨園の妻としての仕事を何もしていない』とサジを投げるほど関係は悪化。離婚の際には、陽子さんは長男を獅童の跡継ぎにしたかったため、親権をめぐって激しく対立したんです」
どうやらよくある、嫁姑問題も関係していたようです。
更に中村獅童さんが歌舞伎界に所属している為、お嫁さんであった竹内結子さんと子供の将来を巡って泥沼の離婚劇となってしまいました。
嫁姑問題も関係していたとは言え、複雑なエピソードとなってしまいました。
足立 沙織 (あだち さおり)
生年月日: 1984年1月4日・(現31歳)
出身:岐阜県
最終学歴:早稲田大学卒
その後、若い子に絶大な人気のファッションショー『東京ガールズコレクション』にも出演。
大学卒業後はこのまま芸能界へと行くのかと思いきや、アパレルセレクトショップの『ユナイテッド・アローズ』に就職。
2人目のお嫁さんはファッション関係の大手に勤める、足立沙織さん。
あまり歌舞伎俳優の中村獅童さんとは縁が無いように思えるのですが、付き合うきっかけは
何だったのでしょうか?
買い物へ行った獅童さんが、ちょうどお店で接客をしていた沙織さんを見て一目惚れ・・・。知人の紹介で実現した食事の席でいきなり「結婚してください」とプロポーズしたもののあっさり断られたようです。
中村獅童さん、今のお嫁さんには速攻だったんですね。
ただ断られても、諦めなかったようです。
しかしその後も毎日のようなメール攻勢で猛アタック!2011年に交際がスタート・・・ちょうどこの頃にフライデーがスクープ、獅童さんと沙織さんがアクセサリーショップで指輪を一緒に買うシーンが撮影されてすぐに「いいお付き合いをさせていただいています」と交際宣言。
2012年には鎌倉の獅童さん宅で同棲生活が始まっています。それからは陽子さんの住む杉並区の実家にまるで、夫婦さながら2人で訪れる姿が何度も目撃されていました。
伝統ある歌舞伎の小川家(萬屋)の為には、結婚し子供を作らなければならない。そのため竹内結子さんとは分かり合う事も間間ならず、できちゃったのスピード婚。当然分かり合えてない夫婦なので長続きはしません。
当時のお嫁さん、竹内結子さんとは話し合う時間も充分に取れずに離婚。
そのおかげで、嫁姑の問題にも発展しました。
中村勘三郎さんは中村獅童さんの大恩人に当たる人です。
足立さんがお嫁さんに来てもらう事は先延ばしになりました。
中村勘三郎さんの喪が明けたと思ったら、続いて母親が亡くなってしまいました。
中村獅童さんにとって辛い時期が続きます。
歌舞伎界にお嫁として行くはずが、またしても延期になってしまった足立さん。
しかしこの間も、足立さんは中村獅童さんを支え続けました。
獅童が「わがままで子供みたいな僕に何も言わずに付いてきてくれた。100点」と目を細めると、沙織さんは「何時も一生懸命で真っすぐでなところがすてき。100点満点」と笑顔で夫を見つめた。
中村獅童さんとお嫁さんとなった足立さんの、固い信頼関係が見られるコメントですね。
獅童さんの浮気も『信頼しているから大丈夫!』と気にしていないようです。
これはお嫁さんを裏切れませんね。
沙織さんの白むくは2013年12月に亡くなった獅童の母、陽子さんが見立ててくれたもので、お色直しのドレスも陽子さんが挙式で着たもの。この日朝には2人で陽子さんの墓前に報告し、会場入りした。
白むくやドレスにも、獅童さんの母親とお嫁さんが結びついたエピソードがありました。
心温まるエピソードですね。
中村獅童さんとお嫁さんに関する記事、いかがでしたか?
1回目の結婚と2回目の結婚で大分エピソードに違いがあります。
中村獅童さんも泥沼の離婚から、感じ取った事が個人的にあったのかもしれません。
それは足立さんと結婚する前のためらいにも出ています。
しかし恩人と母親の死を乗り越え、中村獅童さんは現嫁の沙織さんとは仲良く過ごせて
いるようです。
これからも、中村獅童さんの活躍に期待しましょう!
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