2018/12/20
lucifer_jesus_seraphim@yahoo.co.jp
中山美穂
出身・・・・・・長野県佐久市生まれで東京都小金井市出身。
出生・・・・・・1970年3月1日
作詞をする時は「北山 瑞穂」(きたやま みずほ)と「一 咲」(にのまえ さき)というペンネームを使用していた時期もあった。愛称は「ミポリン」。
1985年1月、TBS系ドラマ『毎度おさわがせします』のツッパリ少女・のどか役でドラマデビュー。刺激的なシーンやセリフが多く、個性的なキャストと鮮烈な内容にドラマは注目された。また、ドラマの要でもある役柄を文字通り体当たりで演じた中山にも注目が集まり人気は上昇していった。
主にテレビドラマで活躍。数々のドラマに主演し高視聴率を記録。「月9」においては主演が7作品と、女性では最多を記録している(男性を含めると木村拓哉に次ぐ第2位)。また、主演と主題歌を担当した作品も4作で、最多である。
デビューからいきなり超売れっ子に!毎度お騒がせしますでは13歳ながら、ヌードシーンも。かなり度胸のある新人アイドルでした。中山美穂の主演ドラマはヒットするのが当たり前。一般人ではありえない青春時代を過ごされたようです。
工藤静香
別名・・・木村 静香(本名)、愛絵理(作詞時の名義)
出生・・・1970年4月14日
出身・・・東京都西多摩郡羽村町
木村亜希、柴田くに子(後の森丘祥子)と“セブンティーンクラブ”を結成し、1985年1月にCBSソニーからレコードデビュー。しかし、2枚のシングルを発表し解散[
愛称は「しーちゃん」、「しずちゃん」「しーはん(しぃはんの表記揺れあり)」。「愛絵理」(あえり)名義で作詞をしている。
オリコン12年連続TOP10入り(安室奈美恵が2007年に記録更新)
事務所の勧めでフジテレビ系『夕やけニャンニャン』のオーディションコーナー・「ザ・スカウト アイドルを探せ!」に出場。合格を果たし、おニャン子クラブの会員番号38番となる
工藤静香のアイドル時代は本当に可愛かった!可愛さにセクシーさ、そしてヤンキーっぽさも加わり、大人気でした。工藤静香の笑った時のくしゃくしゃ顔と困ったような八の字眉が印象的でした。
『ミスマッチ』は、1988年12月20日にテレビ朝日系列火曜スーパーワイドで放送されたテレビドラマ。当時、親友を公言していた中山美穂、工藤静香という人気アイドル2人の共演となった。
中山美穂と工藤静香は当時スーパーアイドルでしたので、親友である事はしょちゅうテレビで話題となっていました。当人たちも認め、仲良しエピソードをしていたため、ファンの間ではそれが当たり前になっていたのですが・・・その後中山美穂と工藤静香の共演はあまり見られなくなりました。
田原俊彦の存在が?
まさかの親友同士の三角関係が噂されることに。
中山美穂と工藤静香、田原俊彦は当時売れっ子でしたので、この三角関係はとても話題になりました。
1991年に行われた「かくし芸大会」に3人が共演していた時に起こったある事件がキッカケだったそうです。
それは工藤さんと田原さんが一緒に手をつないで登場したそうなんですがそれを見た中山さんが「なんで手を繋いでいたの?」と激怒したそう。
それに対して工藤さんは「向こうから繋いできたから仕方ないでしょ」と一言。
あろうことか、中山が「親友」と公言していた工藤静香(45)との浮気現場がたびたび報じられていた。キスシーンを目撃されたり、共演した番組でわざわざ隣同士に座ったり。
ミポリンと田原俊彦が付き合っていた頃、トシちゃんと静香が隠し芸大会のドラマの中でキスをしたんです。その頃、2人とも人気絶頂でその2人がたかが隠し芸大会でキスをするなんて、とビックリしたのを覚えています。
この説は本当に根強く、中山美穂と工藤静香の不仲の理由として今も語り継がれています。
この話が本当なら、信用していた親友に裏切られた中山美穂は相当ショックだったと思います。親友の彼氏を奪う工藤静香は非難される対象になりますね。でも一番悪いのは田原俊彦のような気もしますが・・・どこまで本当の話なのでしょう。
2002年、6月辻仁成と結婚。同時に、当初予定されていた主演映画『サヨナライツカ』の製作が延期と発表された。この年の10月クールの連続ドラマ『ホーム&アウェイ』(フジテレビ系)を最後に日本での芸能活動を一時休止し、フランス・パリに移住。
インスタグラムに投稿されたのはパリの街中で撮影されたと思われる写真。人気のない夜の大通りでレザージャケットを着た2人が肩を寄せ合っている。信号や店先のライトが道路を照らし、幻想的な雰囲気だ。渋谷さんは中山さんの髪にキスをするような恰好で写っており、仲の良さをうかがい知れる。
離婚に至った理由として「長年患っていた子宮筋腫の状態が限界に達していた」 時期に「好きな人に出会いました」とし、日本に短期間滞在した際に「彼はそこに合わせて適切な治療方法を探し、病院に頼み込んで入院手術の手配、付き添いまでしてくれました」と献身的に側にいてくれたといい、それから「また元の生活に戻り同じことを繰り返すことは考えられなくなってしまった」と明かした。
中山美穂さん、生い立ちも家庭に恵まれなかったためか、結構恋愛体質なのでしょうか。
パリに移り、育児に専念しながら、時々仕事されているときは、充実した人生を送る大人の雰囲気でとても魅力が増していました。息子の親権をあきらめてでも手に入れたい相手だったのでしょうか。
今度こそ幸せをつかんでほしいです。
結婚後は露出を控えているような工藤静香さん。しかし、絵画やデザインなど類まれな才能を発揮して公私ともに充実されています。きっと家庭でもしっかり夫をささえているからうまくいっているのでしょうね。
インタビューでは彼女が離婚という決断をした理由、さらには最愛の一人息子への思い、そして彼と再会を果たせたときなど、自分自身に素直に生きようとする彼女のありのままが語られている。「後悔しない生き方をしていきたい」――その言葉にすべてが集約されているかのような彼女の生き方は、潔く美しい。
10代前半から超売れっ子アイドルとなり、常に注目をされつづけた中山美穂。自分を押し殺す事も多かったでしょう。中山美穂は今まさに自分らしく後悔しない生き方をもとめているのでしょう。
苦難を乗り越えてきた人生において、より今が一番輝いているように見えます。それが中山美穂の魅力なのでしょう。
「自分だけの人生で無くなる覚悟」をして結婚したという、工藤。14歳で仕事を始めてから全ての時間を、自分のために使ってきた人生である。「好きだから一緒にいたい」という一時的な勢いではなく、「他人と暮らすことは、自分が第一優先ではなくなる」ことを納得した上で、彼女は結婚に踏み切ったと話す。だから、自分の生活が家事や育児が中心となっても、心の中で葛藤や違和感はなかったそうだ。
自分の人生が終わるときは、感慨にふけるのではなく「よく頑張ったな」と満足しながら死にたい―という工藤の言葉に、その人生観が伝わってきた。強い女性である。
結婚後は芸能活動をセーブしている印象の工藤静香。ずっと第一線で走り続けた工藤静香のアイドル人生。今は良き伴侶に恵まれ、家事・子育ても充実しているよう。強い意思と芯のある生き方がとてもかっこよく、女性として憧れます。
中山美穂は「後悔をしない生き方」を。
工藤静香は「よく頑張ったなと満足しながら死にたい」
どちらも強い意志でしっかりと自分の人生を歩まれていますね。
アイドル当時は親友を公言、今は不仲のイメージが定着してしまいました。
どちらにせよ、中山美穂と工藤静香は別々の人生をしっかりと歩み、そして謳歌しているようですよ。二人の今後の生き方にも注目ですね!
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