2016/07/31
たかあみ
2015/09/27 更新
洋楽でも邦楽でも絶大な影響力を残すアーティストが出現しなくなって久しい音楽シーン。そんな今こそギターの神様エリック・クラプトンの名曲がおすすめです。ギターのうねりと美しいメロディライン、力強くどこかノスタルジックな歌声を持つエリック・クラプトンの名曲特集。
エリック・クラプトン
洋楽を聴かない人でも一度は耳にしたことのある名前「エリック・クラプトン」。1945年3月30日イギリス生まれの現在70歳ですが、音楽シーンに残した名曲は数知れず。偉大なギタリストの一人としても有名で「ギターの神様」とも呼ばれます。
1960年代からヤードバーズ、クリームなどのバンドでギタリストとして活動。その演奏について、エリック・クラプトンは神だとロンドン市内に落書きされた。「スローハンド」というニックネームで知られる。
『ローリング・ストーン』誌の2003年8月号のカバーストーリー「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第4位。2011年の改訂版では第2位。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第55位。
数多くのバンドでプレイしてきた経歴を持つエリック・クラプトン。特に有名なものではヤードバーズ、ジョン・メイオール・ブルースブレイカーズ、クリーム、ブラインド・フェイスなど。ソロでの名曲も多く、他のアーティストとのコラボ作品も多くあります。
スーパーグループ「Cream」
エリック・クラプトンがギタリスト兼ボーカリストを務めていたバンド「Cream」は音楽シーンに多大な影響を与えたバンドの一つです。メンバーの3人はそれぞれ高度な技術を持ち、わずか2年半の活動で音楽シーンに大きな爪痕を残しました。最近はそんなグループが現れませんね。
ブルースとハードロック、サイケデリックロックを融合させたサウンドが特徴。世界でのアルバム売上は3,500万枚以上に及び、 『Wheels of Fire』は世界初のプラチナアルバムを獲得した2枚組のアルバムとなった。このような実績から、クリームは世界初の有名で機能していたスーパーグループとして認知されている。
3人は全く対等の高度な演奏力で火花を散らし、強烈なアドリブを繰り広げ、誰かがリーダーシップを取って牽引するというようなことはなかった。わずか2年半の活動で世界を席巻し、1968年に解散するも、後続のミュージシャンに多大な影響を与えた。
クリームはVH1誌の 100 Greatest Artists of Hard Rock で16位にランクし、また、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第66位となった。
バンドCream時代の名曲「White Room」
バンドCream時代の名曲「White Room」
バンドCream時代 うねりがクセになる名曲「Sunshine of your Love」
バンドCream時代 うねりがクセになる名曲「Sunshine of your Love」
あまりに有名な名曲「Tears In Heaven」
洋楽に詳しくない人でも知っている、エリック・クラプトンの代名詞とも言うべき名曲が「Tears In Heaven」。英語の授業で歌った人も多いのではないでしょうか。映画『ラッシュ』の主題歌でしたが、この曲は事故死した4歳半の息子を偲んで作った歌なのです。エリック・クラプトンはこの歌を唄うことで息子を失った悲しみを乗り越えました。
クラプトンは映画『ラッシュ』のサントラを担当し、その主題歌としてこれをリリースした。1992年に全米シングルチャート第2位を記録。また1993年にはグラミー賞の最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀ポップ男性歌手賞に選出された。この模様を収録したライブ・アルバム『アンプラグド〜アコースティック・クラプトン』も3つのグラミー賞を受けた。
この曲は、息子の死を悼んで作られた歌である。1986年8月、クラプトンはイタリア人女優ロリ・デル・サント(Lori Del Santo)との間に息子コナー(Conor)を授かる。彼は自分によく似た息子を大変可愛がり、父親としての時間を大切にしたいと述べていた。
しかし1991年3月20日午前11時、当時4歳半だったコナーが母親の自宅の階段を駆け上がっていたところ、たまたま開いていた踊り場の窓から転落して死亡した。自宅は、アパートの53階だった。
彼が再びドラッグと酒の世界に舞い戻ってしまうのでのはないかと多くのファンが懸念したが、コナーに捧げる曲を作ることでその悲しみを乗り越えることに成功した。そして同年、親友ジョージ・ハリスンを十数年ぶりにツアー活動に復帰させ、クラプトンは自分のバンドと共にハリスンのバックを務めることで、音楽シーンに本格的に復帰した。
涙を誘う名曲「Tears In Heaven」 エリック・クラプトン
亡き息子に捧げる名曲「Tears In Heaven」 エリック・クラプトン
もう一つの名曲「Change The World」
こちらも大変有名な名曲「Change The World」。実はこれエリック・クラプトンのオリジナル曲ではなくカバー曲。原曲はアメリカの女性カントリー歌手であるワイノナ・ジャッドが1996年2月にリリースしたアルバムの中に収録されていました。
1996年の映画『フェノミナン』のサウンドトラックに収録されたエリック・クラプトンが歌ったバージョン(ベイビーフェイスがプロデュース)が、グラミー賞の最優秀レコード賞・最優秀楽曲賞・最優秀ポップ男性ボーカル賞を受賞し、RIAAが選んだ世紀の歌では270位にランクされている。
この曲を最初にリリースしたのは、アメリカの女性カントリー歌手であるワイノナ・ジャッドで、彼女が1996年2月にリリースしたアルバム『Revelations』に収録された。アルバムは全米アルバムチャートで最高9位を記録するなどヒットしたが、この曲はシングルカットされなかった。
イギリス出身のミュージシャンであるエリック・クラプトンによるカヴァーは、R&Bプロデューサーで、当時グラミー賞の常連であったベイビーフェイスが、大御所ロック・ミュージシャンをプロデュースしたことで話題となり、楽曲の美しさもあって、シングルは大ヒットした。
ワイノナ・ジャッドのカバー曲「Change The World 」
ワイノナ・ジャッドのカバー曲「Change The World 」 エリック・クラプトンによって大ヒット
日本でも有名な名曲「Change The World 」 ライヴ・ヴァージョン
日本でも有名な名曲「Change The World 」 ライヴ・ヴァージョン
「Change The World 」本家のワイノナ・ジャッド
本家のワイノナ・ジャッドが唄う「Change The World 」 パワフルで鳥肌が立ちます!
他のアーティストとのコラボ曲
卓越したギターのテクニックと哀愁漂うのに力強い歌声は他のアーティストにも大きな影響力があり、沢山のコラボレーションを経験しています。その中から名曲のいくつかをご紹介します。
名曲「It's Probably Me」 スティング feat.エリック・クラプトン
名曲「It's Probably Me」 スティング feat.エリック・クラプトン
UKチャート1位の名曲「Love Can Build a Bridge」
UKチャート1位の名曲「Love Can Build a Bridge」 シェール, クリッシー・ハインド & ネナ・チェリー エリック・クラプトンはギターで参加
「Runaway Train」 エルトン・ジョン&エリック・クラプトン
力強い名曲「Runaway Train」 エルトン・ジョン&エリック・クラプトン
ジミ・ヘンドリックスの名曲「Little Wing」
ジミ・ヘンドリックス名曲「Little Wing」をカバー エリック・クラプトン&スティーヴ・ウィンウッド
エリック・クラプトンは名曲ばかり
洋楽シーンでも邦楽シーンでも最近は後代まで影響を及ぼすようなアーティストが出現しなくなってきました。このような時こそ巨匠エリック・クラプトンの名曲を聴くのはいかがですか。現代でも全く色あせないエリック・クラプトンの名曲の数々に鳥肌がとまらなくなることでしょう。
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