2015/11/27
グリ777
生年月日:1967年7月31日
出身地:東京都
デビュー:1985年
事務所:BMI
1983年(昭和58年)4月、東京都北区の東京成徳短期大学附属高等学校に入学。同年7月に初めて原宿を訪れた際に、少女隊のメンバーを探していたボンド企画のスタッフにスカウトされ、芸能界に入った。
本田美奈子さんの同期には、中山美穂さんや南野陽子さん、浅香唯さんなどがおられたようです。
1985年(昭和60年)4月20日に東芝EMIから「殺意のバカンス」でデビューした。その後、4枚目のシングル「Temptation(誘惑)」をヒットさせたほか、12月7日には新人歌手としては松本伊代、岩井小百合に続いて武道館コンサートを成功させた。また、同年の数多くの新人賞を受賞した。
1990年(平成2年)、ミュージカル『ミス・サイゴン』のオーディションを受け、約1万5000人の中からヒロインのキム役に選ばれた。1992年(平成4年)5月5日『ミス・サイゴン』日本初演。以来一年半のロングランをこなし、その歌唱力、演技力を高く評価された。1992年度第30回ゴールデン・アロー賞演劇新人賞を受賞。
2004年(平成16年)、地球ゴージャス制作のミュージカル『クラウディア』でヒロインのクラウディア役を初演。同年8月29日『N響ほっとコンサート』でNHK交響楽団と共演し「新世界」と「シシリエンヌ」を歌った。11月25日アルバム『時』をリリース。12月1日武道館での『Act Against AIDS』に出演、38度を超える発熱をおして「ジュピター」と「1986年のマリリン」を歌った。この頃からすでに病気の兆候が表れていた。
本田は翌2005年(平成17年)1月12日、急性骨髄性白血病と診断を受けて緊急入院、その翌日にはその事実が公表された。 その後、2度に渡る化学療法を受けるも、寛解(癌細胞が十分に減った状態)は得られなかった
本田美奈子さんの白血病による緊急入院。
このニュースに衝撃を受けた方も多いのではないでしょうか?
白血病との闘いの末、本田美奈子さんはわずか38歳という若さで亡くなられました。
とても残念です。
本田美奈子さんが白血病で亡くなられた後、
数多くのメディアで本田美奈子さんの代表曲として挙げられていた楽曲です。
白血病により本田美奈子さんが2005年に亡くなられて5年後、
水樹奈々さんがこの曲をカバーしました。
今でもよみがえってきます。20年くらい前に観たこのミュージカル。
涙が止まらなかった。本当に力強く心に突き刺さる歌声。
美奈子ちゃんの歌声は一生忘れません。
3ヵ月後に本田美奈子さんは白血病で緊急入院しています。
本田美奈子さんが白血病で緊急入院したことを伝えるニュース
鼻血や歯肉からの出血が止まりにくい、紫斑、点状出血ができるなどの易出血症状
風邪だと思っていたがなかなか熱が下がらないなどの感染症
全身倦怠感・息切れなどの貧血症状
などがある。
白血病で入院中の本田美奈子さん
白血病の中でも様々な種類があるようですが、本田美奈子さんが発症した白血病は、きわめて難しいものだったようです。
7割近い人が10日間1クールの抗がん剤治療で骨髄中の白血病細胞が5%以下になり、一時的によくなった状態である「寛解(かんかい)」に入ります。しかし彼女の場合、1クールの治療で50%も残ってしまった。
2月初旬に2クール目の抗がん剤治療を行いました。
しかし、その結果は18%で寛解に至りませんでした。この数字は先生方の予想をも裏切るほど悪いもので、家族が呼ばれて「これが最後かもしれない」とまで言われました。
とても辛い抗がん剤治療を2度も受けたにも関わらず、白血病は悪化の一途をたどっていたようです。
その後、先生方と治療方針を話し合い、アメリカで開発された新しい抗がん剤を使ってみることになりました。この新薬で効果が出ている人も多いと聞いた美奈子は、再び病気と闘う覚悟をしたようでした。
高熱が続き、口内炎が口中に広がるため、食べるどころか水さえも飲めず、話すこともままならないような状態になりました。
辛い白血病との闘いで精神的にも疲れてしまったであろう本田美奈子さんですが、白血病の新薬のことを聞いて再び元気を取り戻したようです。
しかしそれでも白血病との闘いは過酷を極めていきました。
本田美奈子さんが白血病で亡くなったことを伝えるニュース番組
38歳の若さでの本田の死は社会に衝撃をもって受け止められた。本田の遺志により朝霞で行われた通夜にはファン・関係者合わせて2700人、告別式には3700人が参列した。彼女の公式ファンクラブは多数の要望により没後も存続することになった。
ファンだけでなく、日本中が衝撃を受けた本田美奈子さんの死。
テレビの訃報では「アメイジング・グレイス」を歌うライブ映像が繰り返し流された。また2006年(平成18年)7月から1年間公共広告機構(現:ACジャパン)の骨髄バンク支援キャンペーンに起用され、テレビ、ラジオのコマーシャルでは入院中に病室でア・カペラで歌った「アメイジング・グレイス」が流された。
本田美奈子さんの告別式には、南野陽子さんら本田美奈子さんと親しかった芸能人の方々がたくさん訪れました。
告別式の様子が生中継されたことからかなり注目されていたことが分かりますね。
彼女は急性骨髄性白血病という難病と闘う中で、いろんな人達から励まされ、今まで感じてきた愛よりも、 もっと深い愛を感じるようになりました。
「生きるって素晴らしいな」とこころの底から思うようになりました。そして自分がこの難病を克服して再びステージに立って歌えば、同じ苦しみの中で闘っている人たちにエールを送ることができるとの思いで懸命に生きました。 本田美奈子.には、もう会うことはできません。
しかし、彼女が残した『オモイ』は、今を生きる 私たちが『カタチ』にしてゆかなければならない。私たちは“LIVE FOR LIFE”の活動を通して、命の尊さをすべての人々に伝えてゆこうと思います。この小さな活動がより多くの人を勇気づけ、生きる希望を与えられることを願って。
本田は入院中、他の入院患者とのふれ合いやファンや仕事仲間からの応援メッセージによって励まされていた。そして自らが病気を克服し再び元気な姿でステージに立つことが同じように難病に苦しむ人の希望になると考え、亡くなる半月ほど前の10月19日に難病患者を支援するための活動として“LIVE FOR LIFE”を立ち上げた。彼女の遺志は遺族や友人、関係者によって受け継がれ、現在はNPO法人として運営されている。この“LIVE FOR LIFE”の協賛により本田の追悼イベントが各地で開催されている。
白血病も含め、難病に苦しむ人のために設立されたLIVE FOR LIFE。
現在も活動中です。
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