【華原朋美&小室哲哉】メモリアルブックにて元恋人同士の対談決定!
2021/12/08
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名前:華原朋美
生年月日:1974年8月17日生
血液型:A型
趣味:乗馬
華原朋美さんは学生時代国民的美少女コンテストに応募したことがきっかけとなり芸能界に入ったそうです。
母親が反対したために本選には出場できませんでしたが、それから自宅にスカウトの電話が入ってくるようになり芸能界を意識し始め、高校3年の時に渋谷の吉野家でスカウトされ芸能界入りしました。
芸能界入りしてからは、バラエティのアシスタントやモデルの仕事をしていましたがあまりパッとしませんでした。
名前:小室哲哉
生年月日:1958年11月27日生
出身地:東京都
早稲田大学社会科学部に進学し5年ほど在籍、在学中にプロ・ミュージシャンとしての活動を開始する(哀婉・あのねのね、白竜、原田真二等のバックバンド(キーボードを担当)、SPEEDWAYへの参加等)。
1986年に渡辺美里へ作曲提供した「My Revolution」が、第28回日本レコード大賞金賞。自身の音楽ユニットであるTM NETWORKは、1987年に発表した「Get Wild」で一躍人気バンドとなり、1988年には第39回NHK紅白歌合戦に出場。
小室哲哉さんに見初められ、番組プロデューサを介して小室さんが当時青山で経営していた店「TJM」に呼ばれ、それがきっかけとなって2人の交際はスタートしました。
天使のうぶげというテレビ番組での共演が小室哲哉と華原朋美が知り合ったきっかけとなったようです。
華原朋美はグラビアアイドル時代には、三浦綾香や遠峯ありさの芸名で活動をしてきましたが、小室哲哉と交際をスタートさせてからは、小室哲哉と同じ「T・K」のイニシャルになるように華原朋美という芸名がつけられたそうです。
イニシャルまで同じにするなんてよほどラブラブだったんですね。
しかし当時小室哲哉はアーティストに手を付けたと報道され、「恋人に曲を書いてデビューをさせただけ」と反論していました。
ミリオンヒットとなった華原朋美の「I‘m proud」
小室哲哉と出会うまでは売れないグラビアアイドルだった華原朋美。
売れない時代に小室哲哉に窮地を救ってもらい、一気にトップアーティストとなった華原朋美はさぞかし幸せだったのでしょう。
破局後復帰1作目となった華原朋美の「as A person」
小室哲哉と華原朋美の破局の原因は様々な理由が噂されていますが、真相はどうだったのでしょうか?
破局の原因に迫っていきます!
2人は交際してから半年も経たないうちに関係がぎくしゃくし始めたそうで
『小室哲哉に依存し構ってもらいたい華原朋美』
『小室ファミリーのことで手一杯で構ってられない小室哲哉』
といった感じになってしまい
華原朋美が一方的に突っかかるような形で喧嘩へと発展することが多かったそうです。
華原朋美はかまってちゃんのイメージが強いですから、仕事で忙しい小室哲哉にとって負担になってしまったのかもしれませんね。
そして関係が悪化していった2人は両者とも浮気へ走ってしまい
華原朋美は小橋賢児と、小室哲哉は現在の奥さんであるKEIKOと浮気をし
最終的にそれが決定打となり破局しました。
どうやら小室哲哉は女性にひっぱってもらいたいタイプらしく、甘えたい華原朋美では合わなかったというのも破局の原因だったようです。
華原朋美は失恋のショックから仕事をドタキャンし、過度の薬物依存を繰り返してしまいます。
それを見かねた事務所からついに解雇を言い渡されてしまいました。
華原朋美は大量の睡眠薬を飲んでタクシーに乗車し、病院へ救急搬送されたこともありました。
歌手の華原朋美(40)が約16年半ぶりに、かつてのプロデューサーで恋人だった小室哲哉(56)とのコンビを復活させ、新曲を発表する。5月20日発売の「はじまりの歌が聴こえる」で、小室は作曲を担当。華原にとってはかつての失恋や、精神が不安定になり引退寸前となった過去を完全に清算する、記念碑的作品となりそうだ。
小室哲哉の奥様であるケイコさんを擁護する声が多かったですね。
やはり一度破局をし、その後ボロボロになってしまった華原朋美に対する世間の目はいつまで経っても厳しいようです。
失恋は誰でも体験する出来事ですし、失恋で薬物やドタキャンを繰り返すなどプロとしての自覚のなさが目立ってしまいますので、酷評になってしまっても仕方ないですね。
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