【野球アイドル】あの亀梨和也が高校野球の100年間を振り返る!
2016/08/02
グリ777
アレックス・ラモン・ラミレス(Alexander Ramón Ramírez)
生年月日:1974年10月3日
出生地:ベネズエラ カラカス
身長:180cm
体重:100kg
愛称:ラミちゃん
DeNA選手時代の2013年にNPB通算2000本安打を達成。
NPBの外国人枠適用では史上初の名球会入会選手。
2000年11月〜ヤクルトスワローズ
2003年、4番に座り、打点王・本塁打王・最多安打・ベストナインの各タイトルを獲得。
2007年、外国人選手・右打者としては史上初のシーズン200本安打を達成。
2008年〜巨人
推定年俸は5億円(契約年数2年、総額10億円)。
2009年、全試合で4番、3割30本100打点を達成。
2012年〜横浜DeNAベイスターズ
2014年、2月にベースボール・チャレンジ・リーグの群馬ダイヤモンドペガサスへ。
外野手として入団、打撃コーチ料を含めた推定年俸は500万円だった。
ベネズエラへの帰国を繰り返し、10月現役引退。
“14歳年上の妻”
エリザベスさんは年上妻としてプロ野球ファンの間ではよく知られた存在。
ラミレスさん18歳、エリザベスさん32歳のときに知り合いました。
中学をやめて野球に打ち込んだ青年と大人の女性の出会い
ラミレスさんは、18歳でベネズエラの国内選手権に出場した際、クリーブランド・インディアンズのスカウトの目に留まりチームと契約。
1994年結婚。マイナーリーグ時代からラミレスと生活を支えた
ラミレスさんの収入が見込めない時代、実質的にエリザベスさんが稼いで生活を支えました。
1998年、初のメジャー昇格を果たします。
打撃アドバイスまでできる賢妻
元ソフトボールの選手だったエリザベスさんのアドバイスにより、ラミレスさんの打撃が開眼したといいます。
巨人時代は、当時の高橋由伸(現監督)に代わって4番を任されたのですから、夫人の貢献なくして、ラミレスさんの活躍はありえませんでした。
日本初のプエルトリコ料理レストラン「El Coqui Restaurante (旧店名:Ramichan CAFE)」
店のオープニングパーティーにはベネズエラ大使など多数のVIPが訪問。「飲食店をやりたい」という夫人の夢をかなえた形でした。
2013年2月のオープンから、わずか1年半で閉店
6月に「家族の病気療養に付き添うため」緊急帰国し、翌月復帰したものの、9月4日に再び同じ理由で急遽帰国していました。
経営問題がラミレスさんの現役引退の原因と噂され、10月に引退に至っています。
2015年3月に離婚が成立。
ラミレスさんは、4月に33歳の日本人女性とすぐに再婚したため、不倫が原因と噂されました。
離婚調停で、少なくとも3人の女性との不貞行為が明らかになったと言われています。
女性関係は派手だったようで、母国ベネズエラやアメリカ、日本に何人も愛人がいて、自身の飲食店オープン記念に愛人を呼んだり、風俗へも足しげく通っていたそうです。
離婚調停で元妻に明らかにされた過去
2008年、ヤクルトの選手時代にグリーニーという違法薬物を使っていたと、元妻から暴露されました。
元妻エリザベスさんがフェイスブックで離婚を報告
2014年5月にラミレスさんが家を出て行って以来、会っていないということでした。
「私の今までの結婚生活がひっくり返り、心が粉々に砕け散った出来事が発覚しました」
元妻はラミレスに性病をうつされていた
2014年、エリザベスさんは、性病の1つであるクラミジアにかかったことが発覚したそう。
夫を問い詰めると、その頃ラミレスさん自身もクラミジアの病気治療中だったことが分かり、複数の不倫相手の存在が明らかに。
いつでも楽観的な「ラミちゃん流」では収まらない事態になったようです。
財産10億円の96%、9億6千万円を元嫁に渡した
元妻への“慰謝料”の多さが、離婚の原因がラミレスさん側にあったことを物語っています。
しかし、ラミレスさんは離婚について一切語らず、金額の多さは元妻への愛情とも言われています。
離婚後約1カ月でラミレス再婚!
この電撃再婚が、不倫が離婚の原因と言われた理由です。
今回のお相手は日本人の嶋津美保さん、33歳。
報告会見では、「新たなパートナーと次のステップに向かっている。すごくすてきな女性だよ。しっかり守っていきたい」と“ラミちゃんスマイル”全開。
ラミレスは家族想いで有名だったため、離婚原因に誰もが首をかしげた
離婚成立後すぐに再婚、ネットでは様々な噂が流れ、元妻エリザベスさんが離婚について語り、一番の原因は不倫とされる発言をしました。
ラミレスさん本人が何も語らないため、本当の離婚の原因はわかりません。
ポジティブ思考のラミレスさんは、次にプロ野球の監督を目指しました。
ラミレスの夢「日本のプロ野球の監督」
2015年10月、DeNA球団がラミレスさんの一軍監督就任を発表。
同球団初の外国人監督であり、日本球界初となるアメリカ人以外の外国人監督となりました。
現役時から「日本のプロ野球で監督をやってみたい」と公言していたラミレスさんの夢が叶いました。
派手なパフォーマンスは封印
選手時代は、芸人の真似をしてファンを喜ばせていたラミレスさんも、監督となったら一歩引く構え。
あくまでも選手を全面に、自分は裏方に徹する覚悟です。
ラミレスが監督の条件を満たした理由
・2012年〜2013年、横浜DeNAベイスターズに所属していたこと。
・中畑監督の元でプレーしていたため、チームの流れを組むことができること。
2017年の続投も決定
2016年8月末、残り22試合を残して、DeNAのアレックス・ラミレス監督の来季続投が決定。
2年契約を結んでいることも踏まえ、球団は8月末時点で3位という現状や、統率力を高く評価し、最終的な順位に関係なく続投を決めました。
ラミレス監督は、現在、球団初のクライマックスシリーズ(CS)進出を目指しています。
2010年4月、孫が誕生していた!
ラミレスさんは、30代で既に“おじいちゃん”になっていました。
元妻の連れ子(長男)に子供が生まれていたのです。
エリザベスさんも、自身も、お互い子連れ再婚だったラミレスさん。
既に2人のお孫さんがいるというからびっくりです。
ラミレスには何人子供がいる?
実は、ラミレスさんと元妻エリザベスさんの間には1人も子供はいません。
エリザベスさんの連れ子の息子が2人、ラミレスさんの連れ子の息子が1人、計3人の息子がいました。
またも男児誕生!「ラミちゃんの生き甲斐」
ラミレス監督と再婚相手の美保夫人との間に産まれた息子さんとのツーショット写真です。
婚姻届けを出す2日前に、再婚相手が出産したことも判明、つまり、“授かり婚” だったというわけです。
同時に、誕生したお子さんがダウン症であることも公表しました。
子供さんの病気を公表したラミレス監督は、自身の息子についても前向きに考えているようです。
「彼が笑いかけてくれることが自分のエネルギー源」と言っています。
元妻エリザベスさんは日本に残った
離婚後、エリザベスさんは家族の理解も得て、日本に住み続けることを決心したようです。
いつも明るいラミレスさんには、意外に複雑な離婚劇がありました。
DeNAファンとしては、プライベートはさておいて、本業にまい進してほしいところです。
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