2016/08/04
onozawa
1931年に福岡県中間市の裕福な一家に生まれた高倉健さん。
高倉健さんの父は旧海軍の軍人で、炭鉱夫の取りまとめ役などをしており、母親は教員だった。
幼少期の高倉健さんは、肺を病み、虚弱だったそうです。
日本を代表する俳優、高倉健さんのプロフィールを見てみましょう。
たかくら けん
高倉 健
本名 小田 剛一 (おだ ごういち)
生年月日 1931年2月16日
没年月日 2014年11月10日(満83歳没)
出生地 福岡県中間市
死没地 東京都
身長 180 cm
血液型 B型
職業 俳優・歌手
ジャンル 映画・テレビドラマ・CM
活動期間 1955年 - 2014年
配偶者 江利チエミ(1959年 - 1971年)
俳優、高倉健さんが死去したのは、2014年11月10日午前3時49分。
高倉健さんのあまりに突然の死去の知らせに、日本中が驚き、その死を悲しみました。
高倉健さんの過去に出演された作品と受賞された賞は以下の通りです。
主な作品
『日本侠客伝シリーズ』
『網走番外地シリーズ』
『昭和残侠伝シリーズ』 / 『新幹線大爆破』
『八甲田山』 / 『幸福の黄色いハンカチ』
『野性の証明』 / 『南極物語』
『ブラック・レイン』 / 『鉄道員(ぽっぽや)』
『あなたへ』
受賞
日本アカデミー賞
最優秀主演男優賞
1977年
『幸福の黄色いハンカチ』 / 『八甲田山』
1981年
『動乱』 / 『遥かなる山の呼び声』
1982年
『駅 STATION』
2000年
『鉄道員(ぽっぽや)』
ブルーリボン賞
主演男優賞
1977年
『幸福の黄色いハンカチ』 / 『八甲田山』
1999年
『鉄道員(ぽっぽや)』
その他の賞
モントリオール世界映画祭
主演男優賞
キネマ旬報賞
主演男優賞
1977年
『幸福の黄色いハンカチ』 / 『八甲田山』
1999年
『鉄道員(ぽっぽや)』
高倉健さんの死去が「あなたへ」の次の作品を準備している最中の出来事で、映画の完成を待たずして死去した高倉健さんに心残りは無かったのでしょうか。
1960年代の任侠(にんきょう)映画で支持され、「幸福の黄色いハンカチ」などで知られた日本映画を代表する俳優の高倉健(たかくら・けん、本名小田剛一=おだ・ごういち)さんが10日午前3時49分に悪性リンパ腫のため都内の病院で亡くなった。83歳だった。2012年の主演映画「あなたへ」以来の新作映画の準備中に体調不良で入院し、治療中だった。高倉さんの遺志で近親者のみで密葬を済ませた。
なぜあれだけの大物俳優、高倉健さんの葬儀が近親者のみの密葬で済まされたのでしょうか。
何か死去された高倉健さんに自分の葬儀に対する考えや特別な思いがあったのでしょうか。
この文面から、俳優、高倉健さんの容態が急変したことがとてもよくわかるのですが、死去された高倉健さんが次の映画の準備中であったにもかかわらず、最期は生ききった安らかな笑顔だったということは、死去された高倉健さんの人生が、最後まで俳優として存分に生きた人生だったから思い残すことがなかったのでしょうね。
あまりに突然の訃報だった。高倉さんの個人事務所「高倉プロモーション」がこの日正午前に高倉さんの死去を伝えるファクスをマスコミ各社に送った。
「映画俳優高倉健は、次回作準備中、体調不良により入院、治療を続けておりましたが、容体急変にて10日午前3時49分、都内の病院にて旅立ちました。生ききった安らかな笑顔でございました」と亡くなるまでの状況を説明した。
死去された俳優、高倉健さんの安らかな笑顔が目に浮かびます。
高倉健さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
死去された高倉健さんが親しい人にも闘病していたことを伝えていなかったのはなぜなのでしょう。
病名は悪性リンパ腫。入院したことは親しい人にも伝えずに闘病していた。書面には「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」との高倉さんの座右の銘も添えられていた。この言葉は、天台宗比叡山延暦寺の大阿闍梨(あじゃり)の酒井雄哉氏と対談した時に酒井氏から贈られ、大事にしていた。過酷な撮影が予想される映画「南極物語」の出演依頼に、高倉さんは「この言葉を阿闍梨さんにいただいて、『南極物語』をやろうと決めました」と語ったこともある。
死去された俳優、高倉健さんは、日本を代表する超大物俳優、高倉健として生き、死んで行くことを望まなかったのかもしれませんね。
だから入院し、闘病していたことを親しい人にも伝えず、葬儀も近親者のみの密葬だったのかもしれません。
マスコミに大々的に報道されることを望まず、一人の人間、高倉健として生き、ひっそりと死んで行きたかったのかもしれません。
死去された高倉健さんが侵されていた悪性リンパ腫とは一体どのような病気なのでしょう。
◆悪性リンパ腫 免疫の働きを担当するリンパ組織にできる悪性腫瘍。人間の体内には血液とリンパ液の2種類の液体が流れている。リンパ液は白血球の一種で、体内に入った病原菌や異物に対処する働きがある。リンパ組織などに悪性腫瘍ができると、免疫機能が低下していく。世田谷井上病院の井上毅一理事長は「リンパ組織は、首の下、脇の下、乳房、鼻の穴、へんとうなど全身にあり、脾臓(ひぞう)もその1つ。発熱、だるさ、リンパ組織が腫れるなどの症状があります。悪性リンパ腫の疑いがある場合、組織検査で診断します。主な治療方法として、抗がん剤投与などの化学療法、放射線療法、骨髄移植などがあります。
死去された高倉健さんの病気、悪性リンパ腫というのは、いわゆる血液の癌と呼ばれているもので、リンパ系組織は全身を巡っているため、肉腫及び癌腫の癌とは異なり、外科手術による切除は行わず(但し、腫大による圧迫などを緩和するため姑息手術を行うことはある)、主に放射線療法および化学療法を適応するのだそうです。
死去された高倉健さんは、入院していた病院のスタッフの方達からも愛されていたようです。
高倉健さんの人柄が窺える話ですね。
高倉さんは入院中も病院スタッフに愛されていた。遺体が病院を出る際には、治療に携わった病院スタッフが出口にそろい、涙を流しながら見送ったという。高倉さんの遺志に従い、すでに近親者のみで密葬を済ませており、書面には「今は、おひとりおひとりの心の中に宿る故人の笑顔に、静かに祈りをささげていただけますことを願っております」とつづられた。
死去された高倉健さんの優しい笑顔とその人柄を思うと涙が出てきます。
きっと死去された高倉健さんは、入院していても多くを語らず、苦しくても不平不満をもらさず、最後まで病院のスタッフの方達のことを思いやり、感謝しながら天国へと旅立たれたのではないでしょうか。
死去された高倉健さんの言葉から、高倉健さんがいかにこの国を愛し、この国に生まれたことに感動しながら生きて行きたいと望んでいたかがわかりますね。
高倉さんは12年に前作「単騎、千里を走る。」から6年ぶり205本目の「あなたへ」を公開。同年の「日刊スポーツ映画大賞」で主演男優賞を受賞した。13年11月には文化勲章を受章し、皇居での親授式にも出席した。その際に「この国に生まれて良かったと思える人物像を演じられるよう、人生を愛する心、感動する心を養い続けたいと思います」と次回作への意欲も話した。
本当に206本目の次回作も見てみたかったですよね。
残念ではありますが、死去された高倉健さんがご自分の人生に十分満足されて旅立たれたのですから、それは言わないことにします。
きっと死去された高倉健さんは天国で、次回作を演じているに違いありません。
だって、先立たれた偉大な監督さんや俳優さん達が天国で待っておられるのですから。
実際に206本目の準備は進んでいた。メガホンを取るのは「あなたへ」と同じ降旗康男監督(80)。今年8月には高倉さん、降旗監督、東宝プロデューサーらが集まり、打ち合わせも行っていた。親子を主人公にした感動物語で、脚本も完成していた。来春から撮影も始まる予定だった。
ちなみに、この次回作は引き続きどなたか別の俳優さんを据えて撮影が開始されるのでしょうか。
どうなのでしょうね。
この「健康家族」のCMは、高倉健さんが死去されてからしばらくTVで流れていましたよね。
まだ高倉健さんが生きているかのような錯覚に陥ったのを覚えています。
高倉さんは日ごろからジムに通うなど撮影に備えて体のケアを怠らなかった。8月に高倉さんの姿を見た自宅近所の住民は「やつれてもいなかったし、普段と変わらなかった」と話した。同時期に高倉さんは健康食品通販「健康家族」のCM撮影にも出演していた。宮崎県内にある農場で数日間の撮影だったが、高倉さんは山道もすたすたと登り、休憩中も1度も座ることなく、元気な様子だったという。しかし、人知れず闘ってきた悪性リンパ腫によって突然、天に召された。映画を通じ、「耐えて」「しのぶ」男の美学を体現し続けた高倉さん。その姿を、206本目で見ることはかなわなかった。
高倉健さんが死去されてからしばらくの間は、本当に亡くなったという実感が持てませんでしたが、やはりこのCMの撮影時は、まだお元気だったのですね。
本当に急に亡くなられたのだと思います。
日本の俳優、高倉健さんのご冥福を心よりお祈り致しております。
長い間、TVやスクリーンの中で私達を楽しませて下さり、本当にありがとうございました。
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