【読売ジャイアンツ】坂本勇人の結婚はいつ?噂の彼女とは破局!?
2021/12/02
sakurayuzu
野田秀樹
生年月日:1955年12月20日
出身地:長崎県西海市崎戸町
職業:俳優、劇作家、演出家、多摩美術大学教授、東京芸術劇場芸術監督
1972年、高校2年生の時に処女戯曲『アイと死をみつめて』を発表。
1976年、東京大学演劇研究会を母体に劇団夢の遊眠社を結成。
1983年、『野獣降臨』(のけものきたりて)で第27回岸田国士戯曲賞を受賞。
1986年、劇団夢の遊眠社の看板女優、竹下明子と結婚。1年で離婚。
1989年、目の血管が詰まる病気が原因で右目を失明。
2005年、歌手の藤田陽子と2回目の結婚。1児をもうける。
竹下明子
生年月日:1959年6月6日
出身地:東京都
職業:女優
星座:ふたご座
干支:亥年
所属:アクトレインクラブ
学歴:明治学院大学中退
元劇団夢の遊眠社所属。1980年の旗揚げ時から1992年年の解散まで主演女優として活動。
日本舞踊善川流名取。
1986年、劇団主宰の野田秀樹と結婚したものの1年ほどで離婚。
唐十郎が李礼仙にある意味拘束され、
戯曲の世界を狭めてしまったように、
野田秀樹も竹下明子の存在に、
自分の戯曲の世界を制限されてしまったのです。
1980年以降、1992年の劇団解散まで、
一貫して(一部の例外はあるものの)
ヒロインを務めたのが、竹下明子です。
野田秀樹も唐と同様に、
ヒロインの竹下明子と結婚するのですが、
それ以降野田戯曲は輝きを失い、
結果として1992年に遊眠社は解散し、
野田は逃れるようにイギリスへ留学。
竹下明子とは離婚します。
(離婚の)理由としてはっきりしたものは公言されていませんが、劇団の影響が大きかったようです。
劇団は有名になるにつれ、自分が行わないといけないプロデュース業に疑問を持ち始め徐々にその影響は作品にも出始めていきます。
当時、竹下さんとお付き合いしている頃でこの頃、こうした劇団に対する野田さんの考えと竹下さんの考えにすれ違いが出始めてたのではというのが理由になっているようです。
劇団夢の遊眠社を主宰していた野田秀樹さんと看板女優であった竹下明子さん。
野田秀樹さんにとって、竹下明子さんという才能ある女優は特別な存在だったのでしょう。
それがいつしか結婚という形になりました。
しかし1年での破局と劇団の解散。
野田秀樹さんにとって、この結婚は劇団夢の遊眠社の衰退と共にあったと言っていいのかもしれません。
大竹しのぶ
生年月日:1957年7月17日
出身地:東京都
血液型:A型
職業:女優、タレント
1973年、ドラマ『ボクは女学生』にて、フォーリーブスの北公次の相手役に応募し合格。芸能界デビューを果たす。
続けて、映画『青春の門(筑豊篇)』、NHK朝の連続テレビ小説『水色の時』のヒロインで注目される。
その後も実力派女優として活躍を続ける。
1982年、TBSのドラマディレクターの服部晴治と結婚し1985年に長男出産。
1987年、服部が死去。
1988年、明石家さんまと2回目の結婚。
1989年、長女IMALUを出産。
1992年、長男とIMALUの親権を大竹が持つかたちで離婚。
IMARU - 大竹しのぶの娘
生年月日:1989年9月19日
本名:大竹 いまる
出身地:東京都
血液型:A型
所属:株式会社リトルトウキョウプロダクション
1989年9月19日、お笑いタレントの明石家さんまと女優大竹しのぶの娘として誕生。
2009年6月、ファッション誌『Zipper』でモデルデビュー。
同年10月、ドラマ『リアル・クローズ』で主演香里奈の妹役で女優デビュー。
同年11月、ユニバーサル ミュージックから歌手としてメジャーデビューが正式発表。
2010年1月、シングル『Mashed potato』で歌手デビュー。
二人は「真夏の夜の夢」という舞台で知り合ったそうでそこから熱愛に至ったそうです。
ただ、実は大竹しのぶさん、さんまさんと離婚する前からすでに野田さんと不倫関係だったそうです。
さんまとは92年に離婚。この間、舞台『真夏の夜の夢』を演出した野田秀樹(55)との不倫が発覚した。さんまが「真夏の夜の悪夢だ!」と発言したのはあまりに有名。90年代には野田と5年間も内縁関係に近い同棲生活を送ったが入籍はしていない。
舞台で知り合った野田とは数年間同居生活を送っていたが、現在でも「一緒に仕事をしたりとか、一緒にご飯を食べる」仲だという。破局後も仲間として付き合いが続いていることについて、大竹は野田氏の現在の妻の理解があってのことで成立していると語った。
不思議なのは、別れた男とこじれないことだ。現在でも「野田さんには感謝している」と自著やテレビで述べている。さんまと大竹はテレビ番組などで互いに結婚生活のことをネタにしている。そこに女優の“魔性”が潜んでいる。(芸能評論家・肥留間正明)
大竹さんのお母さんの結婚に対する反対が大きかったそうです。
大竹さんは野田さんと同棲する時点ですでにバツ2で二人のお子さんもそれぞれお父さんが違いました。
もし野田さんとの間にお子さんが生まれれば、3人とも父親が違う兄弟になり兄弟仲が懸念される。
そういったことからお母さんは結婚に反対され大竹さんと野田さんは結果、破局したようです。
「大竹は男性の才能に惚れるタイプ。野田氏も大竹の女優としての才能に惚れていた部分が強かったから、別れた今も、仕事を通じて交流できるのでしょう」(演劇関係者)
一見、奔放な男性関係だが、
「男に溺れるのではなく、最初の夫からはドラマを学び、さんまから笑いを、野田から舞台の魅力を教わって、着実にステップアップしてきた希有な例」(テレビ関係者)
「両親が離婚したのは私が2歳の時なんです。そのあと野田秀樹さんと同居していて、自分の父親とは違う男性と一緒に住んでいたわけですけど、幼稚園のころから5年間ほどなんで、受け入れてました。父親(さんま)とも会える機会がずっとあったので、それがあるとないとでは全然違いますね」
IMALU、「母の恋」に悩んだ過去を語る
「IMARUちゃんが小さい時、誰もが最もかわいらしかった時代っていうんですか、そういう時代にちょっとでも暮らせたことが私は今でも幸せだったなと思っています」
IMARUさんも当時を振り返りこう話しています。
「野田さんがこう思ってくれてたなんて本当にうれしいです!当時はいっぱいお父さんがいて本当に楽しかった」
野田さんに対しても父親の顔を重ねているようで今でも交流があるそうです!
ここでもまた野田秀樹さんは「才能ある」女優を愛することになります。
結婚することはありませんでしたが、野田秀樹さんにとっては、家族を持つ「結婚」の形に近しい意味を持つ交際期間だったと思われます。
天才と天才がめぐり合いお互いを尊敬しあう関係・・・。
なんとも高尚な恋愛関係のように思われますが、実は天才と天才が一緒になることで穏やかな家庭を築くことは難しいことなのかもしれません。
藤田陽子
生年月日:1980年6月10日
出身地:奈良県
職業: 女優、モデル、歌手
所属:ユマニテ
趣味:日本舞踊、ギター、特技:書道(6段)、着付け、バレーボール。
1997年、歌手として「Laugh and Peace」にボーカルとして加入。
1999年、シングル「ちょっときいてな」でデビュー。
モデルとしても『SEDA』『soup』などのファッション雑誌で活躍した。
2004年、映画『犬猫』で榎本加奈子とダブル主演を果たした。
2005年、演出家の野田秀樹と結婚。
劇作家・演出家の野田秀樹氏(50)が、女優藤田陽子(25)と昨年12月12日に結婚したことが7日、分かった。
野田氏によると、昨年春に知人の紹介で知り合って交際を始め、12月20日の50歳の誕生日を前にした12日に婚姻届を提出したという。
藤田陽子さんは1980年6月10日生まれなので
なんと!!野田秀樹さんとは25歳もの年齢差があるんですよね
芸能人の年齢差結婚は多いですが野田秀樹さんに関してはメディアで
あまり騒がれたようなイメージがないですよね
25歳差の結婚相手となった藤田陽子さん。
歌手であり女優である美しい女性です。
53歳にして第一子を授かった野田秀樹さん。ついに野田秀樹さんも幸せな家族を持つことができました。
1回目の結婚相手である竹下明子さん。その後、同棲していた大竹しのぶさん。
このおふたりに共通するのは、頭が良く才能溢れる女優であったことです。
ある意味、野田秀樹さんは女性の外見の美醜や内面というよりはその「才能」に惚れ込む人なのかもしれません。
最終的に結婚に至った2回目の結婚相手である藤田陽子さんも女優でありとても美しい方ですが、前述のおふたりに比べると極めて「普通」の女性のような印象を受けます。
天才であるが故に、同じような天才に惹かれるのかもしれませんが、案外「普通」で「平凡」な幸せこそ貴重なのかもしれませんね。
今後も「天才」野田秀樹の活躍に期待です。
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