記事ID15661のサムネイル画像

    hideの第一発見者は婚約者だった!?彼女はどんな人物だったのか

    今なお世界から支持を受けるカリスマギタリストhide。独自の世界を築き上げ圧倒的なカリスマ性を持つhideさんは今から17年前突然この世から去りました。実はhideさんには当時同棲していた婚約者がいたそうです。hideさんを支えた婚約者とはどんな方だったのでしょうか?hideさんの歴史と婚約者をまとめてみました。

    婚約者がいたらしい!?hideのプロフィール

    hideのプロフィール

    本名 松本秀人(まつもと ひでと)
    1964年12月13日生まれ
    神奈川県横須賀市出身
    逗子開成高等学校卒
    ハリウッドビューティ専門学校卒
    1998年5月2日死去

    KISSとの出会いがhideをミュージシャンの世界へ

    今もなお活躍し続ける「KISS」
    ももクロとのコラボでも話題に

    小学生時代は肥満児だったせいか余り友達も少なく外に出て行く子供ではなかったという(本人いわく「デブで運動も出来ないくせに何か理屈っぽいイヤなガキ」)。だが中学生の時にKISSと出会い大きく変わる。祖母にねだってレスポールを買ってもらい、高校生の時には20kgのダイエットにも成功。引きこもりがちだった性格も段々社交的になっていった。高校卒業後はバンド「サーベル・タイガー」でプロのミュージシャンを目指す。

    出典:http://www.geocities.co.jp

    横須賀サーベルタイガー解散後、1987年初めに当時のXに加入。PATAも加わって、メジャーデビュー時のメンバー構成になり、ほとんどの楽曲でリードギターを担当した。また、一部曲の作詞および作曲も担当。ライブ等でも独自の派手かつ奇抜なパフォーマンスやビジュアルで、YOSHIKIとはまた一味違う存在感を放った。他のメンバーがビジュアル・メイクを止め、徐々に素顔を見せるようになる中で、HIDEだけは「ファンからどう見られるか」に徹底して拘り、ヘアースタイル、ステージ衣装にビジュアル性を重視し、独自の個性を貫き続けた。
    1993年からはソロ活動も始め、作詞、作曲、ボーカル、ギター、ベース(一部曲)、プロデューサーなど、ほとんどの役割を担った。
    X JAPAN解散後のソロ活動は、hide with Spread Beaver名義で行っている。hideとツアー・メンバーによる一つのバンドに近い形態であり、hide曰く「沢田研二とエキゾチックスみたいな感じ」だという。さらに、海外のミュージシャンとzilchを結成し、アメリカ・デビューも目論んでいた。マリリン・マンソンからは「前座でいいからやらせてくれ」「その代わり、アメリカを周る時は一緒にやろう」と対バンを申し込まれたりもしていた(宝島社著「hideDAYS」松本裕士インタヴューより)。

    出典:http://ja.wikipedia.org

    hideなくしてはXJAPANは成り立たないと言われるほど、hideさんの存在はメンバーやファンにとって大きなものだったそうです。
    hideさんは当時から美意識の高さを感じられますね!
    hideさんはファッションセンスにも定評があり、今でも古さをまったく感じさせません。

    hideの伝説・エピソード

    hideの先見性

    生前hideが『あと何年かすれば音楽は携帯電話で聞くものになる』と語っていたということ。中高生の間で着メロが流行りだした時期に、彼は2000年から先、音楽が“配信”されるようになるという未来を見据えていたんですね。そのhideの言葉を受けて、当時のスタッフにいち早く着メロの会社を設立した人間もいました」(レコード会社関係者)

    出典:http://news.livedoor.com

    音楽への独自のこだわり

    自らの音楽を「サイボーグロック」と称し、いち早く機械と人間の作る音楽を融合させた。そんなhideの音楽の根底にあるものは「ロックをやろうとしたって歌謡曲で育った日本人」という歌謡ポップ性である。最先端のサウンドを取り入れながら独自のポップセンスで昇華させていく。自己顕示欲や音楽性探求からマニアックなところへ行くのではなく、それをヒットチャート上でやらなければ意味がない、みんなが解るものをやるという確固たるこだわりを持っていた。

    出典:http://realsound.jp

    hideは人を驚かすことが好き

    「彼は一言で言うと、音楽で楽しませることもあるけど、なにより『人をビックリさせるのも大好き』な人。あるコンサートでぬいぐるみに入って、ステージじゃなくてフロアから突然登場するシーンがあったの。それが、途中でお客さんにぬいぐるみの中にいるのがhideちゃんだということがわかっちゃった。彼はものすごいガッカリして、そのままステージを降りて、楽屋に何十分もこもってしまって。『ずっと前から企画してたのに……』って、スタッフに怒鳴り散らしてた。けど、最後には『みんなチケット代を払って見に来てくれてたのに』って考え直して、ステージを再開したの。事故の時も『またみんなをビックリさせちゃって、こら!』と思った」

    出典:http://news.livedoor.com

    LEMONed(レモネード)とは

    音楽のみならず、アート、グラフィック、ファッション……「良い」と思ったモノや人を集めた“おもちゃ箱”と言っている。「コワいい(コワくてかわいい)」をコンセプトにブランドショップとして1996年、表参道にLEMONed SHOPをオープン。1Fは洋服や雑貨の販売、2Fはヘアーカットショップになっており、ロックから発生するファッション全般を発信するという、美容師免許を持っていたhideらしい発想の店だ。「“hideプロデュース”とつくとカッコ悪いから」と自分が上に立つのではなく、あくまで「LEMONedの中にhideがいる」というスタンスを貫いていた。

    出典:http://realsound.jp

    hideはキャッチーでありながらも独自のスタイルを貫き、エンターテイナーとしての才能をフルに
    発揮していきます。LEMONed所属のアーティストによるライブを中心にファッションショー、Xスポーツなどを盛り込りこむという当時では新しいスタイルのイベント「LEMONed presents hide Indian Summer Special」を開催、しかも野外フェスがまだ日本では浸透していない時代に浜辺での演奏を取り入れるなどしたそうです。そしていちはやく自身のHPやブログBBSを運営するなど時代の先端を走るhideの先見性は本当に凄いものですね!

    難病の少女との交流で見せるhideの人柄

    hideは「GM1ガングリオシドーシス・タイプ3」という難病と戦う少女と出会います。
    きっかけは、難病の子供達の夢をかなえてあげたいという気持ちからアメリカで生まれた、骨髄移植を支援する団体「メイク・ア・ウィッシュ」から少女の母親が手紙をもらったことが始まりで、hideの大ファンである娘の夢が「一目でいいからhideに会うこと」ということを知っていた母親が団体に電話をしたそうです。団体からhideに連絡をとると快諾をしてくれて、それから約束していた年末のコンサートで初めてhideと会う夢を叶え、それから交流が始まったそうです。
    やっと行うことが出来た骨髄移植手術後に少女は拒絶反応を起し、心臓と肺に水が溜まり生死をさまよいます。症状を聞いたhideが駆けつけてくれて危篤状態の少女を2時間も見守ったそうです。そして奇跡的な回復を見せた少女は無事退院することができました。

    彼女はhideが亡くなったと聞いたときとてもショックで何度も死のうとも考えたそうですが、hideの悲しむことはしたくないと考えたそうです。

    カリスマギタリストhideの突然の死

    hideの告別式には約2万5千人の人が
    訪れたそうです

    1998(平成10)年5月2日、6:30、元「X JAPAN」のギタリスト・hide(本名:松本秀人:33)は実弟でマネージャーの松本裕士と一緒に東京・港区南麻布2-1-21ノアーズアーク南麻布マンション301号の自宅へ帰宅した。酒に酔っていた。約1時間後、同棲中の女性がドアノブにタオルを巻き付け、床に座った状態で縊死しているhideの姿を発見した。その後、病院に搬送されたが、8:52に死亡が確認された。遺書はなかったが、警察は自殺と断定した。

    出典:http://23.xmbs.jp

    後追い自殺が問題に

    「hideが自殺」という報道がされたため、熱狂的ファンの一部の後追い自殺が相次いだそうです。
    そのため警察庁からの要請で、XJAPANのメンバーが自殺を思いとどまるよう記者会見で訴えました。
    当初は自殺という報道でしたが、現在は自殺ではなく事故の可能性高いと言われています。
    そして、hideさんの死亡報道により明らかになった、婚約者と言われる女性の存在。

    hideには婚約者がいた?

    婚約者はスタイリスト?

    hideさんには同居していた女性がいました。
    婚約者と言われる彼女はhideさんのスタイリストをしていたそうです。
    hideさんが亡くなったあと最初に発見したのがこの婚約者の方だと言われています。
    婚約者さんは目の前で亡くなっているhideさんを見て相当ショックを受けたのではないでしょうか。
    hideさんと婚約者さんは付き合いも長かったようで、ファンも公認の仲のようです。

    婚約者と言われる女性「高橋恵美さん」とは

    モード学園出身のスタイリスト。hide、GLAY、DIR EN GREY、摩天楼オペラなど、90年代から10年代まで継続してメジャーヴィジュアル系バンドの衣装製作を担当。「ビジュアル系」のイメージ形成に大きく貢献している。自身のブランド「ERECTRIC」でも活動。

    出典:http://www.drillspin.com

    hideさんの数々の衣装を手がけた、婚約者さんはとてもスゴイ方ですね!きっと婚約者さんのセンスのよさにhideさんも魅力を感じたのではないでしょうか?衣装というのはそのアーティストのイメージを作りますよね!hideワールドにぴったりなスタイルを作り上げた婚約者さんは素晴らしい方だと思います。

    親族の計らいで「婚約者」に

    親族の方が「一緒にいたのは婚約者」と、言ったので婚約者と報道されましたが、
    実際は婚約はしていませんでした。

    この、高橋さんはHIDEの葬式のメイクもしていて、
    HIDEが亡くなり精神的に落ちた彼女ですが、現在は、ほかの方と結婚されているようで
    幸せにどこかで暮らしているそうです。

    出典:http://yassan0626.blog.so-net.ne.jp

    hideさんの親族の計らいで婚約者とし、親族同様に葬式に参加でいきたという話だそうです。
    付き合いが長いほど、婚約者と言われた彼女の精神的ショックは計り知れないですよね。
    ファンの後追い自殺のように、婚約者と言われた彼女が同様のことにならなくて良かったですね。

    hideの衣装&ギター写真集が発売

    「hide Closet Collection」
    元婚約者さんならではの監修に
    注目ですね!

    hideの元婚約者、高橋恵美さんが監修

    今なお絶大なる人気を誇るロックミュージシャンhide(X JAPAN)。彼愛用のコスチュームやギターなど数百点にも及ぶ貴重なアイテムに焦点をあてた永久保存版写真集『hide Closet Collection』を、ファッションデザイン学科の卒業生で現在モード学園教師の高橋恵美氏が監修を務めました。

    高橋氏は、hideのほかGLAYやL’Arc-an-Ciel、SUGIZO(X-JAPAN/LUNA SEA)、摩天楼オペラ、jealkbなど、現在まで多数アーティストのスタイリングを担当。アーティスト固有のスタイルを衣装制作を通じてアプローチする表現方法で、業界で高い評価を得ているスタイリストです。

    今回、hideの2013年「ソロ活動20周年」と2014年「生誕50周年」を記念して、X JAPAN時代からソロ活動に至るまでスタイリングやコスチュームデザインを手がけた高橋氏が、長年にわたって保管されていた衣装を再撮影し、本書籍を監修しました。衣装撮影の際には、当時hideに手がけたスタイリングを再現。また、代表的アイテムの解説をhideとのエピソードとともに紹介しているほか、hideを愛するアーティストとの対談など、高橋氏監修ならではの内容となっています。

    出典:https://www.mode.ac.jp

    婚約者と言われた方により監修された書籍、気になりますね!
    亡くなってからもなお、節目などに関連商品が発売されるhideさんの存在はまだまだ色あせることがありませんね。

    hideは永遠に元婚約者やファンの心の中に・・・

    伝説のロックバンドXJAPANのギタリストhideさんの婚約者と言われた方は、公私共にhideを支える存在だったんですね。元婚約者の彼女は現在別の方と結婚し幸せに暮らしているそうですが、もしhideさんと結婚をし子供がいたらどんな家庭を築かれたのでしょうか。
    33歳というあまりにも早い死、生きていたらもう50歳なんですね!とても惜しい存在です。
    hideさんの冥福を祈りながら、元婚約者の彼女の活躍にも注目していきたいですね!

    関連する記事

    この記事に関する記事

    TOPへ