2016/08/22
chocolata
息子を亡くした草刈正雄
草刈 正雄(くさかり まさお、1952年9月5日 - )は、日本のモデル・俳優・歌手・司会者。福岡県小倉市出身。身長185cm、血液型O型[1]。左利き[2]。ブルーミングエージェンシー、バービィオフィス所属。東京都立青山高等学校定時制卒業、放送大学教養学部修了。
息子を亡くした草刈正雄
福岡市で開催されたファッションショーを観に行った際スカウトされ、17歳で上京、高校も東京都立青山高等学校定時制に転校[6]。東京都立青山高等学校卒業。放送大学教養学部修了。
1970年にCMディレクター・杉山登志に起用される形で資生堂専属モデルとなり、MG5のCMで団次郎の弟分としてデビューし売れっ子モデルとなる[7]。デビュー当初から甘いルックスと軽快な語り口で人気を得る。2年余りのファッションモデル時代を経て、野中マリ子の俳優養成所「野中塾」で演技を学び、俳優へ転向する。
息子を亡くした草刈正雄
父の死後、母が父の写真を全部処分したため、父の顔は知らないという[4]。
1977年のテレビドラマ『華麗なる刑事』で共演したモデルの大塚悦子と9年の交際の後、1988年12月31日に結婚。1男2女の父となる。映画『汚れた英雄』でライバル役で共演した勝野洋と飲んでいるとき、勝野に結婚を勧められ、その場で電話でプロポーズし翌日婚姻届を提出した。婚姻届の保証人は勝野だった。勝野とは40年来の親友で「顔がとにかく理想で大好き」とのこと[10]。長女の紅蘭はダンサー、次女の草刈麻有はブルーミングエージェンシーに所属しており、芸能活動を行っている。長男は元ズットズレテルズのボーカル、ドカットカット(2015年2月14日、草刈の個人事務所として使用している東京都渋谷区のマンションの一室からの転落事故により23歳で死去[11])。
父親を知らないで育った草刈正雄さん。
子育てはなかなか大変だったようです。
草刈正雄の娘、紅蘭
紅蘭(くらん、1989年8月30日 - )は、日本の女性ダンサー。本名、草刈 紅蘭(くさかり くらん)。
東京都出身。ウィズ・エンタテインメント所属。デビュー当時は本名で活動していたが、『有吉反省会』(日本テレビ系)において、反省の禊として、「草刈を名乗らない事」とMCの有吉弘行に言われ、それ以降、紅蘭と名乗り、活動する事になる。
草刈正雄の娘、麻有
草刈正雄の息子、雄士
草刈正雄さんの息子さんは音楽活動をされていたんですね。
ズットズレテルズはダウンタウンの浜田さんの息子さんも入っていたとのことでした。
草刈正雄さんの息子さん宛にハマ・オカモトさんがメッセージが。
仲がいいから言える言葉ですね。
息子の死後、気丈に振舞う草刈正雄
東京都渋谷区で14日の午後8時26分頃
「路上で人が倒れている」と
119番通報がありました。
路上で倒れていた人は
草刈正雄さんの子供の草刈雄士さんで
草刈正雄さんの個人事務所の7階のマンションから
転落した模様です。
そして残念なことに15日にその事故により
亡くなられました。
転落の原因は、柵のない窓を開け
窓辺に腰掛けた際に転落されたとのことです。
草刈正雄の息子の転落現場
築37年の古いマンションだったようで、手には手すりが握られたままだったそうです。
手すりに腰かけたところ、耐え切れずに壊れてしまい、そのまま息子さんは転落したとみられていて、事件性はないそうです。
アルコールも検出されていないそうですが、草刈正雄さんの息子さんは精神疾患があり、
症状が悪化すると暴言を吐いたり暴れたりしていたそうです。
ハマ・オカモトさんが言っていたのはこのことだったのかもしれませんね。
草刈正雄さんの息子
息子さんのご冥福をお祈りします。
息子と確執があった?草刈正雄
父・草刈が悲報を聞いて現場に駆けつけてきたのは、14日の転落事故から約2時間後の夜22時ごろだった。
「なんで死んだんだぁ!」
あたりをつんざく絶叫に驚いたマンションの住人が目撃したのは、血だまりのそばでひれ伏す草刈正雄の姿だったという。実は草刈と長男の父子関係は微妙なものだったようだ。最近も長男は東京都内にある草刈の自宅では生活していなかったという。
息子と確執があった?草刈正雄
「2人のお嬢さんたちにはよくお会いしますが、息子さんをお見かけしたことはほとんどありませんでした」(自宅近所の住人)
草刈は、インタビューで子供たちとの関係について次のように語っている。
《長女と長男が小さかった頃は、僕はいい父親じゃなかった。仕事の悩みがまだ続いていたのでイライラして、感情的になって叱ることがよくありました》(『週刊文春』2011年6月9日号)
息子と確執があった?草刈正雄
Aさんが誕生したのは、草刈が39歳のとき。デビュー以降2枚目俳優として活躍してきたが、“年齢の壁”にぶつかり気持ちが荒んでいた時期だったのだ。自分はいい父親じゃなかった……、その思いは、草刈の心の奥底にトゲのようにひっかかっていたようだ。ほかのインタビューでも「僕はお手本となる父親がいなかったから、(子供たちに)どう接していいかわからないんですよね」と語っていた。
「Aさんとの微妙な関係を修復できないまま、彼を失ってしまったことは、草刈さんにとって痛恨だったでしょう」(草刈家の知人)
息子を突然亡くした草刈正雄
Aさんの転落直後、血だまりの事故現場で、地面に手をついて泣き叫んでいたという草刈。土下座とも見て取れるその慟哭の姿には、辛くあたってしまった息子への謝罪、父子関係への悔恨など、言葉にならない思いがつまっていた。
なんともツライお話でした。
どうかこの草刈正雄さんの父としての想い、天国の息子さんに届いているといいんですが・・・。
息子と突然離れなければならなかった草刈正雄
なんとも壮絶な親子の別れでした。
草刈正雄さん自身、父親を知らないのでどう接していいか分からなかったんでしょう。
それは息子さんたちが大人になれば分かってくれる問題だったのに、
父の愛や本当の想いを知ることなく天国へ旅立ってしまった息子さん。
ご冥福をお祈りします。
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