羽生結弦の魅力を最新ニュースから紐解く!羽生結弦の今後の動向は?
2016/08/05
aroijia275
生年月日: 1994年12月7日
出生地: 宮城県の旗 宮城県仙台市泉区
身長: 171 cm
体重: 56 kg[
羽生結弦選手の経歴
・2008シーズン、まだノービスの選手(中学1年)ながら全日本ジュニア選手権で3位となる。ノービスの選手が全日本ジュニア選手権の表彰台に上がるのは日本男子史上初
・2009-2010シーズン、全日本ジュニア選手権では2連覇を達成。
世界ジュニア選手権ではフリースケーティングで大幅にパーソナルベストを更新して優勝。日本人男子としては初の中学生で、高橋大輔(2002年)、織田信成(2005年)、小塚崇彦(2006年)に続く、4人目の世界ジュニアチャンピオンになった。
・2012年の4月にコーチをブライアン・オーサーに変更。
・2013年GPファイナルではショートプログラムの歴代最高得点を更新、フリーでは自己ベストを大幅に更新し総合1位でGPファイナル初優勝を果たす。続く全日本選手権では2連覇
・2014年2月、ロシアで開催のソチオリンピック
ショートプログラムで完璧な演技を披露し101.45点をマーク、公式大会世界最高得点かつ、史上初の100点超えを達成。日本人初(アジア人でも初)となる冬季オリンピックでの金メダルを獲得した
2歳の時に
2歳の頃から喘息(ぜんそく)の持病があり、スケートを始めた当初の目的も喘息の病気を克服することにあった。肺を大きく開いて息を吸い込むことができないため、長年体力や持久力の面で劣ると指摘されてきたが、投薬治療、吸入薬、鍼治療、冷気を避けるためのマスク着用などの病気に対する対策をしている。
1990年にイギリス胸部疾患学会(BTS)の発表した喘息ガイドライン、および1991年にアメリカ国立衛生研究所(NIH)の発表した喘息ガイドラインにおいて「喘息は慢性の気道炎症である」ことにコンセンサスが得られた。これによりステロイド吸入により気道の炎症を抑え、発作を予防するという現在[いつ?]の喘息の治療戦略が完成し、治療成績は劇的に改善した。
寒気、運動、ストレスなどの種々の刺激が引き金となり、これらに対する過敏反応として気管支平滑筋、気道粘膜のむくみ、気道分泌亢進などにより気道の狭窄・閉塞が起こる。気道狭窄によって、喘鳴(ぜんめい:喉のヒューヒューという高い音) 、息切れ、咳、痰(たん)などの症状を認める。喘息発作時にはこれらの症状が激しく発現し、呼吸困難や過呼吸、酸欠、体力の激しい消耗などを伴い、時には死に至ることもある。気道感染が喘息急性増悪の誘発因子となることが多い。
気管支喘息治療薬は「長期管理薬」(コントローラー)と「発作治療薬」(リリーバー)に大別される。発作が起きないように予防的に長期管理薬を使用し、急性発作が起きた時に発作治療薬で発作を止める。発作治療薬を使う頻度が多いほど喘息の状態は悪いと考えられ、長期管理薬をいかに用いて発作治療薬の使用量を抑えるかということが治療の一つの目標となる。
喘息という病気には軽いものや重いものなどもあります。
羽生結弦の喘息は、発作や吸入器を使用しているようで結構重たい喘息のようですね。
そういえば、子供の頃使っている子がいましたね。
大人になってからだと、かなりきついと思います。
最近喘息がひどくなってしまったようです。
どうやら、環境が変わってしまったということもあり環境の変化に体が付いていけずに喘息がひどくなってしまったようです。
これは、ブライアンコーチも「喘息のケアをすることが大切だ」というようなコメントをしてます。
実際にフィギュアスケートの演技をした後によく呼吸が乱れていることがありますね。
これが喘息という病気の症状のようで、フィギュアスケートの時に気になって観ていたという人達も多いでしょう。
演技終わってからの呼吸がかなり荒いですね。
激しい運動がぜんそくの発作を引き起こさないか不安になります。
小さい時からの付き合いとはいえ環境が体調にも大きく影響しますから
この病気が演技に影響してしまわないといいなと思います。
毎日喘息の薬を朝と夜に飲んでいるようです。
羽生結弦は、かなり体が細い方だと思いますが、最近は以前よりもさらに細くなってきたようですね。
まだまだ体が環境になれていないのかもしれませんし、あまり無理はしないようにしてほしいなと思いますね。
喘息を患っているということは、以前にインタビューなどでもコメントしてました。
以前まではあまり体力がなかったようで、よく演技の後に息切れもしてましたね。
今は演技に喘息の病気の影響はあまりないようです。
体調不良の中
体調が悪い中挑んだ全日本フィギュアでショートから首位をキープした羽生結弦選手。
3連覇し、2015年3月に中国・上海で開催される世界選手権の代表入りを決めました。
腹痛の精密検査を受けるため、29日のアイスショー「メダリスト・オン・アイス」(長野市ビッグハット)を欠場することが28日、ショーの主催者から発表された。
グランプリシリーズ中から
羽生結弦選手「ファイナル期間中から断続的に腹痛がありました。帰国後、医師に相談した結果、このタイミングで精密検査を行うことを勧められました。ファンの皆様には、ご迷惑をおかけしてしまい大変申し訳ない気持ちでいっぱいです」とコメントした。
日本スケート連盟は30日、腹痛を訴えていたフィギュアスケートの羽生結弦(ANA)が精密検査で「尿膜管遺残症」という病気と診断され、同日手術を受けたと発表した。
お母さんのおなかの中にいる胎児期はへそのおを通じてお母さんから栄養をもらったり、老廃物を排出している、ということは聞いたことあると思います。
尿膜管遺残症という病気の「尿膜管」というのは、胎児の時に臍帯(へその緒)と膀胱をつないでいる管のことです。
正常の臍(おへそ)と膀胱の関係:尿膜管(赤矢印)は退化して、おへそ(黒矢印)と膀胱(青矢印)はつながっていない
グランプリシリーズ中国大会での接触事故から始まりこのシーズンは
羽生結弦選手にとって怪我と病気とに心身ともに苦しめられるシーズンになったのではないかと思います。
しかしこの病気の手術で腹部を4cmほど切り、腹筋の感覚に違和が生じたことが一因で練習時に右足首を捻挫。再び2週間の休養を要し、3月開催の世界選手権への出場は直前まで危ぶまれた
上海の会場で開催された世界選手権では、フリープログラムの冒頭で4回転サルコウが2回転に、続く4回転トーループで転倒。その後は落ち着いてジャンプを決め巻き返したものの、パーソナルベストには程遠いスコアに留まり、総合2位・銀メダル獲得と惜しくも日本人選手初となる世界選手権連覇はならなかった。
連覇を逃した心境を羽生結弦選手は「悔しさが9割だが、また追いかける事が出来る立場になった。悔しさをバネに進んでいける。」と語り、悔いの残る復帰戦を終えた
羽生結弦選手のコメント
悔しかったですね。
久しぶりに悔しくて泣いたなあ。
控え室の中で、
「今日何がダメだった、これがダメだった」
と口でいいながら、
ずっと涙が止まらなかった。
「課題好きですか」と聞かれ、羽生結弦選手は「「もう課題大好きです。だってそれを乗り越えたら、ぜったいその『上』があるわけじゃないですか。そしたらまた『上』があるし」と、喜々として語った。
羽生結弦くんは自らを「勝ち気だし、貪欲だし、ビッグマウスだと思われていると思う」と分析し、
これまでは、思っていることをそのまま発言してきました。
「(小学生のときから)とにかく負けず嫌いだったので、何をするにしても、自分ができないと『絶対に一番になってやる』と思って、練習に取り組んでいました」 徹底した負けず嫌いが、羽生結弦選手の土台。
出来ない事があると悔しくて、できない事で負ける事が何よりも悔しい。
だからこそ練習に熱が入って、
試合でも負けたくない、諦めたくないグランプリ中国杯での怪我での出場も、
病気を負って手術をした影響で怪我をしながらも世界選手権で演技ができたのは
病気や怪我だけでなく「できないこと」「自分」に負けたくないという負けず嫌いな所が大きく
反映されているのではないかと思います。
高みを目指すからこそのアスリート魂であり、そういった性格がここまで羽生結弦選手を、
成長させていったのかと考えると、ぜんそくなどの病気が彼のその意思を潰すことのなきよう、
これからの活躍に期待していきたいと思います。
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