松村雄基、氷川きよしと密会!?イケメン独身俳優は恋人同士!?
2016/08/11
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松村 雄基(まつむら ゆうき)
本名:松村 憲幸
生年月日:1963年11月7日(51歳)
出生地:東京都文京区
血液型:B型
身長:178cm
趣味:ジョギング、茶道、長唄三味線
特技:剣舞、詩吟、書道
東京都立板橋高校在学中、テレビドラマ「生徒諸君!」の沖田成利役でデビュー。1980年代には大映ドラマの常連男優として活躍。一見不良だが、根の暖かいキャラクターを演じることが多かったのも祖母と二人で暮らしているという壮絶な生い立ちを経験しているからこそなのかもしれません。代表的な出演作品はスクール☆ウォーズ」「ポニーテールは振り向かない」「不良少女と呼ばれて」「乳姉妹」「花嫁衣裳は誰が着る」など。俳優以外にも1981年には歌手活動も行う。一時期活動を休止していたが、2013年に26年ぶりのオリジナルアルバムをリリース。現在は東京と大阪を中心に精力的なライブ活動を続けている。30歳の頃に書を始め第17回東京書作展(東京新聞社主催)にて内閣総理大臣賞受賞するなど書家としても知名度を上げている。2015年にはデビュー35周年を迎える。
東京都文京区で生まれ育った松村雄基は、
まだ高校2年生だった17歳の時に俳優としてデビューしている。
テレビドラマ「生徒諸君!」が松村雄基のデビュー作だが、いきなりの主役での抜擢だったことで、視聴者はもちろん業界でも注目されている。
生徒諸君!の沖田くんの役がデビューだったんですね。この人誰だろう?と思っていた人が松村雄基さんだったとは。確か、沖田くんの生い立ちも複雑だったような。。だからこその配役だったのでしょうか。生い立ちは自分で選ぶことができませんが、その後の人生は自分自身の力によるところが多いのですね。。
そうそう。いつも不良の役だけど・・でも人気がありましたよね。それも松村雄基さんのツライ生い立ちがそのような雰囲気を出していたのかもしれません。素敵でしたよね。
時代劇やサスペンスドラマでの起用も多く、目立った主役は少ないものの名脇役として確かな地位を確立させていく。
また舞台俳優としても活躍しており、
現在まで携わった作品は40を超えている。
主役級の俳優さんではなくても、出演など携わった作品は40以上というのはすごいことです。やはり幼少期から苦労した生い立ちだった松村雄基さんだからこそ、仕事に対する姿勢や、人とのつきあいかたなども自然とできあがっていたのでしょう。松村雄基さんは生い立ちによって苦労したことも多かったでしょうが、だからこその今があるのかもしれませんね。
子供の頃に、家族が離れ離れになってしまい、おばあちゃんと二人だけになってしまったそうです。
彼は子供の頃から新聞配達などで、おばあちゃんを養っていたそうですよ。
芸能界に入ったのも、芸能界に入ればお金が入るからというもので、おばあちゃんだけ面倒を見てあげて、という事以外は、ワガママも全然言わなかったようですよ。
一家離散、祖母との二人暮らし、新聞配達、家計を支えるなどまだ小さかった頃の松村雄基さんの生い立ちはかなり壮絶です。それでもどうやって祖母と二人で生きていくのかということを懸命に考えて行動していたのだなということが本当にわかります。生い立ちに負けることなく生きてきた松村雄基さんが選択したのは、芸能界に入るということ。その選択だけでもすごいなと思いました。
その生活からの脱却・・・小学5年生が考えることではないですよね。
それも自分に与えられた生い立ちしかないんですよね。
強く生きてきた松村雄基さんに脱帽です。
ただ生い立ちが不幸というだけではなく、祖母とのふたりの暮らしということをベースに大人のように考えて行動したというのが感動です
家庭の事情で、生まれたときから祖母と二人暮らし。自宅に生徒を集めて詩吟を教えるなど、しっかり者でかくしゃくとしていて、母親代わりに孫の私を厳しく育ててくれました。
そんな祖母が脳梗塞で倒れたのが18歳のとき。デビュー翌年で、後遺症で体の自由がきかなくなりました。家ではトイレの介助をし、アパート暮らしで風呂がなかったので、銭湯までおんぶしていきました。
20年間という月日を祖母の介護へと費やしたところがすごいですね。自分の生い立ちに負けない本当に強い人ですね。素敵だな。。
松村雄基がずっとひとりで面倒を見ていたようです。そこで見かねた事務所が某病院へ入院をさせたのですが、お見舞いに行った際に病院側で松村雄基が来たとパニックになってしまったようですね。他の人に迷惑になるからと、気兼ねのない施設に移して暇なときはつきっきりだったようです。
祖母を入院させた病院に自分が出向くことで迷惑をかけてしまうという気持ちになることって、自分のことしか考えていない人が多い世の中でも貴重ですね。生い立ちが云々いう前にやはりその人の人間性の問題なのかもしれないと改めて考えさせられてしまいました。自分の生い立ちはごくごく一般的なものだったはずですが、同じように悪口言う側にはなりたくないと心から思いました。生い立ちが大変・・でも自分で何とかやってきたという自負が強くさせているのかもしれませんね。
壮絶な生い立ちの中で、一緒に二人三脚で頑張ってきた祖母が痴呆症に・・・。それからが介護の始まりです。
在宅介護10年目、いよいよ家族だけでは限界を感じ、特別養護老人ホームに入ってもらうことにしました。その決断を私が伝えると、祖母が言ったんです。「いいよ。おばあちゃん、行くよ」そのときのことを思い出すと……。本当は家や家族と離れたくなかったかもしれないのに、とっても優しい笑顔だった。それから10年間、特養で過ごし、88歳で眠るように逝きました。穏やかな最期でした。最近、20年にわたる祖母を介護した日々を振り返って思うんです。
約20年という月日の中で祖母と過ごしてきた日々は、松村雄基さんにとって生い立ちが壮絶すぎてという風に思うのでしょうか。きっと自分自身の生い立ちに何かマイナスなものを抱いて過ごす余裕もなかったのではないでしょうか。だからこそ必死だったんだろうな・・と思いました。生い立ちがどんなものでも自分次第なのだということが本当にわかりますね。
祖母の介護がスタートしてからは、自分のことよりも祖母のことを優先してきたのだと思います。そんな優しい気持ちも壮絶な生い立ちの中、懸命に生きてきた証なのかもしれません。
2014年に松村雄基が出演した「ポンコツラーメン屋台2」でのエピソードだ。
決して料理が得意ではないはずだが、自分ができる仕込みを積極的にこなすだけではなく、
早朝の寒い時間にスタッフが温まるように焚き火の準備などをし、視聴者から非常に評価されている。
またラーメンを売り出すためのPOPなども自ら作るなど、なんでもこなす松村雄基の姿が感動を呼んだようだ。
松村雄基さんの生い立ちと芸能界での活躍を見てきましたが、やはり祖母との二人暮らしの中で得たもの、祖母の介護によって得たものなど普通の人ではなかなか経験することのできない生い立ちが松村雄基さんの今を作り出してしるのだなということがわかりました。
自分で望んで生い立ちが壮絶になったのではありませんが、その後の人生を自分らしく生きていくために頑張っている姿に本当に感動しました。これからは生い立ちに関係なく自分だけの幸せを是非見つけて欲しいなと思いました。
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